《遠距離介護を7年経験》柴田理恵さんが東京と富山を行き来して気づいた介護の“最適解”「母ができないことだけをフォローすればいい」
親の介護はある日突然やってくると心構えしておきたいものだが、もし離れた場所に住んでいる親に介護が必要となったらどう寄り添うべきだろうか。遠距離介護を経験した俳優・お笑いタレントの柴田理恵さんにその答えを聞いた。
教えてくれた人
柴田理恵さん(66)/俳優・お笑いタレント
「生まれ故郷の富山を離れたくない」母親の強い意志で始まった遠距離介護
柴田理恵さん(66才)は、2018年から東京と地元の富山を行き来しながら遠距離介護を続けてきた。そして2025年1月、母・須美子さん(享年95)を見送り、ひとつの思いに行き着いたと話す。
「母は“私は私の人生を生きる。あんたはあんたの人生を生きなさい”という考えがしっかりある人でした。最期までそれなりに自立していましたし、生まれ故郷の富山を離れたくないという強い意志もあったので、私たちの場合は遠距離介護でよかったと思っています」(柴田さん・以下同)
須美子さんは40年近く小学校教員として働き、退職後は茶道の先生として地域に根ざした生活を送った。人望が厚く、教員時代の仲間や教え子、近所の人、親戚など多くの人に支えられて過ごしていたという。
「田舎の古い町ならではのよさがありました。母が3日間、スーパーに行かなければ“先生、大丈夫なの?”と自宅に訪ねてきてくれるし、“ゴミは重いから、集積場まで持っていきますよ”と言ってくださるかたもいて、恵まれていました」
できないことだけを手伝う
とはいえ、7年間の介護を振り返ると後悔もある。
「最初の頃は、何でもできていた親ができなくなることを受け入れるのが難しかったんでしょうね。 “自分は親より上”みたいな気持ちになって、勝手に部屋を片付けたり、“なんでこんなに散らかってるの?”と偉そうに言ってしまいました。でも相手は親。おむつのときから育ててもらったのに、親に対して“生きる能力が落ちた”と思い、態度で表してしまったのは失礼だったと思います」
介護を続けるうちに、行き着いたのは「できないことだけをフォローすればいい」という気づきだ。
「母はテレビの前や寝室など、あちこちに鉛筆とはさみを置いていました。私は“まとめて1か所に置いてよ”と言っていたけれど、いちいち取りに行くのが大変だからという母なりの理由があった。それが母の暮らし方だと思い、そこからは好きにさせていました」
母との時間は、柴田さんの生き方にも影響を与えた。
「私は母と違って趣味がほとんどないので、趣味を持ちたいと思っています。母は茶道だけでなく、謡曲が趣味でよく歌っていました。歌うと腹筋が鍛えられるからか、最期まで声がよく出ていましたね。だから私も、声を出すような趣味を始めたいです」
写真/柴田理恵さん提供
※女性セブン2025年12月25日・2026年1月1日号
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