TBS「日曜劇場」の歴史をさかのぼって紐解く「水曜だけど日曜劇場研究」第2シーズン(隔週連載)。2007年に放送された『華麗なる一族』は、いわば「昭和の時代劇」である。ドラマ史に詳しいライター近藤正高氏は、記憶にはあるのに現存しない建物、風景を再現する難しさに着目する。『華麗なる一族』はそのハードルをどう超えていったのだろうか。
「私は負け戦には乗りません」
2007年、山崎豊子(1924〜2013)の長編小説『華麗なる一族』がTBSの日曜劇場でドラマ化され、年明けより3か月間放送された。同作が映像化されたのは、単行本刊行の翌年、1974年にあいついで映画化(山本薩夫監督)、ドラマ化(NET=現・テレビ朝日で放送)されて以来、じつに33年ぶりのことであった。
『華麗なる一族』は昭和40年代の神戸を主要な舞台としている。時期的には、外国から日本国内への投資が解禁される資本自由化を目前に控え、各業界では欧米資本に対抗しうる体質づくりのため、合併や提携など再編が進められていたころだ。作中ではそうした状況を背景に、関西を拠点に複数の企業を傘下に収める財閥家族(万俵財閥)の内情が、一家の長で銀行頭取の父親(原作の主人公・万俵大介)と、系列の製鉄会社の若き専務である長男(万俵鉄平)の確執を軸に描かれた。
同作を日曜劇場でドラマ化するにあたり、企画したプロデューサーの瀬戸口克陽(現・TBSテレビ編成局長)は原作者の山崎豊子宅を訪ねている。放送の3年ほど前のことだ。このとき彼が山崎にまず言われたのは、「私は負け戦には乗りません」との言葉であったという。
それまでにも、山崎のもとには『華麗なる一族』の映像化の話が何度となく持ち込まれたものの、ことごとく実現しなかった。山崎はその理由を「自分がタイトルに“華麗なる”一族とつけてしまったから」と教えてくれたという。瀬戸口はこれについて、ドラマが実現するまでの経緯をつづった一文で、次のように説明を補足している。
《この“華麗”という言葉は大変やっかいで、活字で書いてある世界を映像化するためには、キャスティングはもちろんのこと、ロケ地や美術のセット・装飾品、さらには衣裳や持ち道具に至るまで、すべてにおいて高いハードルを要求されてしまう。そもそも、“昭和の時代劇”は一番再現するのが難しいとされている。それは、世の人々の記憶に残っているにも拘らず、建築物などはほとんど現存していないからだ。“華麗”な世界の再現となれば、尚更である》(『学士会会報』第872号、2008年)
木村拓哉を主演に
瀬戸口はそれなりの覚悟を持って山崎に会いに行ったものの、相手の言葉を受けて「途方もない高い山に登ろうとしているのでは……」と一瞬怯みそうになった。そこへ思いがけず救いの手が差し伸べられる。山崎が《時代設定を現代に置き換えても良いし、業種も金融にこだわらないから、あなた方がベストと思う“華麗なる一族”の形を考えてみて下さい》と言ってくれたのだ(前掲)。
瀬戸口たちスタッフはこれを幸いとばかりに、3か月間、必死になって色々な業種をリサーチ、取材し、もし現代に置き換えるとすればどんな業種がありえるか、あらゆる可能性を追求した。だが、その末に行き着いた結論は、《原作通り、当時のまま金融業界を舞台に描かなければ“華麗なる一族”は成立しない》というものだった(前掲)。瀬戸口は再び山崎のもとを訪ね、その旨を告げると、「やっぱりそうでしょ」との言葉が返ってきたという。彼女はすべてを見通していたのだろう。
瀬戸口たちは3か月間、徹底して調べたおかげで、かえって自信をつけた。その後、制作が具体化していくなかで、予算が逼迫してグレードやスケールの縮小を勧める意見が出ても、「それでは“華麗なる一族”にならない。どうしてもそうしろと言うなら、制作しないほうがよい」と胸を張って言い切れるようになっていた。また、自分たちの目指す世界観と志がはっきりしていたため、キャスティングを進めるにも賛同を得やすく、結果的に当初は不可能と思われた“華麗なる”出演陣が実現するにいたる。
新たなドラマ版の主人公は、原作では父の万俵大介だったのを長男の鉄平に変え、木村拓哉を主演に据えた。木村は日曜劇場ではすでに『ビューティフルライフ』(2000年)、『GOOD LUCK!!』(2003年)に主演、いずれも最高視聴率、平均視聴率ともに30%を超える実績を持っていた(このうち後者は瀬戸口が植田博樹とともにプロデュースを担当している)。これに対して父の大介役には、当連載で前回とりあげた北大路欣也を起用。彼らの脇を固めるのも、鈴木京香、原田美枝子、仲村トオル、柳葉敏郎、笑福亭鶴瓶、武田鉄矢、西田敏行、津川雅彦など主演クラスの俳優たちが顔をそろえた。
→『半沢直樹』中野渡頭取が忘れられない。北大路欣也、挑戦の歴史【水曜だけど日曜劇場研究2】
「昭和の時代劇」を可能とする環境
いまにして振り返ると、民放の連続ドラマで、21世紀に入って「昭和の時代劇」に本格的に挑んだのは、おそらく『華麗なる一族』が最初ではないだろうか。
山崎豊子の作品ではそれ以前にも、2003年から翌年にかけて『白い巨塔』(唐沢寿明主演)がフジテレビで、2005年に『女系家族』(米倉涼子主演)がTBSでそれぞれ連続ドラマ化され、とくに前者はヒットした。だが、いずれの作品も設定は現代に置き換えられていた。日曜劇場でも、2002年に石原慎太郎原作の『太陽の季節』が滝沢秀明主演で、2004年には松本清張原作の『砂の器』が中居正広主演でドラマ化されているが、両作品とも原作、また映画版も昭和という時代を色濃く背景としながら、ドラマの時代設定はここでも現代に変わっていた。各作品、それぞれ事情はあるにせよ、やはり「昭和の時代劇」は再現が難しいがゆえ、舞台を現代にせざるをえなかった部分はあるのではないだろうか。
ただ、2000年代には他方で、「昭和の時代劇」を可能とする環境も整いつつあった。まず、全国各地で映画やドラマの撮影を誘致・支援するフィルムコミッションが設けられ、昭和を代表するような文化財クラスの建物もロケで使いやすくなった。また、CGなどを駆使して過去の風景を再現する映像処理技術も発達した。映画でいえば、昭和戦前期を描いた『スパイ・ゾルゲ』(2003年)あたりが先駆けとなり、さらに2005年公開の『ALWAYS 三丁目の夕日』は、東京タワーが完成した昭和33年(1958)の東京の風景を再現し、昭和ブームに火をつけた。
これらの要素も、『華麗なる一族』を原作どおり昭和の高度成長期を舞台に再ドラマ化するのを後押ししたはずである。神戸市街の場面こそ、中国・上海の大規模な撮影セットでロケが行なわれたとはいえ、ほかの場面では、静岡の日本平ホテル、東京国立博物館、神奈川県庁など日本各地の建物や敷地がロケ地として使われた。また、銀座など東京都心を俯瞰したカットでは、現在の風景に、都電などをCGではめ込んで当時の様子が再現されていた。
こうしてさまざまな好条件が重なったこともあり、『華麗なる一族』は結果的に視聴率も最高で30.4%を記録し、成功を収める。日曜劇場ではこのあとも、『官僚たちの夏』『南極大陸』、そして山崎豊子作品を再びとりあげた『運命の人』と、昭和を舞台とした作品がつくられた。他局でも、やはり山崎の長編小説を原作とした『不毛地帯』が、『白い巨塔』と同じく唐沢寿明主演によりフジテレビで2009年10月から半年間放送されている。こうした道が切り拓かれたのも、『華麗なる一族』の健闘あってこそだろう。
これぞ北大路欣也
ところで、先に参照した瀬戸口克陽の文章は、『学士会』という学士会の機関誌に掲載された。学士会とは、東京大学をはじめとする旧帝国大学出身の学士を中心に組織された会である。一見、テレビドラマとは無縁の組織に思われるが、じつは瀬戸口は東大卒で、学士会の会員なのだ。また、『華麗なる一族』のある場面では、東京・神田にある学士会館がロケ地に使われていた。
それは、北大路欣也演じる万俵大介が阪神銀行の全国支店長会議で頭取として演説を行ない、自行のランクアップのため、各支店が預金目標額を上方修正するよう発破をかける場面(第3話に登場)だ。ここで大介は、とくに力を入れるべき支店を指名するため、支店長たちをゆっくりと見渡すのだが、そのときの彼の目力には、これぞ北大路欣也と言いたくなるほど迫力があった。次回は、再び北大路の役どころや演技に注目しながら、『華麗なる一族』を考察してみたい。
※次回は12月9日(水)公開予定
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。