兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし~「第53回 妹、閉め出される」
若年性認知症を患う兄とライター業の妹・ツガエマナミコさんは2人暮らし。兄の病気を理解し、日々の生活をサポートするツガエさんだが、思いもかけないトラブルは襲ってくる…。今回は、家に入れなくなってしまう~という事態に陥った話。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
「開けておくれ~」
我がマンションはオートロックでございます。外部の方は部屋番号を押して住民に自動ドアを解除してもらうというアレです。先日、買い物から帰ってきたとき鍵がない事に気づきました。家に忘れてきたのです。
「やばい、入れないかもしれない」と思いました。
そうです。兄はオートロックの解除をほとんどしたことがないのでございます。認知症が分かっていない頃の前マンションでは何度かありましたが、今のマンションに引っ越してからはピンポンが鳴ってもインターホンに出ることすらしていません。
その日は管理人さんもお休みの日。「ほかの住民の方が出入りするまで待つ」という選択肢もありましたが、誰も来そうになかったので部屋番号を押し「呼出ボタン」を押しました。案の定出ません。居留守です。
「部屋番号」+「呼出」をしつこく繰り返しても出ないので、携帯電話で家に電話し、インターホンボックスの位置の説明からしなければなりませんでした。もどかしいやり取りの後インターホンに出ることはできるようになりましたが、肝心の解除ボタンが分かってもらえません。
「え?どれ?カイジョボタン?ないよ」と言っている間に時間切れになってインターホンが切れるということを3~4回繰り返しました。5回目ぐらいになって「あ~、暗くて字が見えなかった。解除、これかな」となって、やっと自動ドアが開いたときはどっと疲れが出ました。格闘時間は10分ぐらいだったと思いますが、永遠のように長く感じ、「鍵だけは忘れちゃいけない」と肝に銘じました。
部屋の近くまでくると、兄が玄関を開けて待っているのが見えました。申し訳なさそうに笑っているので「どうもありがと」としか言いようがございませんでした。
その後、抜き打ちでインターホンを鳴らし、解除させる練習をしております。でもこの前は画面を確認せずにいきなり自動ドアを開けてしまったので、「ちゃんと画面で誰か確認してから解除しておくれよ。変な人だったらどうするの」と注意したのですけれど、どこまでわかってくれたかどうか…。
そんなこんなのつい昨日のこと、別の形でまた締め出しを喰らいました。
今回、鍵はちゃんと持っていました。何の疑いもなく家の玄関の扉を開けたら途中でガチャンと衝撃がありそれ以上開きません。そうです、U字ロックが掛けられていたのです。
出かけるとき、兄が玄関まで金魚のフンのようについて来て「鍵閉めとくからいいよ」と言うのはもはや通例になっておりましたが、U字ロックがかかっていたことはこれまでありませんでした。
音に気付いた兄がすぐにロックを外してくれると思いきや、閉まった扉はなかなか開きません。ピンポンを押し、やっとそろ~と開いたと思ったらU字ロックはかかったまま。わずかな隙間から兄の顔と頑丈なU字金具が重なって見えました。
「開けておくれ~」というと「あいよ~」というので、安心しきって待っていたのですが、次に開いたときもロックはかかったままでした。「どうやって開けるの?」とのたまわれたので、「あんさんが掛けなはったんやで~」と似非京都弁が飛び出てしまいました。
ご存じの通り、U字ロックは一度扉を閉めなければ解除できません。
それからのわたくしの格闘は言わずもがなでございます。隙間から必死に手の平を突っ込んで「この金具を扉側にこう倒すの、分かる?」と説明。単純な仕掛けなのですが、何度やってもロックは外れません。「え~わからない」「ん?どうしたら外れるの?」の連発に、わたくし長期戦を覚悟しました。お醤油やお牛乳の入った重いエコバッグを下に置き、「お魚が腐るぅ」と思いながらあの手この手で同じ説明をし続けました。
10数分後、やっと開いたときにはわたくしすっかりブンむくれ、低いトーンで「もうこれは触らないで。また締め出されちゃうと嫌だから」と兄の目も見ず捨て台詞を吐いてしまいました。兄はやっぱり半笑いで「どうしてこうなっちゃったんだろう」と呟くのみ。
幼少期に鍵を忘れて家に入れず、母が買い物から帰るまでじっと待った夕暮れの心細さを思い出しておりました。57歳になっても、鍵を持っていても、締め出されてしまうことがあるのだと学習した夏でございます。
つづく…(次回は8月13日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ