兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第203回 ついに兄に逆ギレされました】
家中、思わぬところで排泄をしてしまう若年性認知症の兄。一緒に暮らすライターのツガエマナミコさんの気が休まるときは、なかなかありません。兄は、いつも穏やかで感情を表に出すことはないのですが、このたび、怒りをあらわにする場面があったというのです。
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ブチギレた兄
夜10時過ぎ、兄がベランダに向かってズボンを下ろしていたので、「何やってるの?」と尋ねたら「何もしてないよ」とおっしゃるので、「でも、ズボン下ろしてたよね」と少し嫌味を込めて申し上げました。再び「何もしてないよ」とおっしゃるので、ベランダをチェックしながら「オシッコしてないでしょうね?」とブチブチつぶやいておりますと、「何言ってるの? やってないって言ってるだろ!」とキレられました。
わたくしもよせばいいのに大人げなく「そうか、お兄ちゃんはそんなことしないよね。したことないよね~」と火に油を注ぐように嫌味爆弾を投下。すると「そうだよ!」とブチギレる兄と対峙。
「でも、やってるからね。忘れちゃうだけなんだから」の言葉に「ああ、そうだね! バカだからね!」と兄は憎々しげにわたくしを横目で睨んできました。
わたくしは兄がこんな風に感情的になるのをあまり見てこなかったので、「ああ、怒ることもできるんだ」とちょっと安堵いたしました。少なくとも久しぶりに会話(言い合い)が成り立っていたことが新鮮でございました。
とはいえ、怒らせてしまったことは恐怖でございます。何をするか分からない病人でございますから…。ふと先日のカッターがたくさん入った箱(第202回)を思い出し、兄の目に届かない場所へ撤去しておいた自分に拍手喝采でございました。
いつもは水切り籠に置きっぱなしの包丁も、その日はキッチンの包丁ホルダーにしっかりロック。刺しに来ることは99.999%ないと思いましたが、0.001%のことが世の中にはあるので用心に越したことはございません。
玄関の戸締り、外出防止のための門扉のチェーンを確認して、わたくしは自室にこもりました。いつもなら度々部屋を覗きにいらっしゃる兄が、その夜は一度も現れず、いつの間にか自分の部屋に行っていました。
翌朝は、もちろんリセットされておりまして、いつもの朝でございました。
こういう点が認知症は楽ちんでございます。一切覚えていないのでわだかまりを翌日に引きずらないわけでございます。まぁ、わたくしの方は記憶が残る分、わだかまりも残るわけで、リセットにならないのでございますが…。
この朝は、布パンツを渡すとウエストのゴムからTシャツを着るように左右の穴に腕をお通しになりました。その後どうするのかと拝見しておりましたら、そのまま頭からかぶるではありませんか。穴には腕が入っているので、頭が出る余地はどこにもございません。それでも顔を出そうともがく兄に「パンツは穿くものですけど」と申し上げてみたのですが、わかってもらえません。「こっちか?」と初めからやり直すものの、どうしても腕を通してしまい、バンザイ状態で顔をパンツに突っ込む兄。「パンツは脚から穿くものですけど」と教えて差し上げましたが、やはりピンとこないようでしたので、布パンツを兄から受け取り、足元でゴムを広げて待機いたしました。すると穴に脚を通してくださいました。
物心ついてから、もっともなじみ深いはずのパンツをTシャツだと思って着ようとするとは、どれだけ記憶細胞が消滅しているのでありましょうか。
「人が生きている意味は何でしょうか?」
お坊さまにそう問いかけた人がいました。お坊さまはこう言いました。
「人はとかく、何かを成し遂げたい、人の役に立ちたい、意味のある人生を送りたいと思うものでございます。それができればそれがいい。でもなにもできなくてもいい。呼吸をしているだけで二酸化炭素を排出し、草花たちはそれを吸って酸素を作るのですから」
呼吸する、たったそれだけでも生きている意味はあるというお話でございました。もっといえば、わたくしども人間の体は、宇宙の一部であって、突き詰めれば”自分のもの”とも言い切れません。コントロールしきれなくて当たり前。立派な人間になろうなどと人生を大げさにとらえて、息苦しくなる必要はございません。ツガエは今、風のように軽やかに生きることを目指しております。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ