兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第117回 大変です!急に匂いが消えました(その2)】
若年性認知症の兄と2人暮らしをするツガエマナミコさんに、一大事が発生! 入浴中、シャンプーの匂いが一切しないことに気づいたのです。嗅覚障害ということは…?早速、「新型コロナウイルス感染症コールセンター」に電話をし、PCR検査受けたツガエさん。このツガエ家を襲った一大ピンチを振り返り報告してくれました。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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「陽性でした。デルタ株です」
「〇〇クリニックです。昨日の検査の結果をお知らせします。陽性でした。デルタ株です」
嗅覚障害があった時点でほぼ確定でしたけれども、改めて言われると「一人でカラオケに行ったからだろうか」とか「仕事帰りにウインドウショッピングしてしまったからだろうか」と走馬灯のように自分の行動が甦りました。
決定的な心当たりはございませんが、おそらく市中でいただいてしまったのでしょう。わたくしとしたことが誠に不覚でございます。
その後、保健所からお電話をいただき、現在の体調と症状がいつから始まったか、発症前後の行動などを詳しく聞かれました。20~30分お話ししたと思います。優しいお人柄で感染者を責めるような気配は一つもありませんでした。むしろ体調を心配してくださって恐縮いたしました。
本人は症状発症から10日間、濃厚接触者は隔離消毒を始めてから2週間の自宅療養となり、最後の3日間に体調が万全であれば、その翌日から外出OKとなる旨をお聞きしました。
最大の問題は食事です。行政の給食サービスを利用する選択肢もありましたが、2人分ともなればきっと金額もかさみますし、幸い冷凍食品や非常食などを貯め込んでおりましたので「まぁ、いけるやろ」と算段し、チビチビと食い繋いでおりました。ちょうど来年の春辺りで賞味期限が切れるところだったパンの缶詰や、お魚の缶詰の在庫一掃は嬉しい誤算。少々お野菜不足とはなりましたが、レトルトカレーやパスタ&パスタソースにも助けられて、なんとか乗り切ることができました。日頃の手抜きっぷりが役に立つこともあるのでございますね。
そして、わたくしはそろそろ自宅療養の期間を終えるタイミングです。問題は兄の健康状態ですが、今のところ発熱もなく、無症状です。しかし普通に考えれば、2LDKマンションで、同居家族が感染しない道理がございません。検査をすれば兄も陽性だろうと覚悟しております。
もちろんわたくしの陽性判定が出た段階でデイ施設にはご連絡いたしました。兄の自宅待機期間が終わったら、どこかでPCR検査を受けて兄の陰性を確認してから通所再開というお約束です。
まぁ、いろいろ面倒なことですが、これも経験です。
陽性者になるとQRコードで「県の療養サポート」に登録することを義務付けられ、毎日LINEで「息苦しいですか?」「体温は?」「パルスオキシメーターはありますか?」の3つの質問に答えております。わたくしは「いいえ」と「36度未満」を押しておしまいですが、具合が悪い人は陽性者のみに送られる電話番号に電話すれば、対処してくださるシステムになっているようです。
わたくしの嗅覚は、まだ戻っておりません。多くは1か月ぐらいで戻ってくるそうですが、6か月以上戻らないケースもあるようです。
わたくしは今、お便様でさえも無臭という奇蹟の嗅覚で生活しております。でもご安心ください。味覚はございます。お塩はしょっぱいし、お砂糖は甘い。酸っぱいのも苦いのもよくわかります。ただニンニクを入れてもあの食欲をそそる香りはせず、ソース焼きそばを作ってもソースの香りがゼロという魔訶不思議な世界に迷い込んでおります。大好きなコーヒーはただ苦いだけのお湯、トーストしてもまるで香ばしくないパン、マツタケの香りがしない永谷園のお吸い物……。それでも味覚はまともなので食事は比較的美味しくいただいております。
「強い匂いを1日に2回、10秒ほど嗅ぐといい」という噂を聞き、アロマオイルを毎日鼻先に近づけて深呼吸しております。1週間前は本当にゼロでしたが、今日はうっすら人工的な薬品風の臭いを感じています。でも気のせいかな~と思うほど遠くて、繊細な香りを感じられるまでには時間がかかりそうな気がいたします。
コロナウイルスと人類の戦いはまだまだ続きそうです。ただ、過去感染者がワクチンを打つと最強の抗体ができるという噂を聞いたので、ツガエはそれに期待しております。まだ1回目のワクチン予約もできていませんけれどもぉ!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ