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パーキンソン病の妻の腎臓を夫に移植 その後夫は世界大会で金メダル!互いに支え合う夫妻の物語

 力さんは、1989年、34才の頃、100%遺伝性の難病、多発性嚢胞腎に罹患していることが判明。50才頃までは症状は軽かったものの、55才から急激に体調が悪化。58才で人工透析の宣告を受けた。それからすぐ、恵子さんの腎臓を1つ移植する生体腎移植を受ける決断をする。

 一方、恵子さんは50才の頃、パーキンソン病を発症。パーキンソン病とは、脳の異常のために、体の動きに障害が表れる進行性の難病で、体のバランスがとりにくくなり、転びやすくなる。体が斜めに傾くことで転倒を招く。声が小さくなる。書く文字が小さくなるなど症状はさまざまだ。

──つきあって3年。結婚に至るきっかけは?

恵子 50才の時、私がパーキンソン病を宣告されたからですね。手首のところが痛くなったのが始まりで、整形外科に行ったんですけど、どこも悪くないって言われて。接骨院に行ったら“歯車現象”がみられて、パーキンソン病かもしれないとのことで神経内科の先生を訪ねたら大当たり。MRIやCTをとってもなんにも問題ないのがパーキンソン病。薬が効いて初めてわかるんです。もともとコピーライターをしていたから、字はきっちり大きく書く訓練をしていたけれど書けなくなって。それをパーキンソン病の症状の1つで「小字(しようじ)」っていうんですけどね。あまりに突然でした。その日にこの人に言ったら、「結婚しよう」って言ってくれたんです。

力 その時は全く自分の移植のことなど考えてなかったし、「腎臓をあげる」と言われるなんて思ってなかった。籍を入れてなかったのはただの怠慢なだけで。そうだ、もしお互いにどっちかがどうにかなったら遺産とか残したお金をどうするっていうことを考えたんだよ。じゃあそろそろ正式にしないと、何かあった時に困るかもしれないと思って。結婚するって言っていたから、籍入れようか、となっただけの話。

 パーキンソン病だと宣告された時、その日のうちに力さんにその旨を伝えたところ、結婚しようと言われたことも、後に腎臓を移植する際の決断に至った1つの要因かもしれないと喜々として恵子さんは言う。

移植はお互いのため

恵子 最初はね、この人、「家の中で透析する」って言い出したの。それだと、私なんか手も動かせないし、何か菌が入ったら大変。だったら私の腎臓あげちゃった方が…って。

力 当時は在宅透析というものが普及していて、特に東京は進んでいた。人工透析になると、身体障害者1級の認定がされますが、国には、障害者に対して、その医療によって社会に復帰できるのであれば支援する制度があるため、1000万円を超える機械を設置しての在宅透析でも、自己負担額はほぼ0であることは事前にわかっていました。人工透析っていうのは、普段24時間働く腎臓を週3回、1回4時間くらいで老廃物を人工的な機械でこすわけですよ。168時間分の仕事を12時間でやるわけだから、体に負担がかかって当たり前な話なわけです。そんな圧縮をするから体に負担なわけで、自宅に透析機械があれば、3倍とか4倍とかの時間でやれるわけですよ。それだったら透析しながら仕事もできるかなって。

恵子 そうすると、私の負担が大きくなる。動かなくなる病気なのはわかっているから手先とか動かしづらくなって、もしもミスがあったら私の責任でしょ。

 力さんが在宅透析に踏み切ると、いずれ恵子さんの負担が大きくなる。それが、恵子さんが腎臓提供を決断する要因になった。

力 もともと移植なんて意識していなかったから、あくまで自宅での透析について先生に聞きに行った。そこで移植って選択肢もあるけれどって言われたんだよ。そのことを妻に伝えたの。そしたら、結構二つ返事だったよな?

恵子 私あんまり考えない方だから。私がひどくなっていくのが目に見えているから、ふたりでそんな生活するよりは私の腎臓を1つあげて明るく楽しく生きた方がいいかなって、生きる時間が短くてもね。そう思ったわけです。

力 おれも透析のことばっか考えてたし、移植っていうのは人工透析を経たあとにするものだと先入観があった。当時はそうだったんだよ。でも先生から先行的腎移植というものがあるからご家族と話し合ってはいかがですかと言われて。たしかに、透析でダメージを受けてから移植するより、透析をする前に移植をするのがベストだし。それで妻に話したら、OKってなったから、じゃあやってみようかって。

──なぜそこまで簡単に現実を受け止められた?

恵子 もともと嚢胞腎ってことはわかってたからね、遺伝性でいずれ透析になるよって知ってたから。

力 34才の時から覚悟はできてたわけですよ。

恵子 今さらそこで落ち込むことはないし。

力 嘆き悲しんだってどうにもならないしね。

恵子 私も体が動かなくなる病気だってわかってるから、いちばん合理的なんじゃないかなって。友達になんでこんなことやったのよって叱られたけど。

力 決して美談じゃないのよ。どうやったらお互いにうまくいくかってことだけ。

恵子 あくまで合理的に考えたまでなんですよ。短くて暗い20年より、明るい10年の方がいいでしょ。

 笑顔で交わすふたりのそのやりとりは、互いの愛情に満ちた空間に包まれていた。直面する現実を軽々と受け止められたふたりの強さの秘密がここにある。

恵子 腎臓内科の先生に相談したことがあったの。私の選択は正しかったか。そしたら、もし自分がパーキンソン病だったら同じことをするって言われて、それで安心しました。

力 だってさ、手術で症状がよくなるって、おれはわかってるわけだから、希望に満ちて受けるわけですよ。水泳もできるし。Win(ウイン)-win(ウイン)の関係だったんだよね。

恵子 この人が仕事できなくなったら収入も減るし、ふたりの生活レベルも下がるからWin-winの関係でしたね。

夫は移植後半年で水泳を再開

 無事手術を乗り越え、再び水泳の道が開かれてから、ふたりの“世界への挑戦”が始まる。

力 移植後、半年して泳げるようになりましたが、やっぱり52才から58才まで6年間のブランクがあるわけですよね。だから、タイムとかは絶対落ちるけど、きっと移植者のなかだったら、勝てるんじゃないかという自信から大会を調べたのがきっかけです。世界移植者スポーツ大会の存在を知ってからすぐさま日本移植者スポーツ協会に電話して詳しく話を聞き、それからトレーニングに励みましたね。

恵子 私の方も術後は全然問題なく。ただ、お水を1.5L飲むのが大変だったくらいかな。

力 それもね、ただの努力目標なんだけど、この人そういうところだけは真面目なんだよ。ほかは全然ルーズなのに。

 驚異的な回復と努力により、念願の世界舞台に立ったふたり。初出場を果たしたのは2017年スペイン大会だった。今大会から導入されたドナー枠にて、恵子さんも水泳で出場し、夫婦ふたり揃っての世界戦デビューとなった。力さんは、出場した5種目中、4種目で世界新記録、全ての種目で優勝という快挙を達成。

妻の手術

 だが、喜ぶのも束の間、それ以降恵子さんのパーキンソン病の症状が進行、下降線を辿る。

恵子 パーキンソン病っていうのは、ドーパミンが足りなくなっちゃうんです。ドーパミンが足りないから、受ける側を敏感にして間違いなく受け取るというような薬があるんですけど、それをより効き目の強いものにしたのがどうも体が曲がる原因になってしまったみたいです。翌年にはさらにまた悪化。足が出なくなってしまって、再入院したところDBS※の手術をした方がいいと告げられました。

※DBS…脳に電極を植え込み、電気刺激によって症状を改善させる外科手術。

力 次の2019年イギリス大会にふたりで行くためにはDBSの手術をしなければだめだって決断したのは1年くらい前だよな。このままじゃ行けねーなって感じで。

恵子 ひとりで行けばいいじゃないって言ったんですよ。

力 寂しいとかじゃない、こいつが来なかったら、誰かと2人1部屋だから。おれがいちばん嫌いなのは人のいびき、次が寝言(笑い)。

恵子 この人ね、こう見えて神経質なの。

力 11泊もするんだから、耐えられないだろ。みんなさ、奥さんと一緒で、それほど仲がいいんだねっていうけど違うんだよ。気遣わなくて済むだけ。だから決してこれも美談じゃないの。合理的なの。

恵子 それは愛情!

力 そういうことにしておきましょう(笑い)。

 ふたりのやりとりは、こちらもつい微笑んでしまうほど、幸福感に包まれていた。

恵子 DBSに関しては前から先生に言われていたんです。腎臓移植の時とは違って、怖いから絶対やりたくありませんでした。でもやっぱり、倒れる苦しさ、歩けない苦しさをなくせるのであれば。術後は目立った支障もなく、合格点かなと。多少動きにくいところはありますけど、満足しなきゃいけないなとは思っています。

 恵子さんの手術も無事終わり、晴れて、ふたり揃って2大会連続出場を果たす若松夫妻。2019年イギリス大会には力さんのみ出場し、前回大会王者としてすさまじい重圧の中、見事使命を果たす。今大会でも世界記録を更新し、5種目で3つの金メダルをもたらした。

「移植」に対する意識改革

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