兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第2回 安室ちゃんは何歳なの?】
ライターのツガエマナミコさんは兄と2人暮らし。兄は若年性認知症を患っている。ツガエさんが、兄とどのように向き合い、どう暮らしているのかを綴る連載エッセイ。「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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疑惑
今朝も兄は「傘いる?」と何度も訊きいて出勤していきました。そう、兄はまだ勤めています。かろうじて、と言うべき状態ですけれども…。
傘の問いにわたくしが「いるんじゃないかな」と言うと「ほんとに?絶対?」と念を押し、カバンに折り畳み傘をいれて立ち上がります。でもすぐにまた「今日は傘いる?」と訊くのです。
そんなラリーを5~6回繰り返すと、つい「わかんない、神様に聞いて」と突き放した言い方をしてしまいます。でもそれはいけないのです。何度でも普通に「いると思うよ」と言えばいいだけなのに、器の小さい妹はまだまだ修行が足りません。
兄のことを“何かおかしいな”と思いはじめたのは、家族が再集結して間もなくでした。
テレビのCMで安室奈美恵さんが映ると「安室ちゃんっていくつになったのかな」と言うので、「30歳ぐらいじゃない?」と適当に答えると、次のCMでも同じことを同じテンションで訊いたのです。
あれ?と思いましたが、さっきの私の答えが聞こえなかったのかな、と思い「30歳ぐらいじゃない?知らないけど」とややボリュームを上げて言いました。翌日も安室さんが映ると「安室ちゃんっていくつになったのかな?」と文言ひとつ変えずに聞くので、やっぱりおかしいな、と思いました。
それが何度か続いて、友人にその話をすると「別に安室ちゃんに興味がないから、何度聞いても忘れちゃうんじゃない?そんなことあるある」となだめられました。中高年ならよくあるボケ…わたくしもそう思いたかった。でも不安でした。なにしろ母親が認知症真っただ中でしたから、素質は十分なわけで、「4人家族で2人?」とゾッとしました。
ただ、当時兄はまだ54歳。認知症の気があるにしてもまだまだ大丈夫な段階だろうと楽観していました。
兄は毎日勤めに行き、父は老後の趣味を謳歌し、わたくしは家事全般を担当し、週に2回ほど取材に出ては家で原稿を書く日々。そしてちょっとおかしな母をみんなで少しずつフォローしていました。兄が帰宅するのは夜8時半前後で、毎日のようにプリンやアイスを買ってきてくれました。
母が「わぁうれしい」と子どものように喜ぶのが嬉しかったのでしょう。それをみんなで食べる…というのがいつしか我が家の夜の習慣になってしまい、おかげでわたくしのボディラインはみるみる崩れていきました。そう、たぶん、絶対…。兄はそんなふうに優しい人なのです。
つづく…
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ