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暮らし

上野千鶴子さんが見たドヤ街・山谷の介護と看取り「実は理想の福祉を実践する場」

 現在、ひとり暮らしをしている65才以上の人はおよそ700万人。今後ますます高齢化が進み、独居の人も増えていくなかで、果たしてその人たちの介護を誰が担うのか。社会学者の上野千鶴子さんは長年、独居高齢者の介護や看取りの現場を歩き、『おひとりさまの老後』などの著書で紹介してきた。その彼女が今回初めて足を踏み入れたという山谷は、実は理想の介護を実践する場所だった。『マイホーム山谷』で小学館ノンフィクション大賞を受賞した介護ジャーナリストの末並俊司さんがレポートする。

山谷地区のドヤの一室で「ここは安心なんだ」

「ちょっとおじゃましていいですか」

 訪問看護師の後に続いて部屋を覗き込んだのは、社会学者で東京大学名誉教授の上野千鶴子さん。

「せまいところだけど、どうぞ」

 末期の肺がんを患う久田さん(仮名・84才)が痩せた体を起こして応える。3畳一間の室内で、久田さんは介護ベッドの上にあぐらをかく。看護師がベッド脇に立てば、残されたスペースは少ない。

 ここは東京の山谷(さんや)地区にある簡易宿泊所(ドヤ)の一室だ。

 担当の看護師が、久田さんの血圧や脈拍などのバイタルチェックを済ませる。聴診器をお腹に当てながら、久田さんの体調を確認していく。

「お通じはあったようだし、具合は良さそうですね」

 そんな看護師とのやり取りの合間に、上野さんは「よく眠れてますか?」「ヘルパーさんはいい人?」と声をかける。

 相手を気遣いながら心理的な距離を縮めていくのは、長年にわたって福祉や介護現場のフィールドワークを続ける上野さん流だ。会話のキャッチボールを通して、久田さんの表情は次第に明るくなった。

 すると久田さんは、上野さんに向かってこんな話を始めた。

「この看護師さんとはね、もう10年以上の知り合いでさ、ずっと世話んなってんだ」

「じゃぁ安心ですね」と話しかける上野さんに対し、久田さんは嬉しそうにこう微笑んだ。

「そう、安心。こういう人たちがいるから、ここ(山谷)は安心なんだ」

ドヤ街・山谷「労働者の街から福祉の街」へ

 JR南千住の駅を降り、南東方向に目をやると、遠くに東京スカイツリーの姿が望める。そちらに向かって5分ほど歩くと、荒川区から明治通りを越えて台東区に入り、その先にいわゆる「ドヤ街」が広がる。山谷は大阪府の西成(にしなり)、神奈川県の寿町(ことぶきちょう)と並ぶ三大ドヤ街のひとつだ。

 ドヤとは宿をひっくり返した隠語で、「宿にも満たない宿」のようなニュアンスを含む。かつてドヤ街は第二次大戦後の復興期から高度成長期へと至る日本の経済発展を支える労働者たちの送り元として機能し、1泊2000~3000円の低料金で泊まれるドヤに身寄りのない日雇い労働者たちが集住してきた。

 最盛期はオリンピック景気に沸く1964年。わずか2平方キロメートルの場所に222軒のドヤが集中し、約1万5000人が宿泊していたが、バブル崩壊以降は日雇い仕事が激減。現在ではドヤも100軒程度まで減り、定住する人の平均年齢は67.2才まで上昇した(2018年)。かつての労働者たちは年を取り、介護や医療の助けがなければ生活できない高齢者が増えた。

 そうした生活に困窮する人たちを支援するため、山谷には医療や介護の事業者、ボランティア団体が多く集まっている。それらの団体が互いに連携し合うことで、独自のケアシステムが形作られている。

山谷の福祉「現場を見たい」と上野千鶴子さん

 10年ほど山谷に通い、福祉の現場を取材してきたライターである私は、そのケアシステムを拙著『マイホーム山谷』(小学館)にまとめた。この街の福祉は、上野千鶴子さんの目にはどう映るのだろうか――。

「おひとりさま」をキーワードに、老後や看取りのあり方を問い直す上野さんはこの日、山谷地区を初めて訪れ、訪問看護や民間ホスピスなどの現場を歩いた。

 上野さんに拙著の感想を伺いたい、と依頼すると、まず現場を知りたいと現地訪問を“逆提案”していただいたのだ。

 上野さんは2000年に介護保険制度がスタートする直前から、介護の現場でフィールドワークを重ねてきた第一人者だ。親の介護を経験し、自らが74才でひとり暮らしをする上野さんは、2007年のベストセラー『おひとりさまの老後』(文春文庫)でこう書いた。

<超高齢社会で長生きした人は「みーんなシングル」の時代、がすぐそこまで来ている。ひとりで暮らす老後を怖がるかわりに、ひとりが基本、の暮らしに向き合おう>

 山谷には、家族と縁が切れてしまった「おひとりさま」の元労働者や路上生活者が多く暮らす。冒頭の久田さんのように終末期のがんや、認知症を患っている人も多い。まさに山谷の地は「おひとりさま」の時代を先取りした場所といえる。

 国は地域内での支え合いの重要性を説くが、その仕組み作りはうまくいっていないのが現状だ。それでも、山谷の地では独自のケアシステムが人々に寄り添い、計画的なケアを提供することで「安心」できる老後生活を実現している。この街の姿は上野さんの目にどう映るのか、街を歩いた様子をレポートする。

訪看やヘルパーが「在宅ひとり死は可能」と語る

 冒頭の久田さんをケアしていたのは、訪問看護ステーション「コスモス」の看護師だ。コスモスは介護保険制度がスタートした2000年に発足し、現在は看護師を中心に約60人の職員が在籍している。

 訪問看護は今でこそ広く知られているが、2000年当時は介護保険制度の認知度も低く、

「利用者さんも『訪看って何をしてくれるの?』という状態だった」と上野さんが解説する。

「当時は看護師さんが自宅に訪問して、看護をしてくれる、というニーズがまだなかった時代。コスモスは利用者さんを発掘することから始めた、まさにパイオニアです。私がフィールドワークを始めた頃、『住み慣れたおうちでひとりで死ねますか?』と聞いても、現場から『家族がいないと難しいですね』という答えが返ってきました。それが今では、訪問看護師さんやヘルパーさんから『在宅ひとり死は可能です』という返事に変わりました」

 最期の時まで住み慣れた場所で暮らしたい――。

 近年増えているそうしたニーズに応えているのは、訪問医療・看護を担う人々だ。コスモスでは、近隣の民間ホスピスや、生活保護を受けてドヤやアパートで暮らす利用者を訪問している。

看取りも行う民間ホスピス屋上の「お御堂」

 コスモスから徒歩5分の場所に民間ホスピス「きぼうのいえ」がある。2002年に設立された同施設は、4階建ての21室。生活に困窮する人から終末期のケアを必要とする人まで幅広く受け入れ、これまでに200人以上の利用者を看取ってきた。

 上野さんと一緒に、3階に住むマサヨさん(仮名・94才)の部屋を訪れた。

 若い頃は浅草で芸人をしていたといい、部屋には五木ひろしのポスターや芸人時代の思い出の写真などが壁中に貼られ、いかにも生活を楽しんでいる様子が窺(うかが)えた。マサヨさんはきぼうのいえのスタッフの支援と、コスモスの訪問看護師やヘルパーによる訪問サービスを受けて暮らす。かつて培った三味線の腕を、施設内で今でも披露するという。

 同施設の屋上には、スタッフが「お御堂」と呼ぶ小部屋がある。入り口正面には十字架、両側にはイエス・キリストのタペストリーが飾られている。

 上野さんはお御堂の中に並べられた無数の写真の前に膝をつき「これだけの人たちを、ここで看取ってきたのね」と感慨深げだ。

「十字架もあれば、木魚とお線香もあるのが面白いわね。ここはどんな宗教でも分け隔てがないということですね」

 きぼうのいえの利用者にも、家族と縁が切れたおひとりさまが少なくない。看取った後に引き取り手のないお骨は、山谷の寺院・光照院の共同墓地に埋葬する。多くの入居者に看取られ、この世を去った後も誰かが面倒を見てくれるという事実が、安心感に繋がっているのだろう。

取材・執筆

末並俊司さん

1968年、福岡県生まれ。介護ジャーナリスト。2006年からライターとして活動。両親の在宅介護を機に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を取得。介護・福祉分野を専門に取材を続ける。

上野千鶴子(社会学者)さん

1948年、富山県生まれ。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。著書に『おひとりさまの老後』『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ』など。

撮影/大塚恭義

※女性セブン2022年7月28日号
https://josei7.com/

●介護施設訪問レポート|医療依存度の高い高齢者が最期まで過ごす医療連携型の有料老人ホーム<前編>

●杉田かおるさんが明かす在宅介護と看取り「私の生き方を変えた母との時間」

●看取り士が見守り、寄り添うことで本人も家族も豊かな最期が叶った実例

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