85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第16回 明治維新と向き合う】
才能溢れる文化人、著名人を次々と起用し、ジャーナリズム界に旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を、創刊から30年にわたり務めた矢崎泰久氏は、雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。
現在85才の矢崎氏は、数年前から、自ら望み、一人で暮らしている。当サイトでは、矢崎氏のライフスタイル、人生観などを寄稿いただき、その生き様に迫る。
今回のテーマは、「明治維新」だ。開国以来、日本はどうあったのか、またどうなったのか、矢崎氏独自の視点で我々に問いかける。必読だ!
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明治維新から150年は、「まだ」か「もう」か
今年は明治維新から150年を迎えた。まだそんなものかと思う人と、もうそんなに経ったかと思う人に、二分されている。前者はおそらく70才を越えている人、後者はそれ以降の若い世代だろう。第2次世界大戦の敗戦は73年前だから、そこが分岐点かも知れない。
私にとっては、無論そんなに遠くはない。
明治維新によって、日本は初めて国家を成立させた。つまり、それまでは、日本国は存在すらしていない。
歴史学者の中には異論を説える人もいるが、いわゆる独立国としての概念が誕生したのは、明治政府が出来た時に違いない。
しかもその明治政府は極めて急造の機関であり、欧米を模倣した構図に過ぎなかった。
明治天皇を元首とした立憲君主国家ではあるが、権力を把握していたのは、旧長州藩の武士たちだった。いわゆる倒幕の志士たちである。
外圧によって開国を迫まられた結果とは言え、徳川幕府は無血開城を断行した。本来は尊王攘夷を説えていた薩長連合は、錦の御旗を掲げて江戸城に入り、開国する。
後は文明開化の波に乗って、明治政府を樹立させたに過ぎない。ほとんど先進諸国の言いなりになって、やっとの思いで独立を果たし、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ドイツ(プロシア)の文化文明を急いで取り込んだ。
はっきり言って、独立国とは名ばかりで、不平等条約を押しつけられて、各国の支配を受けていたのである。
ところが世界情勢の変化の中で、日清・日露の戦争に勝利し、領土と権力を獲得する。つまり国際的な地位を得たことで、列強の仲間入りを果たすことになった。これが間違いの始りであった。
アメリカやイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の庇護の下(もと)にありながら、列強と肩を並べたと錯覚する。そこで政党による議会も初めて誕生した。
第1次世界大戦への参戦に次いで満州、台湾、朝鮮、樺太をほぼ手中に収めることに成功。帝国主義国家としての野心を抱くようになった。
弱小国家が、ほんの数十年間の内に、大国の名乗りを上げたのは、まさに驚異だった。天皇を大元師陛下と祀り上げ、軍国主義を振りかざして、世界の覇権を目指した。身の程知らずは、多くの国から顰蹙(ひんしゅく)を買ったのである。
明治維新を振り返って見ればわかるが、資源も経済力もない日本が、ドイツ、イタリアとの三国同盟をバネに全世界を敵に回すことになる。大東亜戦争は、無謀そのものの宣戦布告だった。
あらゆることの発端は、明治維新にある。面従腹背(めんじゅうふくはい)の小国が、急成長して辿った道は、第2次世界大戦の無惨な敗北だった。
こうした現実を、今こそ改めて考えてみなくてはならない。