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連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第14回 突然のお別れ」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。

 老老介護をしていた両親のサポートを続けてきた飯田さん。昨年父が亡くなり、それと時を同じくして、母にも認知症の症状が現れた…。一人暮らしになった母を気にかけながら仕事をする飯田さんだったが…

→第13回を読む

 * * *

愛犬の死

 愛犬のナナが急逝した。

 10歳だったので、ボーダーコリーの寿命としては、やや早めだ。

 ナナの死は、青天の霹靂だった。

 思えば、旅だった日の3日前、いつものように勝浦の灯台の近く、海が見渡せる場所の散歩が最後となってしまった。季節外れの避寒桜がポツリポツリと枝にピンク色の花を咲かせていたのが記憶に残る。

 いつも通りお気に入りの枝ぶりの棒を見つけてきて、私に投げろと催促し、それに応じて遠くへ棒を放ると一目散に駆けていき、また棒をくわえて戻ってくる。犬なりの笑顔で、はしゃいでいた。

 幼い頃からノーリードで棒やボール、フリスビーで遊んでいたので、筋肉は引き締まり、毛艶も良く、老犬に見られたことすらなかった。

 しかし…、その最期はあっけなかった。母の腕の中で逝ってしまった。

 夕方には勝浦へ行く予定をしていたその日、昼間に打ち合わせを終えた時に、携帯が鳴った。母からだった。

 いつものように、途中で買ってきて欲しいもののリクエストに違いないと思いながら電話をとると、母の声が震えていた。

「ねえ、ナナちゃんがね、なんだか死んだみたいなの…。庭でボール遊びをお隣のおじさんとして、すぐ部屋に入ってきてしまったと思ったら、今まで聞いたこともないような声で大きな口開けて大声で鳴いて、目がまん丸になってて、緑色してて…。少ししたらグッタリしてもう動かない…。まだ体温はあるけど、どうしよう――。ねえ、すぐに来て!!」

 予期せぬ話に、私の心拍数は一気に上がった。

 でも、ここで私が動揺しては、母をさらに動揺させてしまう。母を落ち着かせなくては、と自分に言い聞かせた。いつか、そういつかは別れがやってくる、それが今になったのだ。

「すぐに勝浦に行くから落ち着いてね」と母に話す。

「あんたがいない時に、どうしよう…。お隣さんも朝からいないし…」と母。

 その言葉に、はっと、母が認知症だった事を忘れていていけない、と気づいた。

 すぐに、いつもナナと遊んでくださるお隣の旦那さんに電話を入れた。

「40分くらい前にナナちゃんと僕がボールで遊びましたよ。確かに1回だけですぐに家に入ってしまいました。今、様子見に伺います!」とのことで、家を見に行ってくださった。

 やはりナナは絶命していると……。再確認となった。

 午後に予定していた打ち合わせを急遽キャンセルし、勝浦へ向かう。

「飯田さん、こういう時こそ、しっかりと気をつけて運転していってください」

 仕事仲間の声かけに助けられた。

 心の準備などできない。ただただ。涙が溢れだす。心が崩壊しそうだった。

 友人、叔母にも電話をし、人に話すことでなんとか心の整理に努めた。誰かと話していないと心が持たなかった。

 愛犬との死別体験がある友人が、夜には来てくれることになった。到着すると、いつものナナがお気に入りの場所に遺体が横たわっていた。

「あなたがいない時にこんなことになって。もうショックだよ…」

「ナナ!ナナ!」

 まだ少し体温が残るナナを抱え何度名前を呼んでも、もう動かない。

 毛並みは艶やかに美しく、その瞼は開き、光が入り輝いている。一種崇高な獣の美しさをたたえたナナだ。まるでそこで休んでいるかのようだった。

 父の時は、数年の間に少しずつ身体機能が衰えていった。間質性肺炎という病気のため、酸素摂取量が減っていくのが目に見えて、父自身も、看取る方も、双方に心の準備を整える時間が十分すぎるほどあった。

 しかし、愛犬ナナの死はあまりにも突然すぎた。言葉を交わさずとも心と心で寄り添ってきた相棒、親友、娘のような存在を失った私の心は、ぽっかりと穴が空いたようだった。

 ナナに「介護犬」として頼っていた自分を責めるしかなかった。ナナは、やはり私との時間が少なくなり寂しかったではなかったか――?

 ナナの、小さな命の灯火が消えてしまった。

「私も飼い猫が突如死んだ時は、父の死より悲しかった。涙が止まらなくてね」とペットロス体験を持つ友人も言う。

 台風15号の後、母は一人で夜を過ごすことに不安が強くなり、「ナナがいてくれると安心できる」と、ナナをとても頼りにしていた。

 ナナも実は隠れた心臓の疾患、老化に伴う健康の問題もあったのかもしれない。でも、元気に遊ぶ姿や表情からは全くそんな気配を察知することはできなかった。

ナナを失ったことを、すぐに忘れてしまったかのような母

 その夜、友人が仕事の後、来てくれて、ナナを火葬にするための準備を整えた。

 そして、友人と3人で簡単な夕食を摂ろう、と支度をしていると、母はその友人相手に自分の若い頃の話を嬉々としはじめた。いつものように、神田で生まれ、丸の内の外資系企業で務めた、という青春の話だ。

 私は台所に立ちながら、数時間前にナナを失ったことそっちのけで滔々と語る母の明るい顔を眺め、傷ついていた。

 母の認知症は、悲しみを認知できず、すぐに忘却の彼方にしてしまうのか……。

 老いた体に悲しみほど辛いことはない。忘れるというのは、それを自己防御する適応力のひとつに違いない。

 私はついに、複雑な胸のうちを抑えきれずに言った。

「ママ!ついさっきナナが…、私の愛する娘のような存在が死んだのよ!お願いだから、自分の話ばかりしないで!お願い、今夜だけは、しないで!」

 母は、「あ、ナナちゃん死んだんだったね。」と言って口をつぐんだ。私は友人と目配せをした。

 認知症の行動、言動は、時に、一緒にいる人に耐えられない感情をもたらすのかもしれない。我が家のようなやりとりの末、暴挙に出る人がいるのかも…、と想像してしまう夜となった。

 同じ年齢の母親の介護をする友人にその話をすると、

「そうそう、そうなのよ~。私はね、母はお悔やみの席には絶対連れていかないの。だって親戚とベラベラ喋って、もう宴会になっちゃうのよ。」と、ため息をつく。

再び始まった母との同居

 ナナの死後、母はもう一人で勝浦の1軒家にいることもできず、やむを得ず、我がマンションの部屋での同居も始まった。

 私は、災害復興支援のための写真展の準備もあり、慌ただしい日々が過ぎていった。

 そうこうしているうちに、あっという間に父の一周忌もやってきた。

 昨年の今頃、父を見送った時はナナもいてくれた。どんなにか心の支えになってくれていたか、今になってさらに想いは募る。

 父の一周忌にあわせて、船橋で開業していた父のクリニックに長く勤めていた看護師さんお2人が我が家に来てくださった。

 母も久々の再会に、色々と父の思い出話に花が咲いた

 父の最期の日々の写真に写っていた、父が作り出していた紐のオブジェや、ティッシュを水で洗い、2枚を1枚に剥がして干していた姿を見て

「先生は、手術の時、膜を剥がすのに、時間をかけてゆっくりやるのがコツだ。とか、絡んだ紐も時間をかければ解けないものはない、とよく話していました」

 と話してくれた。父の奇妙な行動に裏付けがとれた。なるほどと、ようやく合点した。

 日々、父の遺影に話しかけても、何も返ってこない。

 実はそのくらい、私は父と会話をしたことがなかったことに今更気づく。

 ある意味、放任主義で自由だったが、何を問いかけても、父ならこう答えたはずだ、と言う言葉が心に浮かんでこないのだ。かと言って、それを寂しいとも思わない不思議。

 しかし、父がこの世を去り一年が過ぎた今になって「何事も急がずにゆっくりやれば失敗はない」とのメッセージがもらえた気がした。

「家族」という言葉には、「愛」や「温もり」と言う形容詞がよく似合うが、それは理想の言葉かもしれない。

 実は、かなりの「忍耐」あって、ようやく理想は実現化するのだ。

 父の一周忌直前の愛犬の急逝。ふと見渡すと部屋には死者の顔写真ばかりが飾ってある。

 そして、さらにまた様々な変化を余儀なくされそうな母との日々が始まった。

(つづく)

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

 

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