日野原医師「よど号ハイジャック事件」人質の経験が変えた人生観
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん(享年105)が7月18日、この世を去った。100才を超えてなお患者と向き合い、精力的に講演活動なども行い、「生涯現役」を貫いた日野原さん。その人生を語る上で、避けられない2つの大きな出来事がある。
「よど号ハイジャック」機に乗り合わせ、人質に
1つは、1970年に赤軍派を名乗るグループによって日本航空機が乗っ取られた、通称『よど号ハイジャック事件』だ。日野原さんは同機に客として乗り合わせ、2日間にわたって機内で人質になった。
「キリスト教徒でもあった日野原さんは、“人には生まれ持ったミッションがある”とよく話していました。人質となって命の危険に晒されたことは、すでに60才近かった日野原さんにとっても衝撃的な経験だったそうです。以降、“自分の人生を他人のために使いたい”という決意を強めたといいます」(病院関係者)
無制限で被害者を受け入れた「地下鉄サリン事件」
2つ目は、1995年に発生したオウム真理教による『地下鉄サリン事件』。当時聖路加国際病院の院長だった日野原さんは、一切の外来を中止し被害者の無制限受け入れを行った。元聖路加国際大学客員教授で日野原さんと交流があった小池政行氏はこう話す。
「病院の2階にあった礼拝堂にもストレッチャーを運び込んで病室にし、多くの患者を受け入れて医師、看護師総出で治療に当たりました。事件の詳細がわからない段階での英断には、日野原先生の命に対する真摯な姿勢がにじみ出ていたと思います」
その姿勢は、日野原さんがこだわった「終末期医療」にもみてとれる。
「聖路加国際病院の10階には、日野原さんの肝入りで末期がん患者のための『緩和ケア科』が作られました。根底にある考え方は、人間としての尊厳ある穏やかな死を迎えられるようにしようというもの。チューブにつながれてつらい延命治療をするよりも、苦痛を取り除いて日々の幸せを感じながら最期の時間を送ってもらいたいというものでした」(前出・病院関係者)
その考えの源泉は、やはり日野原さんの体験にあった。前出の小池氏が続ける。