兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第3回 この光景見たことある】
若年性認知症を患う兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさんが、兄との日々を綴る連載エッセイ。「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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疑惑続々
それからしばらくして父が交通事故に遭いました。4人で暮らし始めておよそ2年が経った冬の日でした。3か月の入院むなしく、父は桜の季節に天国へ旅立ちました。
その間の兄は、平日は勤め、週末はわたくしと母を車に乗せてお見舞いに行きました。一家の危機をどこまで感じていたかはわかりませんが、普段と変わらぬ朗らかな様子。でも病気の小さな兆候は、その間にもいろいろ感じました。
安室ちゃんの件(第2話参照)以来、わたくしは兄の認知症疑惑に過敏だったせいもあるかもしれません。例えば病院の駐車券を仕舞ったポケットが毎回わからなくなったり、「この前のコンビニに寄ってね」と言っても違うコンビニに着いたりすること。
「そんなこと?」と言われればその通りなのですが、なんか違うのです。
「この前のコンビニ」は帰り道沿いにあるのに、わざわざ遠回りして別のコンビニにたどり着くという印象です。駐車券を見失うにしても、あまりに毎回な上に、探し方が偏っていて、なぜか駐車券の入っているポケットを避けるように何度も探して「ない、ない」と慌てるのです。“ものを失くすときは往々にしてこういうものかもしれない”とも思ったのですが…。
最も疑いを濃くしたのは、従兄妹が父のお見舞いに来てくれたときのことです。
帰り、最寄りの駅まで車で行き、「お茶でもしよう」と駐車場を探すも、なかなか空きがなく、空きがあっても通り過ぎてしまい、同じ道を何度も行ったり来たりしたのです。わたくしが「さっきのところでいいんじゃない?」と言っても戻れなかったりで、駅前で20分もさまよったでしょうか。従兄妹は何もいいませんでしたが、わたくしは異常を感じました。兄は駐車場を自分で決められなくて迷っている気がしたのです。
じつはその日、父の病室で兄の不思議な言動もありました。父のベッドを挟んで従兄妹と向き合いながら「これとまったく同じ光景を、前に見たことあるんだよな」と神がかったことをのたまったのです。
まぁ、正夢を感じるときも人間にはあるので、特別に変なことではないのですが、本当に見たようなテンションで語っていたので、内心「こんなときに、よく真顔でそんなこと言えるな」と思ったことは鮮明に覚えています。
父の容態が思わしくなかったので感傷的になっていたのかもしれませんが、この「見たことある」発言は、このあと「んなわけないやろ」とツッコミたくなるほど、あちこちで言うようになりまして、脳のフシギを感じずにはいられません。
それからほどなくして父が息を引き取り、通夜や葬儀、相続手続きなどの大仕事が押し寄せても、兄が活躍してくれることはありませんでした。親戚との世間話は軽快な兄でしたが、何かを相談すると「う~ん」と考える振りをして無言になってしまうのです。しまいには「よくわからない。任せるよ」と笑って責任放棄。
わたくしは腹をくくりました。「兄ハアテニデキナイ」と悟ったのです。そもそも兄は何かを決断することが苦手な人なのかもしれません。元気でピンピンしていた86歳の父にみんなが頼っていたことも否めません。
この父の死が引き金になって兄は認知症を急加速させていくのですが、兆候はもっともっと前、家族4人が再集結する以前からあったことを、わたくしはこのずっとあとに知るのです。
つづく…
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ