追悼・鈴木登紀子さんが愛した食と旅の話|英国紳士とロンドンで…
昨年12月28日に家族に見守られて永眠した日本料研究家の鈴木登紀子さん(享年96)。“ばぁば”の愛称で親しまれた鈴木さんの遺作となった著書『誰もおしえなくなった、料理きほんのき』を手がけた担当編集者の神史子(ジン・フミコ)さんが、共に過ごした日々を振り返る――ばぁばが愛した食と旅の話。
最後の晩餐はお寿司がいいわ…
2015年〜2017年にかけて、鈴木先生と旅をする機会を得た。
NHK文化センターによるカルチャースクール「NHKカルチャー」で、化粧品メーカーのハーバー研究所の廣森知惠子ビューティプロデューサー(当時)と鈴木先生のジョイント講座が開催されることになり、国内何か所かの教室を訪れることになったのだ。
札幌、青森、仙台、名古屋、横浜…など“おいしいもの”が食べられそうな匂いがする都市ばかりだったので、事前に教室の場所と周辺の店をチェックし、講座の構成と併せて鈴木先生と真剣に協議。
札幌では老舗の「すし善 本店」に予約を入れ、新鮮な魚と職人技を堪能した。
「パパにも最後に大好きなトロを思う存分食べさせてあげたかった。突然、逝ってしまったのよ。朝起きたらソファで眠るように亡くなっていたの」
バフンうにを満足げに味わいながら、鈴木先生が言った。
「私もやっぱり、最後の晩餐はお寿司がいいわ」
鈴木先生と食事に出かけたのは、2019年9月30日が最後になった。
その年の夏に鈴木先生はちょっと体調を崩していたのだが、暑い夏が一段落して体調と食欲が回復。久しぶりに「うちの近所でランチしましょ」となって、井の頭公園近くのフレンチを食べにいくことになったのだった(冒頭写真)。
→鈴木登紀子さんが教えた「ようすがいい」女性になるお作法|人柄に魅了された担当編集者の述懐
桃花林の担々麺とガールズトーク
鈴木先生とはよく食事に出かけた。
‘09年にパパさん(夫の清佐さん)が亡くなり、’14年に次女で料理研究家の安藤久美子さん夫妻宅での同居を決心するまで、その後5年にわたって鈴木先生は田園調布のマンションでひとり暮らしをした。
「ひとりで食事をすることに慣れなくて、いつもお仏壇の前でパパと一緒に食べているの」と言っていたから、打ち合わせ後に田園調布駅近くのおいしい台湾料理のお店で牡蠣をほおばったり、当時週に1度通っていた美容院のあるシェラトン都ホテル東京のロビーで待ち合わせて、帰りに天ぷらをごちそうになったりもした。
また夏には「ジンさん、あれを食べに行かなくちゃ!」と、ホテルオークラの『桃花林』へ。大好きだった冷やし坦々麺を食べながら“ガールズトーク”に花を咲かせた。
鈴木先生は『桃花林』の長年の常連だったから、いつも「お待ちしておりました」とベテランスタッフのかたが出迎えてくれ、奥にある“いつもの”テーブルへ案内された。
もちろん、スタッフのかたは鈴木先生の好みやちょうどいい量も熟知していて、たいていはおすすめの旬の前菜とかにの手の揚げものか炒めもの、そして夏はシメに冷やし坦々麺を半人前で注文した。
「あ、ジンさんはまだ若いから、坦々麺は1人前でお願い」と毎回言い足してくれるのだが、そんなに若くない私は、
「人間として半人前なので、麺も半人前で(笑い)」と修正するのがお約束だった。
最後のランチは吉祥寺のフレンチで…
最後のランチに話を戻そう。
鈴木先生の自宅からお店までは歩いて10分ほど。お天気もよかったし、散歩も兼ねてゆっくり歩いていくことにした。
「まだちょっと暑いけれど、陽射しはもう秋ね」
サマーニットのワンピースにパステルカラーの花柄スカーフ、シャネルの赤い口紅をまとい、洒落たデザインのステッキを片手に歩く鈴木先生は、吉祥寺の街中でかなり目立っていた。鈴木先生のことを知る人もいただろう。
背筋をすっと伸ばし、周囲の視線ににこやかな会釈で応える鈴木先生は独特のオーラを放っていて、まるで宮様のようだな…と、エスコートする私も衿を正した覚えがある。
お店では、井の頭公園の森を見下ろす窓側の席に案内され、軽めのコース料理をいただくことにした。
「食欲がなくなったらすぐにお通夜の用意をしなさいって(家族に)言ってはあるのだけど、今回は“別荘”から帰ってもなんだか調子が戻らなくて、食欲もあまりないの。それで『あら、ようやくパパが迎えに来る気になったのかしら』って思っていたのよ」
“別荘”とは、年に数回、定期的に肝細胞がんの治療入院をしていた大学病院のこと。2012年頃に肝細胞がんが見つかり、以後、ラジオ波焼灼療法を中心に、本来は休養も含めて1週間ほど入院すべきところ、鈴木先生は治療が終わるとさっさと退院。お寿司やうなぎなどをご家族と食べて帰宅していた。退院した翌日からお料理教室を開始したこともある。
「ところが、お料理教室をお休みして、久美子のおかげで上げ膳据え膳の楽ちん生活していたら、すぐに食欲が戻っちゃったの!」
そう言って笑いつつ、最後のデザートまでしっかり完食。いつものように口紅のお直しをし、「次はお寿司を食べに行きましょうよ」と話しながら、腕を組んでゆっくりと帰路についた。
この後、鈴木先生はふたたび体調を崩し11月に入院。膵炎と判明した。約2週間後に退院したものの10kgほど痩せてしまったという。
体調が回復するのを待ち、年明け1月にご自宅へ伺うと、ほっそりとはしていたが顔色はよく、「ダイエットに成功したわよ」と冗談を飛ばして笑う元気もあった。
しかし、3月ごろから新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化。料理教室はじめ、テレビや雑誌の取材の仕事を休止することになったのだった。
ロンドン旅を巡るばぁばの美意識
鈴木先生は旅も好きだった。
好奇心旺盛で「おいしいものに対する食い意地が長生きの原動力」(本人評)だった鈴木先生にとって、見知らぬ土地の空気に触れ、そこでしか味わえない食を堪能し、趣味と実用を兼ねた器探しもできる旅は心踊ることだった。
パパさんが会社を定年退職したあと11年にわたって毎年、スイスで過ごした夫婦のバカンスは、その後、生涯にわたって鈴木先生の大切な記憶となった。
私が鈴木先生の“美意識”を痛感したのは、’12年に10日ほど鈴木先生がご友人と英国へ旅行することになったときのことだ。
「ねえ、ジンさん。スコットランドと湖水地方を巡る旅で、帰国前に1日だけロンドンで自由時間があるの。それでね、ばぁ様ふたりを案内してくれる現地のガイドさんに、お知り合いはいないかしら?」と相談された。
英語は鈴木先生のご友人がごく簡単な会話ならできるレベル。となるとやはり、ロンドン在住時代からの私の友人でプロのガイドでもある日本人女性が無難だろう。でももしかしたら…と、オプションも用意した。
「1.英国在住20年、ロンドンを知り尽くしたプロの日本人女性、
2.日本については言葉も文化もほぼ知識ゼロ。小さな広告会社を経営しながらシェイクスピア劇の役者をしている容姿端麗な40歳。身長185cmの英国人の男性、
どちらがよろしいですか?」
鈴木先生は即答だった。
「英国人男性でお願いします。私は車椅子で移動しますから、そちらも押していただきたいとお伝えしてちょうだいね」
*
鈴木登紀子先生の旅立ちに際し、「泣いている場合じゃない」と在りし日の瑞々しい思い出を寄稿してくれた神史子さん。ばぁばはロンドンも存分に楽しまれたことだろう。
執筆
神史子(ジン・フミコ)さん/編集者。『女性セブン』(小学館)ほか、ウェブ媒体、単行本を数多く手がける。鈴木登紀子先生の編集・執筆を担当した書籍は、ばぁばの料理と人生哲学が詰まったエッセイ『ばぁばの料理 最終講義』『ばぁば 92年目の隠し味』、そして、ばぁばの遺作となった『誰も教えなくなった、料理きほんのき』を世に送り出した。
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