【連載エッセイ】介護という旅の途中に【 第40回 新しい家族を迎えて】
写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した母と千葉・勝浦で暮らす飯田さんが、母との日々を美しい写真とともに綴ります。
新しい家族との暮らしが始まった
仔犬がやってきた。
それも、3年前に天に旅立った愛犬ナナの従姉妹の犬が産んだ7匹のうちの1匹が不思議なご縁で我が家の新しい家族になってくれることになったのだ。
長野県高山村の標高1700mを超える山田牧場。その老舗「見晴茶屋」で飼われているアッシュが仔犬の母で、実はナナ亡きすぐ後に、犬の面影にすがるように見晴茶屋を訪ねたことがあった。
その時、「そろそろ子供を産ませないと7歳になるからね、いい雄とのご縁はないかしら?」という話題が出たこともあり、ナナの故郷、和歌山・太地町の里親さんにもその旨を伝えたという経緯がある。
「4月1日に仔犬が産まれたみたいよ、飯田さんもし飼うなら今がチャンスでは?」
そんな電話をくれたのも太地町の里親のSさんからだった。10年連れ添った犬、ナナは本当に賢い犬だった。思えば父の看取りの時もずっと一緒だった。“介護”という視点でも、動物の仲間がそばにいるということは介護する人、介護を受ける人双方にとって大きな恵である。
これまで保護犬の譲渡に関するホームページを幾度ともなく見て、問い合わせもしたこともあった。でも、90代と60代の家庭では引き取ることは無理なようだったので、犬をまた飼うことを諦めかけていた矢先のことだった。
実は、4月4日に私は友人と長野の松本に桜見物に訪れていたのだが、その翌日の朝、吉兆のような虹が山にかかっていた。その虹を眺めながらナナのことを思っていた。旅立ちから3年が経ち、哀しみは収まったものの、ナナはいつも私の心に寄り添っていた。言葉を介さない犬との会話。彼女がその仕草で教えてくれたことを思い出しては心が和むのだ。
松本から勝浦へ戻り、その数日後に仔犬の連絡を受けた。その時、咄嗟に「あの虹は仔犬とのご縁のサイン?」と感じた。
こじつけに過ぎないのだが、新たな命と向き合う覚悟として(特に60歳を過ぎて)、神様の後押しのようなものが必要だったのかもしれない。そう、これは運命のご縁なのだ、と。
かくして、新生児を迎えるようにして、仔犬を迎える準備を始めた。母にも「仔犬が来ますよ!」と何度も伝える。
「あら、そうなの、ここは夜が怖いから犬がいるほうがいいねえ」と母。
「キョンの被害も少なくなると思うし」と私。
時間を見つけてはインターネットで必要なものを揃える。躾に関しても今や情報が豊富なことに驚く。YouTubeでは仔犬のトレーニングに関するコンテンツもよりどりみどりだ。
「何でも噛む仔犬の癖の対処方法!」「仔犬を迎えるにあたってのABC」などなど…
さあ、母の介護と仔犬育ての二刀流、うまくできるのだろうか?内心不安もあったので、ケアマネさんに相談すると
「1人暮らしの方ですが、認知症老人とペットの関係は確かに難しいんですよ。ずっと飼っていた犬を何処かにつないだまま忘れて帰ってきてしまって、悲しい結末になった事故が最近あったばかりなんです。本当にずっと飼っていた犬だったのに忘れてしまうのですから…」
と、話してくれた。
「以前、私は母に犬の世話を1日任せて外出したりしていたのですが、絶対にしないようにします!自分で連れて行くか、ペットホテルに預けるかにしなくては」と話し、覚悟を決めた。
仔犬とはいえすでに体重は7キロ近くあるハル君がやってきた。
母=93年と3か月生きてきた人間。ハル=産まれてから3か月の犬。母=覚えてきたことをどんどん忘れてゆく。ハル=毎日新しいことを覚えてゆく。両者の共通点=なかなか言葉が通じない。
ショートステイに行く前に母の髪を切ると、ふわふわした白毛が仔犬の毛触りと同じ感触だった。私の中で両者の感覚が入り混じる。
昼下がり、居間にハルの昼寝姿、隠居部屋では母がお昼寝。寝息の狭間に庭でホーホケキョ。人以外の生き物と同居すると、いくら現実の暮らしに大変さがあっても平和なムードに変えてくれる。
ハル君の甘噛みと母のケガ
ヤンチャ盛りの仔犬の成長は速い。体重もぐんぐん増えてゆく。乳歯のせいで戯れて甘噛みもする。
母は普段は居間のソファーに座ることはないのだが、ハルをかまいたくてソファーに座ったその途端、ふと仔犬の歯が母の腕に当たった。「痛いつ!ダメ、やめなさい!」母がそう言っても犬にとっては相手にしてもらっていると勘違い。母の腕から血が滴った。私は急いで化膿止めの軟膏を母の傷に塗りバンドエイドを貼った。高齢者の皮膚の弱さは予想していなかった自分を反省した。
「居間に来る時には必ず腕カバーをしようね!あと、ソファーには座らないで」と以後注意。でもすぐに忘れる母にはその都度注意するしかない。
数日後、母がショーステイに行くと施設から連絡が入った。「看護婦さんが腕の傷を心配されて、もし化膿が悪化したら受診しますのでよろしくお願いします」とのことだった。
10日後自宅へ戻り、それからは母も気をつけるようになった。
そして、犬は人の機微に敏感な生き物なので、高齢の母といると仔犬ながらも静かになり、母が座る食卓の下で眠ったりしている。母も犬を今までずっと飼っていた時期が長いこともあり、扱いに慣れている。「お座り!ダメ、ノー。これはダメだよ」と諭している。
勝浦は黒潮の影響で夏でも涼しい場所として有名だが、いよいよ日中の暑さも35℃を超える日が続き、母も部屋で横になっている時間が増えた。水分補給や栄養面、室内温度には注意を払わなくてはいけない。
朝は卵も野菜たっぷりのお味噌汁やヨーグルトも完食してくれる。味噌は手作りのもの。昨年の夏にはコロナに感染してしまったので、免疫ケアのために朝食前には高麗人参茶を2人で飲む。昼、夜はタンパク質と野菜を必ず取り入れながらやや少食に。おやつには喉越しの良いゼリーや水羊羹、アイスクリームなど。水分も1日1~2回はオレンジジュースにビタミンCのパウダーを入れて飲む。少量であってもバランスを良く。もちろん冷凍食品やお惣菜も利用しているが、母も自分もまずは健康でありたい。そんな日々の成果が2人の血液検査、血圧などにも現れているのが嬉しい。
仔犬が来てからは否応無しに早起きにもなった。太陽と共に活動を開始し、夜には早く床に着く。
新たな仲間が増えて、介護生活に彩りと活力が添えられた夏がやってきた。
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。 (公社)日本写真家協会会員1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は千葉県勝浦市で母と犬との暮らし。仕事で国内外を旅し雑誌メディアに掲載。好きなフィールドは南太平洋。最近の趣味はガーデン作り。また、世田谷区と長く友好関係を持つ群馬県川場村の撮影も長く続けている。写真展に「海からの便りII」Nikon The garelly、など多数。
写真集に「海からの便りII」「長崎の教会」『Bula Fiji」など。