85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第23回 養老院(ホーム)探訪記】
1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆し、ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼はまた、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起してきた伝説の人でもある。
齢、85。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選び生活している。
オシャレに気を配り、自分らしさを守る暮らしを続ける、そのライフスタイル、人生観などを連載で矢崎氏に寄稿してもらう。
今回のテーマは「老人ホーム」。縁あって、老人ホームを訪れた矢崎氏。そこで見聞きし、感じたこととは…?
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
* * *
「老人ホームに、君も入らないか?」
「俺、老人ホームに入居したんだ。実に快適なんだな。君も入らないか?」
同い年の小学校の頃からの友人から、突然、電話があった。
「嫌だよ。老人たちと一緒に暮らすなんて、眞っ平だ。断る」
と、私はあきれて電話を切った。
しばらくして、その友人から便りが届いた。
「講演に来てくれ。(老人)ホームの理事長が、君の話をしたら、是非にと言うんだ。頼む」
と、あった。重い腰を上げることにしたのは、一度くらいは本物の老人ホームを見てみたいと思ったからだった。相当デラックスな施設で、入居を待っている人が大勢いるということだった。
脚に自信のない私には、送迎付きは助かる。ま、友人の顔を立てるつもりで、5月初めの日曜日に行くことにした。
正に白亜の殿堂のような、その老人ホームは、小高い丘の上に聳(そび)え建っていた。見た瞬間に、バルザックの『パルムの僧院』の一節が頭に浮かんだ。なかなか格調が高いイメージだった。
出迎えた友人は、得意げな様子で
「リゾートの高級ホテルみたいだろう。中はもっといいんだ。講演の前に施設を案内しておきたいけど、まず俺の部屋でひと休みしてくれ」
と、嬉しそうだった。周囲は梨畑で、部屋からの眺めは爽快そのものだった。
確かにリゾート・ホテルの一室のように豪華な印象で、トイレや浴室も付いていた。読書好きの友人らしく、書棚には本がぎっしり並んでいる。
「医療介護は万全で、3食付で月額15万円なんだ。但し、入居の時の保証金は、1千万円ほど収めてある。しかし、保険が効くから、退所または死亡時に、半額は返済される。びっくりだろう。第一、ほとんど自由にしていられる。ノープロブレムだよ」
健康そうに見えるし、大企業の会長職に80才まで席を置いていたのだから、糖尿病の持病はあっても、どこ吹く風の様子だった。
リハビリ・ルーム、大浴場、温水プールなどを見学していると、悪魔の誘いに乗りかねないほどの魅力に襲われる。危ない。
老いた時に、自分をどう処するのか
ホールに70人ほどの老人男女が集まっていて、私は約1時間の講演をした。タイトルは『人生の終わり方』という、いかにも私的なスピーチだったが、どなたも眞面目に聴いてくれた。
実を言うと、時間を経過する内に、私は次第に違和感を覚えて行った。死を静かに待っているだけではなく、どこか特権的で、生のみに執着している姿に苛立ちを感じたのだ。
やっぱり来るんじゃなかった。そう痛感したのは、恵まれているように見える老人たちに、ある種の傲慢さを見て取ったからであった。
つまり、家族と離れて老人ホームでの生活を選択した老人たちの大半は、不治の病を患っているか、あるいは自分の境遇に甘えているように思えた。
老いてもチャレンジ精神を持っている人は、こうした施設には入らないだろうし、肉体的に衰弱しつつある自分の余生を怠惰な生活に委ねることに躊躇(ためら)うことのない人は、明らかに欠陥を持っている。老人こそ自分に厳しく生きるべきだと言う、私の信念からは外れた存在であった。
「いろいろな事情はあるだろうけれど、ボクは野垂れ死にした方が性に合うね。貧富の差というより、もっと孤独を楽しむのが、老人の本来の姿だと思う。他人に媚びたり甘えたりすることそのものが、どうしても許せないんだ」
別れ際に友人にそう伝えるしかなかった。
「お前って奴は、相変わらず青いな。そんなに突っぱらなくても、最後はのんびりしたらいいのに…」
私はもしからしたら悪夢を見たのかも知れない。友人は確かに満足気で幸せそうだったけれども、生ける屍にだけはなりたくないと私は思う。
それぞれの人には、その人なりの人生がある。だから決めつけることは出来ないが、社会は平等に老人を扱う義務がある。どんな問題にも解決不能な部分は存在するが、個人の自覚を追求することは、怠ってはならない。
人は必ず死ぬ。しかし、老いは誰にでも来るわけではない。老いた時に、どう自分を処するかが、私たちのテーマなのだ。それを忘れてはなるまい。
老人ホームからの帰路、日本の社会が何ひとつ老人問題を直視していないかを知らされた思いだった。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。