話題の介護ケア「にやりほっと」<前編>できることを取り戻し笑顔に
「食事の量が減っている」「あまり眠れていない」など、介護の現場では、できないことや危険を回避する点に意識が集中してしまいがち。そんななか、「笑顔」「できたこと」など利用者のプラス面に注目した取り組みに注目が集まっている。それが、全国に約40の老人ホームやグループホームを運営する長谷工シニアホールディングス独自の介護ツールとして全社で運用されている「にやりほっと」。
「『にやりほっと』を実践してみると、今まで見えなかった利用者の生活歴、好きなこと、得意なことがたくさん見えてきました」と話すのは、長谷工シニアホールディングス『にやりほっと』探検隊 山口明子さん。「コミュニケーションの視点を変えることで、数多くの新しい発見に出会うことができた」と言う。
山口さんに、特に印象深いエピソードを語っていただいた。
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「お米研いでありますか?」の言葉の裏にある思い
私が一番印象に残っているのは、認知症が重度に進んだ92 歳の女性(Aさん)ですね。Aさんは入居まもなく足を骨折したため、寝て過ごすことが多くなり、体内時間が48時間サイクルに近くなることもありました。ようやく自力で立ち上がることができるようになった頃、夜中にある行動を繰り返すようになったのです。
他の入居者が寝静まった頃、スタッフに「お米研いでありますか?」と何度も確認するのです。おそらく、入居前は、次の日のお米をセットして寝るというのが毎晩の習慣だったのでしょう。気になって夜中に何度も起きてしまう状態が続きました。
寝たきりだった人が、お米研ぎに始まり、食材切り、調理、盛り付けまでも
スタッフで話し合った結果、思い切ってお米研ぎをAさんにお願いすることに。すると、普段は伝い歩きがやっとのAさんが、流し台ではキリッと立ってお米を研ぐことができたのです。研ぎ終えると「これで安心して眠れます」と「ほっと」した表情に。普段、ほとんど笑顔をみせないAさんの清々しい表情につられ、スタッフも達成感に包まれました。
この日を境に、お米研ぎはAさんの役割になりました。お米研ぎという役割ができたことで、Aさんの表情も行動もはつらつとし、48時間周期だった生活サイクルが24時間に戻る日もありました。
その後のAさんは、包丁で食材を切ることから始まり、調理、盛り付けまでこなすようになったのです。寝たきりだった入居当初からは想像できないAさんの活躍ぶりには誰もが驚かされました。
身体が覚えている生活習慣から「できること」
Aさんのエピソードの他にも、やはり、伝い歩きで足元がおぼつかない認知症の方ですが、「布団を干したい」とベランダを眺めることが多いことに気づいたスタッフが、布団を干す動作を見守りながらサポートしたこともありました。
その方も、干し終えたあとに満足そうに「ほっと」微笑み、近くにあった洗濯物を竿に干すこともしてくれたのです。
この経験から、私たちは「認知症を患っても、長年の生活習慣で培ったこれまでの経験は身体がしっかり覚えている。介助法や声かけを工夫すれば”できること”を増やすチャンスになる」ことを学んだのです。
「にやりほっと」で変わったコミュニケーション
介護をしていたけれど、実は入居者のことをよく理解していなかった。知ったつもりでいただけで、あまり詳しく知らなかった。『にやりほっと』の取組みを通じて、スタッフ間では「その人の生活をよりよくするために何ができるか?」など、話し合う機会が増え、利用者とのコミュニケーションを今まで以上に楽しむようになったと言う。
「にやりほっと」の取組みをまとめた本『できることを取り戻す魔法の介護』(にやりほっと探検隊:ポプラ社)には、このような、利用者とスタッフのユニークな「にやりほっと」の事例と具体的なケアの実践法が多数掲載されている。
次回は、「生活リズムのつくり方」、「できることリスト」など、家庭で気軽に実践できる「できること」を増やす介護ケアの実践法について具体的に紹介していく。
撮影/松本幸子 取材・文/網川晶子
長谷工シニアホールディングス:http://www.haseko-senior.co.jp/niyari-hotto/