高木ブー3年ぶりにハワイの舞台に出演!「青空の下、思ったこと」を現地報告|連載 第89回
3年ぶりのライブ開催となった「ウクレレピクニック・イン・ハワイ」(現地時間:2月17~19日)。ホノルルの空に、高木ブーさんの演奏と歌声が鳴り響いた。今やウクレレ界のレジェンドとなった「Boo Takagi」のまわりには、常に世界のウクレレ仲間たちの笑顔があった。ハワイを満喫するブーさんからの現地報告をお届けします。(聞き手・石原壮一郎)
ハワイの空の下で弾くとウクレレが喜んでくれるのを感じる
アロハ! 今日のハワイは昨日までの雨模様が一転して、きれいな青空が広がっています。ハワイでしか見られない空の青さで、その空が映っている海の青さがまたきれいなんだよね。「ああ、ハワイに来たなあ」って実感してます。
最初の3日ぐらいは、初めて経験する寒いハワイだったんだよね。「ウクレレピクニック・イン・ハワイ」の1日目に予定されていたモアナサーフライダーホテルでの「ウクレレ・スペシャルライブ」は、雨天中止になっちゃった。ソロ中心でやる予定で楽しみにしてたけど、まあ天気ばっかりはしょうがない。
その分、2日目にアラモアナセンターのセンターステージに「1933ウクレレオールスターズ」で出場したときは、いっそう気合いが入った。満員の観客の前で、関口和之君が去年作った「恋する第三京浜」から始まって、「真夏の果実」「コーヒー・ルンバ」「ダンシング・ヒーロー」、「パパの手」、そして締めくくりはいつもの「いい湯だな」で盛り上がった。
ハワイの空の下で弾くと、ウクレレが喜んでくれているのを感じる。帰国までまだ数日あるから、いい天気になったことだし、青空の下でいっぱい弾いていこうと思います。80代最後のハワイだから、今までのことをゆっくり思い出したりしながらね。
「いい湯だな」はハワイの人も知ってくれているんだけど、ドリフの番組がこっちでも放送されていたのかな。もともとは、作詞・永六輔さんと作曲・いずみたくさんのコンビが作って、デューク・エイセスが歌った〈「にほんのうた」シリーズ〉のうちの一曲だった。群馬県のご当地ソングとして、1966(昭和41)年に発表されたんだよね。その2年後に、ドリフがデビューシングルを出すときにカバーした。最初は「ズッコケちゃん」っていう歌のB面だったんだよね。こっちが有名になって、あとからA面になったけど。
ドリフバージョンの歌詞では、登別とか別府とか全国の温泉地が出てくる。でも、最初のデュークバージョンは群馬県の歌だから、伊香保とか万座とか群馬県の温泉地しか出てこない。草津はどっちにも出てくるけどね。あれ、ハワイの話をしていたはずなのに、いつのまにか群馬の話になっちゃった。まあいいか。
前にハワイに来たのは3年前の2020年2月で、日本に戻ると「コロナ」とか「クラスター」っていう聞き慣れない言葉をあっちこっちで目にするようになった。世の中がどんどん騒がしい感じになってきて、そして翌月には志村があんなことになっちゃった。
じつは、2月に志村の誕生日パーティーがあって、マネージャーに「サプライズゲストで来てもらえませんか」って言われてたんだよね。ハワイから戻るのがあと1日早かったら参加できたんだけど、タイミングが合わなかった。そのときは「また来年もあるからいいか」と思ってたんだけど。「また」っていうのは、アテにならないよね。
つくづく思うけど、今回こうやって大好きな仲間と一緒にハワイでステージに立てるのも、ハワイという素敵な場所と深い縁ができたのも、この年齢になるまで現役でがんばっていられるのも、もっとさかのぼれば、長さんに声をかけられてドリフのメンバーになったのも、みんなウクレレのおかげなんだよね。ウクレレはまさに僕の人生の相棒です。
ウクレレとの付き合いが深まっていったのは、たくさんの偶然の積み重ねだった。どれかひとつの偶然が欠けても、こんなに仲良くなっていない。15歳の誕生日に昇司兄ちゃんが「ほんの気まぐれ」でウクレレをプレゼントしてくれたこと、知り合いの増田さんに誘われて柏の夏祭りのステージに立ったこと、同じクラスに抜群にウクレレが上手い古川君が転校してきたこと……。すべての偶然に心から感謝してます。
ただ、目の前の偶然を生かすかスルーするかは、結局は自分が決めてるのかもしれない。昇司兄ちゃんがウクレレをくれたときに、「いらないや」と思って誰かにあげてたら、そこで縁は切れてた。古川君に対して「俺よりウクレレが上手いなんて生意気だ」と反感を抱いていたら、彼と仲良くなることはなくてウクレレにもすぐ飽きてたかもね。
僕はウクレレに限らず、常に「無理せず流れるままに」をモットーにやってきた。それでも気がつくと、ウクレレとずっと一緒にいる。それどころか、一時期は単なる趣味だったのに、「高木ブーといえばウクレレ」と思ってもらえるようになった。人生って、自分がやりたいほうや向いているほうに流されるようにできているのかもしれない。
3月8日で、いよいよ90歳を迎える。これからも相棒のウクレレと一緒に、プカプカといろんなところに流れて行けたらいいな。引き続き見守っていてください。
ブーさんからのひと言
「ハワイの空の下で、仲間たちとステージに立ててとっても幸せです。3年ぶりのハワイ、この3年間に起きたことを振り返るといろんな気持ちになります。でもね、ハワイの青い空は、“のんびり、前向きに”と僕に教えてくれました」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)、『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。同チャンネルでは期間限定で「ドリフ大爆笑」の名作コントのデジタルリマスター版を続々と配信している。毎月1回ニコニコ生放送で、ドリフとももクロらが共演する「もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~」が放送中。3月20日に『高木ブー画集RETURNS ドリフターズよ永遠に』(ワニ・プラス、2,700円+税)が発売!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。『大人養成講座』『大人力検定』など著書多数。1月26日に最新刊『無理をしない快感‐「ラクにしてOK」のキーワード108』(KADOKAWA)が発売。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。