作家・荻野アンナさん、芥川賞作品のモデルになったパートナーの闘病生活を語る 手術の様子を見せてもらい「命は簡単に奪えるけれど、救うのは大変なのだとわかった」
最愛のパートナーが食道がんを発症。両親の介護をしながらも、余命宣告を受けてから1年2か月の命に寄り添った芥川賞作家で慶応大学名誉教授の荻野アンナさん(68歳)。その闘病生活をまとめた小説は、彼との最後の共同作業だった。改めて、パートナーを支えた日々を語った。
パートナーの余命宣告、手術の立ち合い
――2000年からご両親の介護が始まり、その4年後には十数年間連れ添ったパートナーの食道がんが見つかった。
荻野さん:今から振り返れば、彼の時には介護に慣れていてよかったと思います。彼とは腐れ縁でして、芥川賞の『背負い水』のモデルにもなった人です。彼は私の実家から歩ける範囲に住んでいて、私は実家と彼の家とを往復するような暮らしでした。母の反対により結婚はしていませんでしたが、彼がお正月に家に来て両親と4人で過ごすほど、家族同然になっていました。
そんなある日、彼の風邪がなかなか治らないので近所のお医者さんに行ったら、レントゲンを撮りましょうと言われました。もう、顔色でわかったそうです。その場で食道がんの宣告を受けました。すでに食道内に転移があるという厳しい状態で、先生から余命6か月と言われたのですが、彼は頑張ってくれて、そこから1年2か月の寿命をいただきました。
自分の大切な人が手術をしている間、外で待つしかできないというのは、患者の家族としてはたまらないことです。ですから主治医に「手術を見せてほしい」と頼み込みました。「私は作家ですから、書きますので」って。実はブラフで書く先は決まっていなかったんですけどね。腕のいい先生だったので、取材として見せてくれることになりました。
がん再発も、パートナーは治る希望を持ち続けた
荻野さん:その手術で、別の場所にも転移があることがわかったんです。心臓の近くの血管にがんがこびりついているのを、1時間近くかけて丁寧に剥がしてくれた。その時、命っていうのは簡単に奪えるけれど、救うのはこんなに大変なのだと、見ていてよくわかりました。
――その様子は、パートナーのがんと向き合った軌跡を小説としてまとめた『蟹と彼と私』に描かれています。
荻野さん:彼は文芸誌『すばる』の編集長をしていたのですが、それまで十数年一緒にいても、小説の仕事を一緒にしたことがなかったんです。それで、彼のことを小説にして、二人三脚で作り上げることになりました。けれども、その連載の間に彼は亡くなってしまった。
彼は順天堂大学に入院していて、私は慶應義塾大学の三田キャンパスで教えていたので、授業を終えると買い物をしてタクシーに飛び乗り、彼の個室の病室にジューサーを持ち込んで、ジュースを作ったりしていました。少しでも栄養がとれるように。
手術の後、秋になって再発がわかるのですが、そういう状態での再発が何を意味するのか、ちゃんと理解できていなかったんです。幸いというべきなのか……。だから、彼は治る希望でいっぱいでした。
――けれども、病状は悪化していかれたとのことで。
荻野さん:2004年に手術をして、2005年6月に亡くなるんですけども。手術後2、3か月で転移がわかりまして、抗がん剤をしても副作用はひどくないねって喜んでいたら、効いていなかったんです。それで、いろんな抗がん剤を試しまして、入退院をくり返して。そのうち、触っても肝臓が腫れているのがわかるような状態になりました。それでも、彼は希望を持ち続けていた。
そう感じたのは、彼は輸血をするときに初めは拒否したからです。輸血で肝炎になって肝臓がんになるといけないから。でも、そんな状態じゃないんです! ……けれども、この人はこんなにも自分の状態をわかってないんだ、よかったと思いました。
ただ一度だけ、モルヒネがかかる直前に、私に何か言いたそうにしたことがあったんです。結局、モルヒネが効いて聞けなかったんですけど。もしかすると最後に少し、自分の行く末に不安を持ったかもしれませんが、今となってはわかりません。
だんだん食べられなくなって、最期はハーゲンダッツを1口2口。そして、炎が消えていくように病室で亡くなりました。
湯治旅行はかけがえのない思い出
――もっとこうしておけばと後悔することはありますか?
荻野さん:いいえ、思い残すことはありません。彼の手術を見てどんなに大切な命をもらったかということを思い知りましたし、2人でいろんな場所に行きました。それまではお互いに忙しくて、旅行に行ったことがなかったんです。けれども、彼ががんになってから湯治に行くようになりました。
最後の入院の前に行ったのは修善寺でした。ちゃんと調べればよかったのですが、階段が多いのにエレベーターがついていない旅館に泊まってしまった。彼は体力が弱っているので、前に立った私の肩に両手をかけて、イチニ、イチニって声をかけながら、ゆっくり階段を歩いたのを覚えています。
2人で『蟹と彼と私』を創ることができてよかったです。書いている途中で亡くなって精神的に落ちてしまうところを、連載があるおかげでなんとか乗り切ることができました。命の間際を経験することで、以降の作品はより深みが増したと思います。
◆作家・荻野アンナ
おぎの・あんな/1956年11月7日、神奈川県生まれ。フランス文学研究の傍ら作家活動を始め、1991年『背負い水』で芥川賞受賞。2007年フランス教育功労賞シュヴァリエ叙勲。2002年より慶應義塾大学文学部教授、2022年に定年退任し名誉教授。2024年神奈川近代文学館館長に就任。大道芸や落語に強い関心があり、2005年より11代金原亭馬生師匠に入門、高座名は金原亭駒ん奈(二つ目)。
撮影/小山志麻 取材・文/小山内麗香