「『ごきげん』は楽しい状態だけではない」オリンピック選手らにメンタル・トレーニングを提供してきたスポーツドクターが説く、穏やかに過ごすための「ごきげん道」
人間の気分は常に揺れ動いている。歳をとってもイライラしたり、不安になったり。感情に振りまわされて周囲に当たってしまい、自己嫌悪に陥ったり、知らず知らずのうちに対人関係が悪くなったりすることもあるだろう。そんな悪循環から抜け出し、穏やかに過ごすためには、まず心の仕組みを知ることが大切だ。
スポーツドクターとして、オリンピック選手から経営者、主婦まで幅広くメンタル・トレーニングを提供してきた辻秀一さんの著書『いつもごきげんでいられる人、いつも不機嫌なままの人』(サンマーク出版)から、心の仕組みについて一部抜粋、再構成して紹介する。
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心の状態は「ごきげん」「不機嫌」の2通り
まず、大前提として、人間には心があります。
でも心はさわれないし、見えないし、「ある」と言われても、どこにあるかはわかりません。医学の解剖の教科書のどこをさがしても、心の場所は書いてありません。
でも心があるとみんな知っている。
では、何があるのかというと、「心の状態」があるのです。
楽しいとか、苦しいとか、つらいとか、面倒くさいとか、これはみんな心の状態のことです。状態は定量化したり、“見える化”したりすることはできませんが、確かに心の状態はあります。
そしてこの心の状態は、大きく分けると2通りになります。
「ごきげん」か「ごきげんではない(不機嫌)」かです。
でもこれは、0か100かではありません。
「ごきげん」には「ちょっとごきげん」から「超ごきげん」まで幅があります。「不機嫌」にも「ちょっと不機嫌」から「超不機嫌」までいろいろある。
だから「ごきげんっぽい」と「不機嫌っぽい」に分けてもいいかもしれません。
とにかくこの2種類しかない。
私たちはいつも「ごきげん」と「不機嫌」の間を行ったり来たりしています。
ごはんを食べて、少しごきげんになって、友だちと会って、もっとごきげんになって、心の針がごきげんに傾きます。
でも次の瞬間、人に足を踏まれて、少し不機嫌に傾くかもしれません。
針がものすごくごきげんに振れていたり、ものすごく不機嫌に振れていたりすると、とてもわかりやすいのですが、「ちょっとごきげん」とか「ちょっと不機嫌」という微妙な状態のときもあります。
だから意外と自分の心の状態に気づくことは難しいのです。
でも必ず心はこの針のどこかの位置にある。そういうイメージを持っていただくことが大切です。
「ごきげん道」は、自分の心の状態をごきげんのほうへ持っていく生き方ですから、みなさんにはまず、自分が今どんな心の状態にあるのか、自分の感覚でつかんで感じられるようになってほしいのです。
といっても、さきほどお話ししたように心の状態は定量化できませんし、自分がいま何ミリごきげんか、などというのはわかりません。
だから何となく、今ごきげんかごきげんじゃないか、気楽に、ライトに、それを感じられるようになれば、それでいいと思います。
ごきげんは「楽しい状態」だけではない
ところで「ごきげん」と言うと、ウキウキ、ワクワク、楽しい状態でなければいけないと思ってしまう人もいます。
でも私が言う「ごきげん」とはもう少し幅が広いんです。
ゆらがず、とらわれず、余裕がある感じも「ごきげん」です。集中とリラックスが共存している感じも「ごきげん」です。
反対に「不機嫌」は、余裕がなくて焦っている感じだけでもありません。
何かにとらわれて集中力を失っていたり、心がざわついたりしている感じも「不機嫌」に入ります。
「ごきげん」か「不機嫌」かは、心理学用語で「フロー」か「ノンフロー」か、と言い換えることができます。
フロー、ノンフローという概念はシカゴ大学の心理学の教授だったチクセントミハイ博士が提唱したものです。博士は、人間が何かに没頭しているときは、抜群の集中力を発揮し、喜びに包まれると言っています。
この心の状態がフローです。
みなさんも何かに没頭し、時間が経つのも忘れていた、という体験をしたことがあると思います。
「ひとつの活動に深く没入しているので、ほかの何ものも問題とならなくなり、その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすようになる心の状態」を博士は「フロー」と名づけました。
このフロー理論はスポーツやビジネスに応用され、画期的な成果をあげています。
このフローをもっと突きつめると「ゾーン」になります。スポーツをやっている人だったら、聞いたり、経験したりしたことがあるかもしれません。
ゾーンに入ると、何をやってもうまくいく気がして、不安も焦りもなく、気持ちが集中して、自分が持てる最大の能力が発揮できます。
ゆらがず、とらわれずの究極の状態、つまり無に近い状態です。
チクセントミハイ博士の提唱するフローや、スポーツの世界で語られるゾーンの概念は、私の言う「ごきげん」よりは、もう少し狭義の意味で使われている特別な心の状態です。
最もフローな状態であるゾーンをいきなりめざすことはとても難しいと言わざるをえません。スポーツ選手でも、「ゾーンに入らなきゃ」と思うあまりに、かえって心がゆらいで「ノンフロー」になっている選手がたくさんいます。
私はもう少し気楽な感覚でいいと思っています。
チクセントミハイ博士の言うフローやスポーツの世界で言うゾーンまで行かなくても、「ごきげんっぽく」なればいい。
もっと言えば、「不機嫌っぽい」にいても、わずかでも針が「ごきげんっぽい」のほうに切り換えられれば、立派に「ごきげん道」を歩いていることになります。
教えてくれた人
辻秀一さん
スポーツドクター。慶應義塾大学病院内科、同スポーツ医学研究センターを経て独立。応用スポーツ心理学とフロー理論を基にしたメンタル・トレーニングによるごきげんマネジメントが専門。セミナー・講演活動は年間200回以上。年に数回の「人間力ワークショップ」は経営者、アスリート、音楽家、主婦など全国から参加者が集まる。
サポート実績に、EY Japan(株)、積水ハウス(株)、三井不動産(株)、ハウスコム(株)、コマツカスタマーサポート(株)など多数の企業にウェルビーイングやごきげん学を提供している。2024年パリオリンピックでは出場選手12名のメンタルトレーニングを担当し、うち3人が金メダルを獲得。現在は2026年冬季ミラノ・コルティナオリンピックや2028年ロサンゼルスオリンピックを目指すオリンピアンたち、サッカー・大相撲・女子ゴルフなどのプロアスリートをサポートしている。日本バドミントン協会とはメンタルサポート契約を締結し、日本サッカー協会のプロライセンス講座、大学体育会、中高部活、その他にヴァイオリンやピアノなど音楽家や教育界も多数サポート。著書に40万部突破のベストセラーの『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)、『「機嫌がいい」というのは最強のビジネススキル』(日本実業出版社)、『チームワークの大原則「あなたが主役」で組織が変わる』(WAVE出版)、『個性を輝かせる子育て、つぶす子育て』(フォレスト出版)など多数。日本代表アスリートたちが子どもたちにごきげん授業をする一般社団法人Dialogue Sports研究所(Dispo)を展開。またライフスキルについて対話し「ごきげん道」を一緒に歩むコミュニティ“BA”を主宰。http://www.doctor-tsuji.com/
