85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第16回 明治維新と向き合う】
果たして日本は国家として存在していたのだろうか。明治維新を改めて考察するならば、かつても今も、日本は国家とは呼ぶことが出来ない、ただの極東の島国でしかないだろうか。
現在の北朝鮮を見れば、昭和初期の日本とそっくりである。私たちは鬼畜米英を唱えて、ガムシャラに戦争への道をひたすら突き進んでいた。
すっかり洗脳された全国民は、天皇陛下バンザイと死んで行く覚悟を持っていた。
何たる無知かと思い知らされたのは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下に象徴される。あの時、私たちは国家を失ったのだ。
今、何より大切なことは、日本という国を作り直すことではないだろうか。
戦争に敗れてから、今日に至るまで、日本は独立を果たしていない。この現実を改めて反省しなくてはなるまい。沖縄を見ればハッキリわかるように、アメリカに占領されたままなのだ。しかも、アメリカにとって覇権を争っている中国とロシアに対する前線基地とされている。それは嫌だと、何故声を上げないのか。
トランプのポチと言われる安倍晋三を許していいのだろうか。その安倍首相の手によって、来年4月30日に(現天皇の)退位、(新天皇の)即位は5月、そして、10月に「即位の礼」が行われようとしている。
日本という国が、再び明治時代に戻ってもいいのか。
もっと眞剣に考えなくてはならないと私は思う。世代の分断などあってはなるまい。だからこそ、明治維新に向き合う必要がある。
日本は曲がりなりにも、民主主義国家である。それならば、あらゆることの主権者は国民であるはずだ。国家は権力者の私有物ではない。国民主権が守られてこそ、国家は存在理由を持つことが出来る。
日本国をどうするか。これこそ私たち国民すべてに課せられた宿題であると思う。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。