兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第87回 「やめてよ」と言ったものの…】
洗面所のコップにオシッコをしてしまう…、ベランダで小便小僧になってしまう…、そして、浴室で大きい方をしてしまう…。若年性認知症を患う兄の症状は進行している様子で、同居する妹のツガエマナミコさんの不安とストレスは募るばかりだ。病気のせいとわかってはいるものの、先日、ついに兄を注意してしまったツガエさんだったが…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
ベランダでオシッコするのを注意したのですが…
先日、久しぶりに外出をしたら、帰りの電車がストップして、復旧に1時間ぐらいかかるとのアナウンスだったので、真っ先に降りてバスで迂回路を目指したら、なんのことはない、電車は早めに復旧して、そのまま待っていた方が早かったという不運に見舞われたツガエでございます。あんなとき、どっしり構えるか、素早く動き出すかで、わたくしは大抵そっちじゃない方を選んでしまうような気がいたします。二股道で正解じゃない方を選びがちな方向音痴と関係があるでしょうか。
そんなわたくしは、昨日ついに兄に言って放ってしまいました。どうせ言っても止まらないので、何も言うまいと思っていたのですが、わたくしの虫の居所が悪かったのでございます。ベランダで小便小僧さまになって、リビングに戻ってきた兄にひと言「べランダでオシッコするのやめてほしいんだけど!」とストレートに切り込んだのです。
そのひと言が出たことで、勢いがついてしまって言葉が止まらなくなりました。
兄のベランダでの立ち小便は、もはや周囲を気にする様子もなく、罪の意識ゼロ。まるでそこがトイレであるかのように1日に何度もするようになってまいりました。わたくしも朝昼晩と水を運んで、これ見よがしにお掃除しておりました。ですが兄は何も察しません。
私:「ベランダはトイレじゃないの。わかるかな?」
兄:「……」
私:「お隣りにも人が住んでいるし、匂っちゃうし、いちいち掃除しなくちゃいけないし…」
「どうしてべランダでオシッコするの?」
「何か理由があるのかな?あるなら教えてほしいんだけど~」
兄:「えへ、どうしてだろう?」
私:「って言うか、トイレはどこにあるか知ってる?」
「使い方がわからなくなっちゃったのかな?」
「トイレの流し方は覚えてる? もしかしてわからなかったら教えるけど?」
兄:「トイレはわかるよ。流せるでしょう」
私:「じゃちょっと、トイレ流してみて」
「ん、まぁまぁ、そう、できるじゃん」
「オシッコはトイレで、お願いしますよ」
兄:「うんうん」
これは、虐待でしょうか。もちろん声を荒げたり、強い口調にならないよう語尾をのばしたりして、のんびり感は出しているのですが、字面にしてみたら虐待っぽい。
ただ、兄が「うんうん」とおっしゃったところで、脳の記憶装置は壊れているのですから、こんなやり取りを忘れることはオチャノコサイサイでございます。「どうせ昼にはまたやるっしょ」、と思っておりました。でもなんと24時間経過した現在まで、小便小僧さまのご降臨はありません。
人は不思議なもので、「やめてよ」と言ったものの、本当にやめられたら不安になるものでございます。あんなに日常化していたベランダオシッコを抑え込んでしまったことで、兄のストレスが別のところにいくのではないかと心配になってまいりました。
この先、部屋の壁にやられたらどうしましょう。暴君になったらどうしましょう。「ベランダでしないでよ」と言ってしまったばかりにそんなことになったら大変です。わたくしはまた“そっちじゃない方”をやらかしてしまったのでしょうか。
こうなるともう「お願いですからベランダでオシッコしてください」と祈らざるを得ません。常識とはいったい何なのでしょう。なんとも屈折した暮らしでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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