1本のFAXが、すぐ死ぬはずの妻を2年半救った シリーズ「大切な家族との日々」
山城さんも奈緒美さんも諦めなかった。全国の病院に連絡を取った。腹水をなんとかしたいと腹水について専門に取り組んでいるF大学に電話をすると、F県民でないと受け入れないと言われる。ではF県に引っ越せばいいのかと言うと、それはだめだと断られた。
そうしているうちに、滋賀医科大にはF大学病院と同じ手術ができる先生がいるという情報が入り、山城さんはFAXを送る。話だけ聞きましょうという連絡をもらって山城さんが滋賀に行き、手術が受けられることになった。
「妻は、腹膜播種(ふくまくはしゅ)といって、腹膜に小さいがん細胞が散らばり、そこから液体が出て腹水になるという状態でした。お腹をかなり切り分けて直径20センチぐらいの筒を入れ、そこに約40度に温めた抗がん剤を入れて数十分間、持続還流する。熱と抗がん剤のふたつの作用でがん細胞を死滅させるという手術がある。実験的なのでなかなかやってもらえないようですが、いい先生がいらして受けられることになった。妻はそれで一時的にかなり復活しました」
奈緒美さんの胃にあった6センチの肉腫は、他の臓器に癒着していて取ることはできなかった。しかし腹水がなくなったことで、車いすを使わずに、普通に立って歩けるようになった。
はじめに軽井沢、北海道にも、伊豆箱根にも旅行に
2013年7月に手術をして退院、その後、2016年の1月まで、奈緒美さんは自宅で、子育てや家事をし、旅行もして過ごすことができた。
「前に診てもらっていたがん専門病院に行ったらびっくりしていました。すぐ死ぬと思っていた患者が、こんなに元気になったからですね。素人の私が調べても、滋賀医科大を探すことができたわけで、情報をたくさん持っている専門医には、もっと簡単になにかの手立てを探すことはできたと思うのですが。ともかく見切りが早いですね。助かる見込みの高いほうの患者に時間をかけようというのだと思います。日本の医療とはこういうものだと見せられました。今となっては恨んではいないですが、鵜呑みにしていたら、あのまますぐ死んでいたということは確かです」
本人の行きたいところに旅行を、ということで、はじめに2泊で行ったのが軽井沢。北海道には4回行った。近場の伊豆や箱根にも行った。娘たちを連れて行ったこともあったし、夫婦二人で行ったこともあった。二人とも、治癒するわけではないとわかってはいた。
山城さんは、奈緒美さんの病気は治らないのだと娘には告げていた。それでも夫婦の間では、調子の悪い時には次にどうしようかと相談し、いい時には病気のことを離れて日常の会話をするという繰り返し。これは最後まで変わることがなかった。
「死ぬまでの間に休み時間が取れたというのでしょうか。よかったと思います。あのまま死んでいたらもっと可哀そうでしたね」
紹介された「融通のきく病院」
「病状が悪化すると、何か所も新しい病院を受診しました。診察券は30枚以上になります。行った先のひとつで、うちでは対応できないが、柔軟に対応してくれて融通がきく病院があるからと紹介してもらいました。そちらでは、本来は保険適用がきかないとされている薬を出してくれたりするということでした。行ってみたらその病院で処方された抗がん剤が効いたんですね。それで元気になって、また旅行ができるまでになりました」