看取り士が見守り、寄り添うことで本人も家族も豊かな最期が叶った実例
余命宣告を受けた本人やその家族からの依頼を受けて、彼らの遺された時間を充実させ、死への恐怖を和らげ、最期は抱きしめて看取ることを促す看取り士。豊かで温かい死を迎えるために活動する看取り士についてをレポートする3回目は、実際の看取りの現場をご紹介。一般社団法人『日本看取り士会』会長の柴田久美子さんに聞いた。
おひとりさまを元気なときから見守る
「全ての人が 最期、愛されていると感じて旅立てる社会づくり」という理念を掲げ、活動を続ける看取り士会。
利用者が看取り士を依頼するタイミングはそれぞれだ。
たとえば、おひとりさまの場合、元気なときから「見守りサービス」を依頼することが多い。現在、一般社団法人『日本看取り士会』では、セコムと連携をし、おひとりさまの見守りをしている。その利用者が余命宣告を受けたり、体力が著しく減退したりした場合に、自宅介護や看護を希望するのか、施設に入るのかなどを相談し後、希望に沿ったお世話をする。ケアマネジャー、訪問看護師、訪問介護士と、看取り士と共同で活動をする「看取り士会」から派遣される“エンゼルチーム”だ。
エンゼルチームは旅立つ人の近隣や市町村内の地域の人達及び看取り士のたまごで組織され、無償ボランティアで見守り、寄り添いを行っている。
また、看取り士は、生前のケアはもちろん、希望によっては葬儀や納骨までを受け持つ。
より長い関わりがよりよい看取りにつながる
一方、家族がいる場合は、本人と家族で相談の上、看取り士に依頼をすることが多い。その範囲はケースバイケースで、余命宣告を受けた後、亡くなる寸前に看取りを担当し、臨終時の立会い、臨終後の看取りの作法を伝える。
「私たちとしてはできるだけ長いお時間、ケアをさせていただけるほうが嬉しいです。ゆっくりと利用者さんに関われると、よりよい看取りができますから」と柴田さん。
エンゼルチームは、おひとりさまでも家族と一緒でも、どちらの場合も関わっている。
●「看取り」の2作法
看取りの際に、看取り士が行う作法は「呼吸を合わせる」「ひざ枕をして体に触れる(抱きしめる)」。この2作法は、それぞれの家族にも伝え、実際にやってもらう。
「最初の頃は、旅立つ方を抱きしめていたのですが、7時間抱いたときに翌日、腕が使えなくなりまして。これはなかなかご家族にお願いしてやっていただくのは大変だろうと、ひざ枕という方法に落ち着きました」
3時間半ひざ枕をして祖母を見送った20代の女性
20代女性が80代の祖母をひざ枕で見送った例を紹介する。
家族が順番に祖母にひざ枕をする中、孫である彼女が促された。それまで、何度もひざ枕を提案されても「私は(しなくて)いい」と言っていた彼女だったが、最後の最後になって、ほかの家族は部屋から出て、祖母と二人きりという状況下で、ゆっくりと祖母にひざ枕を始めた。
30分間、無言の時間が続く。きっと祖母と孫娘だけの会話があったのだろう。ふいに彼女が「おばあちゃん、ごめんなさい」と泣き始め、そのまま「おばあちゃん、ありがとう」と言いながら、更に泣き崩れた。
「どうやら、生前におばあちゃまとトラブルがあったようでした。お二人だけの時間の中で、“ごめんなさい”が“ありがとう”に変わっていったんです。あぁ、これで良かった。良い看取りになったと思ったと、担当の看取り士が言っていました」と柴田さんは言う。
結局、彼女は祖母に3時間半、ひざ枕をした。ふすまの向こうで見守っていた家族は、彼女から“ありがとう、ありがとう”という言葉が出たそのとき、嗚咽をしたそうだ。
最期まで自由に暮らすことを尊重して看取ったステージ4のおひとりさま男性
ほかにもこんな例がある。
家族とも親族とも付き合いはなく、ワンルームのアパートでひとり暮らしをしていた65歳の男性は、膀胱がんのステージ4で手術もできない状態だった。在宅医療に頼る中で、ケアマネジャーから看取り士が依頼を受ける。依頼を受けた看取り士は女性。しかし、男性は極度の女性嫌いだった。
最初の訪問では、看取り士が玄関から締め出されてしまう。彼からはお酒の匂いがした。素知らぬふりで二度目の来訪をすると「また、来たんか!……仕方ないな」と部屋の中に入れてくれた。部屋からは牛乳パックから饐(す)えた匂いと、やはりアルコール臭。部屋の換気をし、できる範囲で整理整頓をし、しかし、飲酒を止めることはしなかった。
「何を大事にして、どう暮らしたいか。ご本人の暮らしぶりを尊重するのが看取り士ですから」と、担当看取り士。
適度な距離感で、しかし心を込めて生活をフォローする看取り士に、徐々に男性は心を開いていった。
そして、看取りの日。前夜の様子から、もう長くはないと感じた看取り士は、早朝から彼の部屋に出向いた。
男性の頭を左ももに乗せて、静かに呼吸を合わせる。彼が看取り士の目をじーっと見つめる時間に「どうしたの?」と心の中で聞く。彼は「なんでもない」と顔を小さく左右に動かして伝える。握った手が、力なく離れてしまうが、再び看取り士の手を探し、握る。
その繰り返しの中で、大きな息をひとつして彼は旅立った。
ケアマネジャーが到着し、しばらくして在宅医も到着した。
在宅医は「最期まで自由に暮らせて、良い看取りだった」と看取り士とケアマネジャーをねぎらったという。
取材後記:看取り士の活動に触れて
「看取る場合、泣き切った後に見える景色はどんなものだろうか」
いくつもある看取りのシーンのほんの2例を紹介したが、前者では祖母から孫娘への命のバトンがつながった瞬間を感じ、後者ではひとりでも豊かな時間の中で逝くことができる事実を実感する。
取材を終えて、看取りについて考えてみる。
「自分が誰かを看取るとき」と「自分が看取られるとき」。「命のバトンを渡されるとき」と「命のバトンを渡すとき」。
前者の場合、誤解を恐れずにいえば、医師の「ご臨終です」という言葉を真に受けてはいけないということだ。体中の息を吐き出したと思えるその後でも、命のバトンの受け渡しは終わっていない。
ひざの上で息を引き取った人と話し足りないことがあれば、気が済むまで話せばいいと柴田さんが教えてくれた。
髪を撫で、手を握り、背中や足をさすって、泣き切った後に見える景色とはどんなものなのだろう。
「看取られる場合、ひざ枕の安心感の中で命のバトンを渡せるだろうか」
後者の場合は、親族でも友達でも仕事仲間でも、もちろん看取り士でも、そのときにいちばんそばにいて欲しい人に甘えればいい。
ひざ枕、なんて、今までの人生でしてもらった経験がないから、そのときが最初で最後の体験になるかもしれない。安心感の中で、今はまだ私の中にある命というエネルギーを安心して渡すことができるだろうか。
柴田さんは「命を受け渡す看取りをきちんとしてくださると、命の尊さが伝わっていきます。小学生でもそれを理解できれば、抱いて看取ることができます。子どもは素直。それと、意外だと思うかもしれませんが、男性が素直。男性は看取りの作法を感覚的に理解してくださいます。女性は気が回り過ぎるのでしょうね、きっと」と語る。
3回にわたって紹介をした「看取り士の仕事」。皆さんはどうお感じになっただろう。
身近な人の死と向き合ったときに、愛とは、命とはーーと考える。人は「体・良い心・魂」を持って生まれてくると柴田さん。そして、それは子孫に受け継がれているのだ。
死生観をプラス思考で考えるためにーー。
日本には、命のバトンを受け渡す、その瞬間を見守る看取り士という仕事がある。
柴田久美子(しばた・くみこ)
一般社団法人日本看取り士会会長。島根県出雲市で出雲大社の氏子として生まれる。日本マクドナルド株式会社勤務を経てスパゲティー店を自営。平成5年より福岡の特別養護老人ホームの勤務を振り出しに、平成14年に病院のない600人の離島にて、看取りの家を設立。本人の望む自然死で抱きしめて看取る実践を重ねる。平成22年に活動の拠点を本土に移し、現在は岡山県岡山市で在宅支援活動中。全国各地に看取り士が常駐する「看取りステーション」を立ち上げ、“看取り士”と見守りボランティア“エンゼルチーム”による新たな終末期のモデルを作ろうとしている。また、全国各地に「死の文化」を伝えるために死を語る講演活動を行っている。令和2年には、株式会社日本看取り士会を設立。セコム株式会社と連携した見守りサービスなど、新たな派遣サービスをスタートさせた。
取材・文/池野佐知子