人生の終い方|4000人を看取った日野原重明さんの尊厳ある生き方に学ぶこと
人はどのように死を迎えるべきか…。105年の生涯を通じてこの問いに向き合った名医の教えに学ぶことは多い。
一昨年7月に亡くなった聖路加国際病院(東京都)の名誉院長だった日野原重明さん(享年105)だ。
終末期医療を提唱、日本人の「死に方」を変えた
京都帝国大学医学部(当時)を卒業し、太平洋戦争の始まる直前の’41年に聖路加国際病院の内科医に就任して以降、この世を去る直前までタフな姿を見せ続け、日本の高齢者を励ました。
「100才の誕生日を迎えた年に『10年手帳』をつけ始め、その後、フェイスブックや乗馬を始めて104才で俳句の本を出しました。5年後の講演会の約束も、『いいですよ』と気軽に引き受けていましたよ」(医療関係者)
日野原さんが現代医療に与えた影響は語り尽くせない。
病気を未然に防ぐ「予防医療」の推進、日本初の「人間ドック」開設、「生活習慣病」という言葉の発案など限りないが、最大の功績は、日本人の「死に方」を変えたことだ。
以前の日本の医療では、患者の意向にかかわらず、全身をチューブにつないで家族とも話せないまま最期を迎える「延命治療」が当たり前だった。そこに日野原さんは、「患者は、尊厳ある穏やかな死を迎えられるべきだ」という考えを持ち込み、「終末期医療」を提唱した。それは、たとえ長く生きられなくても、残された時間を自分らしく精一杯生き切る人生の方が、患者にとって重要ではないかという問いかけだった。
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胃ろう、延命を拒否、自宅療養を希望。「与えられた人生の最後に感謝する」最期
日野原さんの考えには患者だけでなく、全国各地の医療従事者が賛同した。当の日野原さん自身も、最期は尊厳のある生き方を選んだ。
’17年1月、自宅で転倒して動けなくなった日野原さんは衰弱した後、誤嚥性肺炎を患って入院する。この時、主治医は胃に管を通して栄養を補給する胃ろうを提案したが、日野原さんは首を大きく横に振って「延命はしない」と、はっきり拒否。自宅療養を希望した。
住み慣れたわが家で家族と過ごし、次男の妻に看取られて穏やかに息を引き取った。
生前、4000人を超える患者を看取ってきた日野原さんは、死ぬ前に最も重要な行いについてこう語っている。
《良く死ぬ人に共通していることは、与えられた命を人生の最後に素直に感謝できること。そうして迎えた死は、子供や孫など残された者たちにいつまでも温かい感動を残すことができる》
自分の人生を見つめ、どう死にたいのかを考えることが、家族を幸せにするいちばん最初の「手続き」なのかもしれない。
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※女性セブン3月28日・4月4日号