認知症かもしれない85才の母を元気にした黄色いセーター 【高齢の母と一人娘の戦い】
昨年の夏に父が亡くなって、母は長年暮らしてきた夫がいなくなったショックと、85才で初めての一人暮らしに、途方にくれることになった。57才の記者は、父が亡くなった頃から、母の様子がおかしいのに気が付いた。
・話したことをあとで確かめると、理解できていない
・あったことを忘れることがある
・急に泣き出したりして、情緒不安定
そこから、母と私の戦いが始まったのだった。
第1の戦い 嫌がる母を認知症検査にやっと連れ出した
母が認知症になったのではないかと心配になって、病院に行こうと言うと「私は病院とか検査は苦手なのよ」と言う。「苦手とか苦手じゃないとか関係ないでしょ。今は早期発見すれば症状の進行を遅らせることもできるのよ。検査から逃げてどうするわけ」とつい言葉がきつくなってしまった。
その後、たまたま母の妹である叔母も、認知症かどうか定期的にMRI検査を受けているという話が出たので「私も毎年、会社の健康診断で検査を受けてたのよ。私も心配で久しぶりにまた受けたいから、お母さんも一緒に行こう」と言ったらなんとか行くことに同意。専門医のクリニックを受診した。
専門クリニックだけに、MRI検査だけでなく、脳の機能の検査や、1時間ぐらい回答する問診テストなどを受けることになった。
クリニックの先生の診断は「脳の機能としてはそれほど問題ないが、問診テストの結果は良くない。ご主人が亡くなったショックによるものかもしれないから、しばらく様子を見てみましょう」ということだった。
クリニックで気を付けるように言われたことは、この3点だ。
・難聴気味なので補聴器を使う
・運動をする
・好きなことをしに出かける、人と接するなど刺激を受ける
ひとり娘の私は、実家に小一時間で行けるところに住んでいるが、母にずっと付き添っていられるわけではない。ともかく、無気力になっている母を外に連れ出すことにした。
第2の戦い 何とか母にデパートで新しい服を買わせる
まずは、服を買いに行こうと誘ったが「もう私は、服が欲しいなんていう気持ちがないの」と頑強に断られる。家で毎日着ているのは、山登りをしていたときの地味な服ばかり。
「私、もう死ぬまで着る分の服はあるの。自分で弱ってきてるのがわかるの。せいぜい2、3年で死んじゃうと思うの」と言われてこっちはカチンとくる。
「お父さんは、今のお母さんより8才上の93才まで生きたんでしょ。何を根拠にお母さんは2、3年で死ぬって言えるわけ?クリニックの先生にも新しいことをするように言われたでしょ?」
高齢者の服を選ぶのには、新宿の小田急百貨店がいいという話を聞いて、ともかく、母と一緒に外出した帰りに、無理やり連れて行った。確かに利用客の年齢層が高い。母はもともと、洋裁学校を出ていて服が好きなので、明るい黄色いセーターや、白いパンツを試着させると、「あらまあ、こんな服が着られるなんて思わなかったわ」と少し興奮している。
店員さんに「娘に無理やり連れてこられたんだけど、この年でこんな服着ていいのかしら。こんなに買っても仕方がないのに」とか言っているが、ともかく何着か買わせた。
買い物が終わってお茶を飲みながら、「今日は久しぶりに洋服を買って気持ちが良かったわ、一体こんな贅沢していいのかと思うけど」とちょっと明るい顔になっている。出かけられる服ができたところで、次は食事やお茶に連れ出すことにした。
第2の戦い 母、青山のイタリアンで悔しがる
「私は昔から渋谷って好きじゃないのよ」と行きたがらなかったのだが。並木の緑が気にいった様子で、パスタを喜んで食べていた。
「お客さんがみんなおしゃれで、うちの近所とは違うわね。確かにあなたが言うように、私が持っていたような服では、みっともなくてこういうところに来られないわね」と少し悔しそうに言う。
第3の戦い 母、京橋のカフェで父と私に責任転嫁する
お墓参りに行ってこのまま帰るというのを、おどしたりすかしたりして京橋へ。
「お父さんも私も、何十年もおんなじ喫茶店にしか入らなかったのよね。あなたがこうやって新しいお店をどんどん開拓していけるのは、収入があるからなのよ。専業主婦には、そんなことはできないの。あなたにはわからないかもしれないけど、私はお父さんの安月給でやりくりして、必死に子育てをしてきたんだから」と父と私に責任転嫁される。
第4の戦い 母、お好み焼き屋さんで、70代女性をチラ見する
B級グルメのようなものは馬鹿にして、一度は断られたのだが、行ってみたら意外に気にいったらしく、私よりどんどん食べる。夫に小田急百貨店で買ったスカーフをほめられて、まんざらでもない様子だ。日曜だったため、近くのテーブルにも家族連れが多かった。
母は、お孫さんと一緒に来ているおしゃれな女性が、カジュアルなファッションを慣れた感じに着こなしているのが気になったらしい。
「あの人はまだ70代だから、こういうお店にも適応できるのよ」と言いながらチラ見していた。
第5の戦い 母、美術館の庭でおしゃれなケーキをたくさん食べる
母から約束した日の朝になって断りの電話がかかってきた。
「白内障の調子が悪いから、とても出かけられない。絵なんか観に行っても見えないのよ」というのを、運動することにもなるんだからとやっと連れ出した。目の調子はどうなったのかわからないが、絵葉書も買っていたし、ケーキは「美術館のケーキはおしゃれね」と言って私の分まで結構食べていた。
第6の戦い 母、日本画の美術展にスカーフを持ってくる
「私は日本画はどうもダメなの。それにこんな暑い中を出かけたら命取りよ」という母に、駅からタクシーに乗ればすぐだと言うと、「私はあなたみたいに簡単にタクシーに乗るのは嫌いなの。いつか事故にあうんじゃないかとずっとひやひやしてきたの」とさかのぼって文句が始まる。
言い合いの末、なんとか駅で待ち合わせて行ったところ、「日本画っていうのはやっぱりすごいのね。あなたの年ではまだわからないんだけど」との感想だった。
「あなたは、出かけるたんびにとっかえひっかえ洋服を変えるのね。私はここのところ、いつもも同じセーターだから、スカーフをしてみたわ」と言う。どうも、自分の服が足りないと思い始めたらしい。
戦いはまだまだ続くものと思われる。母との日々で、我が身が85才になったときのことも考えさせられる。
・一緒にでかけられる友達は病気や家族の介護でいなくなってしまう
・山登り、手芸など、体力や視力を使う趣味はできなくなってしまう
・服やメイクに気を配らなくなると、外出からも遠ざかってしまう
母を手厳しく非難しているが、自分も気を付けておかなくてはならない。そういえば最近、何年か前の服を着続けているし…。
撮影・文/播磨吉子