毒蝮三太夫が破顔で明かした「まるで映画の名シーンのようなプロポーズ」【第10回 妻とのなれそめ】
今回は趣向を変えて、まむしさんご夫妻のなれそめに迫ってみよう。奥様のみさをさんは「高嶺の花」である日本橋三越本店のデパートガール。いっぽうまむしさんは、まだ毒蝮になる前、本名の石井伊吉で役者の道を着実に歩んではいたが、けっして有名でも売れっ子でもなかった。どんなアプローチでハートを射止めたのか。そこにはコミュニケーションの真髄を知るヒントが隠れている……かも。(聞き手・石原壮一郎)
「1週間後に返事をください」
えっ、なに、俺たち夫婦のなれそめ? そんなのどうだっていいじゃねえか。まあでも、前の回でカミさんにハガキを出してるって話をしちゃったもんな。その元の元はどんな感じで始まったかってことで、コッ恥ずかしいけど、しばらくお付き合い願うとするか。
昭和33、34年ごろ、三越劇場で芝居に出たときに、三越に勤めていた知り合いの女の子が、同僚を連れて楽屋に差し入れに来てくれた。その同僚ってのがカミさんだよ。いわゆるひとつのひと目ぼれってヤツなんだけど、そっからが大変だった。
携帯電話なんてないから、職場にせっせと電話するわけだ。まだその番号を覚えてるよ。だけど、役者なんてやってるヤツは遊び人に違いないと思ったんだろうな、まともに相手してもらえない。それでも何度か映画や食事に付き合ってもらった。そういう期間が2年ぐらいあったかな。俺としては「この人と結婚したい」ってずっと思ってた。劇団にも撮影の現場にも女の子はいっぱいいたけど、そう思ったのは初めてだったんだよね。
はっきり覚えてるけど、ある日、有楽町のアマンドでお茶飲んで、9時ごろに「私、もう門限だから」って言うから駅の改札まで送ってったときに、俺がカミさんの腕をグッと引っ張って「これ以上ひとりでごちゃごちゃ悩むのは嫌だ。これからは俺を亭主として考えてくれないか」って言ったんだよ。「1週間後にまたアマンドで返事をください」ってね。
腕をつかまれたまま突然そんなこと言われて、カミさんは固まってた。あとで聞いたら、足ががくがく震えたって。今思うとクロード・ルルーシュ監督の「男と女」っていう映画にあった、駅でカメラがグルグル回る名シーンみたいだけど、俺たちのほうがあれより先にやってたわけだ。足の長さはだいぶ違うけど、そこはいいじゃねえか。頭の中のイメージなんだから美化させてくれよ。
自分では覚えてないんだけど、そのときに俺は「はっきり返事してもらえないと、ほかの女を探す時間が減るから」なんて言ったらしい。それは余計だったな。で、待ちに待った1週間後にアマンドに行ったら、カミさんが「そのつもりでお付き合いしましょう」って言ってくれた。嬉しかったなあ。店を出た瞬間に「バンザーイ!」って大声で叫んじゃった。
余計なことも言っちゃったけど、真剣さは伝わったんだろうね。とはいえカミさんとしては、俺にちゃんと生活力があるのかどうか不安だよな。「毎月1万円ずつ貯金してくれませんか」って言われた。今だと10万円ぐらいの感じかな。そういうしっかりしたところがあるから、俺もこの人と結婚したいと思ったんだろうね。
結婚後も10年以上働いてくれたカミさん
そうこうしているうちに、仲間たちに「お前たち、見てられない。昭和37年の勤労感謝の日に赤坂プリンスホテルでふたりの披露宴をしよう」って日取りを決められちゃった。言われたのは、半年ぐらい前だよ。そっから初めて谷中の両親に挨拶に行ったんだけど、たぶんカミさんは身内にも周囲にもかなり反対されたんじゃないかな。詳しくは教えてくれなかったけど。
結婚式は1000円の会費制で、司会は盟友の立川談志。当時はまだ二つ目の柳家小ゑんだった。「仲人の小林桂樹さんは、日本のジェームス・スチュアートです」なんて調子で、名司会だったよ。引き出物の予算がないから談志のアイディアで福引きにしたりして、にぎやかで楽しい披露宴だったな。
結婚してからもカミさんは仕事を続けて、はっきり言えば俺が食わせてもらっていたみたいな時期もある。仕事を辞めたのはラジオの『ミュージックプレゼント』が始まってしばらくしてからだから、結婚後も10年以上は働いてくれてた。
何が決め手で俺と結婚してくれたんだろう。今度あらためて聞いてみるかな。でも、今さら「失敗だったわ」なんて言われてもどうしようもないから、やっぱり聞かないままのほうがいいか。ハハハ。
■今回の極意
毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)
1936年東京生まれ(品川生まれ浅草育ち)。俳優・タレント。聖徳大学客員教授。日大芸術学部映画学科卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役など、本名の「石井伊吉」で俳優としてテレビや映画で活躍。「笑点」で座布団運びをしていた1968年に、司会の立川談志の助言で現在の芸名に改名した。1969年10月からTBSラジオの「ミュージックプレゼント」でパーソナリティを務めている。83歳の現在も、ラジオ、テレビ、講演、大学での講義など幅広く活躍中。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載ではまむしさんの言葉を通じて、高齢者に対する大人力とは何かを探求している。
撮影/政川慎治
第1回 ありがたい存在
第2回 ヨイショ
第3回 みんな図書館
第4回 戦争体験
第5回 高齢者との付き合い方
第6回 日野原重明さんに教えてもらった大切なこと
第7回 親との正月
第8回 寅さんと俺
第9回 妻へのハガキ