《真言宗の僧侶が伝授》60歳を過ぎたら自分らしく生きるために捨てるべき「完璧」「正論」など7つの考え方 「そろそろ“適当にすませる勇気”を」「100%正しいことは意外と役に立たない」
「何かをしなければならない」、「あのときこうすべきだった」といった考えは、自由さを奪ってしまう考え方だ。『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す』(アスコム)を上梓した、真言宗 密蔵院住職の名取芳彦さんは、60歳を過ぎたら自分らしく生きるために、しまう(手放す)べき考え方があるという。詳しく教えてもらった。
教えてくれた人
真言宗 密蔵院住職・名取芳彦さん
なとり・ほうげん。大正大学米英文学科卒業後、英語教師を経て、東京都江戸川区鹿骨 元結不動密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所所長、豊山流大師講(ご詠歌)詠監。密蔵院でご詠歌・写仏・読経・法話の会などを主催し、仏教の教えをわかりやすく説く切り口が好評を博す。著書に『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す』(アスコム)など。
これから先の人生を無理なく生きるために「我慢」をしまう
名取さんによると、日々の「我慢」もうまく「しまう」ことができる。我慢は本来、目標とセットのものであり、目標がないと我慢は難しく、目標がしっかり設定されているなら我慢はそれほど苦もなくできるものだ。そのため、我慢しなければならないと思ったときは、自分はどんな目標を達成するためにこの我慢をするのかを考えるといいという。
「日常で心得ておきたいのは、我慢には二種類あるということです。一つは、目標達成のために、やりたいことを我慢する。もう一つは、目標達成のために、やりたくないことを我慢してやる。したほうがいい我慢はこの二つだけです。目標のない我慢、そんな我慢はしまってしまいましょう」(名取さん・以下同)
年をとったら「完璧」もしまう
仕事も家事も「ちゃんとしなきゃ」と考えてきた人は、そろそろ「完璧」もしまってはどうだろう。若いころはどうにか完璧にできていたとしても、年をとると物忘れも増え、集中力も続かなくなり、完璧を目指すのは難しくなってくる。
「ふと疲れを感じるようになったのなら、そろそろ、”適当にすませる勇気”を出して、完璧じまいをする時期かもしれません。隅から隅まで目を配るのではなく、隅が残っていたとあとから気づいてニヤリとして、放っておける余裕があれば、この先の人生は楽になります。隅々にまで気を使わなくてもいい、そういう年齢になったのです」
「正論」をしまえば心に余裕ができる
心の余裕を持って楽に生きるためには、「正論」も早めにしまっておきたいもの。特にしっかり者と言われる人ほど、過去の経験や失敗を生かして生活を維持しており、人に対しても正しいことを言いやすいが、正論であるだけに、言われた側はもやもやして反感を抱いてしまう。
「100%正しいことは、意外と役に立ちません」と名取さん。正論を言う場合でも、相手の心情に寄り添った一言を付け加え、正論で武装しないようにしたいものだ。
「正論には(正論めいたものも含めて)、相手を一刀両断して有無を言わさない力があることを、ぜひ心に置いておいてください。ここらで正論じまいをして、清濁を併せ飲む、海のような生き方を目指してみたいものです」