【新連載】兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第1回 これからどこへ引っ越すの?」
若年性認知症を患う兄と同居するツガエマナミコさんが、どのように兄と向かいあい、どう暮らしているのかを綴る連載エッセイ。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
「ここに引っ越してきたんだよ。ここが新しい家だからね」
およそ8年前、そう言って母をなだめていたのは兄でした。
両親、兄、わたくしとバラバラで暮らしていた3世帯が再集結して、新しい家で住み始めたばかりのとき、認知症だった母は「ここからどこに引っ越すの?」と不安げに何度もつぶやいていました。
「引っ越しはもう終わり。もうどこにも行かないから」と何度答えたことか。あの頃の兄は、母をなだめすかすコチラ側の人間でした。でも、父が逝き、母も他界したほんの4~5年の間に状況は逆転。最近、小ぶりなマンションに引っ越しを終えたところで、兄が、母とまったく同じことを言ったのです。
兄と亡き母は同じアルツハイマー型認知症。母は老人性でしたが、兄はまだ60歳。3年ほど前から2か月に一度、病院に通っています。若年性認知症というやつです。
つい1~2日前に引っ越したばかりなのに、兄にはあのドタバタした一部始終が記憶になく、リビングに山積みの段ボールを見て“これから引っ越しかな?”と思ってしまうのです。
「これからどこに引っ越すの?」と訊かれたときはデジャヴのようで、「やっぱりこうなるんだ」と妙に納得しました。
わたくしは現在、そんな兄と二人暮らし。4つ違いの二人兄妹で、幸か不幸か揃って浮いた話一つないホンモノの独身。同居するのは嫌ですが、もう成り行きで仕方がありません。特別仲がいいわけではなく、かといって悪くもなく、一緒にいてもあれこれ話さない、冷めきった中年夫婦のような、いたって普通の兄妹だと思います。
兄との暮らしは、イライラの連続です。一番イラつくのは「病気だからしょうがない」と諦めて、考えたり努力したりすることを放棄しているかのような態度。もちろん怒ったりイライラした態度が認知症に良くないことは学習しているので、「アホか」「なんでや」「すっとぼけんなや」とののしる似非関西弁は、胸の内にひた隠しにしていますし、ののしってしまう自分を情けなく思う、などという自己嫌悪もいつの間にか通り越しました。
今はイライラすることが自分の役目だと信じ、イラつくと「うん、今日もいい仕事してるぜ」と自分をほめるようになりました。
兄が可哀そうなのはわかっています。なりたくてなったわけではないですし、認知症であるという不安や恐怖がどんなものかと考えると胸が痛くなります。なにより同じ血筋なのですから、わたくしと兄の立場が逆転していてもおかしくありません。最近は、わたくしも物忘れが多く、これが年齢的なものなのかどうなのか不安なところ。まだ健常者の範囲であると信じて暮らしていますけれども…。
病人を抱えた家族は大なり小なり大変です。人間のできたかたは“誰かをお世話できるうちが幸せ”と言うのでしょうが、わたくしにそんな殊勝な気持ちは更々なく、ただただ「しょうがないから一緒にいる」だけです。
これからどんなことになるのか、いつまで続くのか、考えるとうなだれてしまいます。あまり先を考えず、この一日一日を淡々と、地を這うミミズのごとく乗り越えて行こうレッツラゴー!…今はそんな心境です。
つづく…
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ