1本のFAXが、すぐ死ぬはずの妻を2年半救った シリーズ「大切な家族との日々」
しかし、2015年の冬、奈緒美さんの容体は急速に悪化する。腹水も再びたまり始め、体重は35キロぐらいにまで減少した。それまでは抗がん剤を投与する時に入院するだけで、ほぼ自宅にいた奈緒美さんは、2016年の1月末に入院し、2月に亡くなった。
「入院して2週間を過ぎたころに、先生からそろそろ楽にしてあげたらどうですか、と言われました。その融通のきく先生も、病院は病院なので、あまりベッドを占有してほしくなかったのでしょう。あとでわかったんですが、包括払い制度で定められた1日あたりの定額報酬が、入院して2週間過ぎるとがくっと下がるんですね。だから病院側からすると2週間を過ぎた患者にはなるべく出ていってもらいたくなってしまうという制度上の問題なわけです。
先生は、鎮静剤を打って眠らせてあげましょうよと言う。いや本人も生きるつもりだから待ってくれと言ったんですが、『どうやって治るんですか。治ると思ってるんですか、苦しむだけですよ』というようなことを言い出しました。小さい病院だからこそ、こういう生々しいことがあるんですね」
病院から家に帰る途中に、医師から山城さんに電話がかかってきた。さっきの件は任せてもらえませんかねえと言われて押し問答になる。それは困る、明日病院に行きますから、明日また話しましょうと言って電話を切った。
「そうしたら、夜中の1時ぐらいに、妻本人から苦しそうな声で電話があって、看護師が変な点滴を持ってきたと言うんです。それは多分鎮静剤だから楽にはなる。ただ呼吸が止まったり死ぬ可能性があるかもしれない。本当に苦しいんだったら打つのもいいけどどうすると聞いたら、妻はいや我慢すると答えました。その時、駆け付けようかなと思ったんですが。駆け付けたら本当に死んじゃいそうな気がして、明日の朝すぐ行くから悪いけど我慢して、先生と話すから、と言いました。
ところが翌朝6時に、病院から電話があって呼吸が止まりましたと言うんです。結局、死に目には会えませんでした。夜中の1時に電話をかけてくる元気があったのに、こんなにすぐ死ぬなんて、やはり病院が勝手に鎮静剤を打ったのではないかと疑いましたね。
担当の看護師に聞いたら、鎮静剤は打っていないという答えでした。警察に司法解剖してもらおうかとちょっと思いましたよ。でも死んじゃっているんですからね、それをやったって妻は戻ってこない。妻の両親に、娘を切り刻んで解剖するという話もできなかったですし」
駆け付けた時、呼吸は止まっていたけど、ちょっとあたたかかった感じを今でも思い出すと山城さんは言う。
奈緒美さんのスマホのパスコードが、すぐ開けるように解除され、その中に遺書がのこされていた。山城さんへの感謝と娘二人への呼びかけ、さらに自身が不甲斐ないと詫びがしるされていた。奈緒美さんが書いたのは最後の賭けとなる治療の直前、亡くなる1週間前だった。もし治療がうまくいかなくても自分を責めないでほしいと山城さんを気遣っていた。
四十九日を終えて、山城さんは娘二人を旅行に連れ出す。芦ノ湖を歩いて一周しよう。それは、これからは3人で歩いて行こうという意味だった。そして、山城さんの一家のたたかいはまだまだ続いていくことになる。
取材・文/新田由紀子
●認知症の母が発症して7年が経過。変化したこと、変わらぬこと