後悔しない介護とは?「亡き祖母と父の介護を振り返り、認知症の母には同じ思いを繰り返したくない」息子の願いと準備しているもの
岩手・盛岡に暮らす認知症の母を遠距離介護している作家でブロガーの工藤広伸さん。これまで祖母、父親の介護経験を振り返ると「後悔」がたくさんあるという。家族の介護や看病、そして看取りにおいて「あのときこうすればよかった…」と後悔を引きずらないために、工藤さんがしてきた準備とは。
執筆/工藤広伸(くどうひろのぶ)
介護作家・ブロガー/2012年から岩手にいる認知症で難病の母(81才・要介護4)を、東京から通いで遠距離在宅介護中。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護して看取る。介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。著書『親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること』『親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと』(翔泳社)『老いた親の様子に「アレ?」と思ったら』(PHP研究所)など。ブログ『40歳からの遠距離介護』https://40kaigo.net/、Voicyパーソナリティ『ちょっと気になる?介護のラジオ』https://voicy.jp/channel/1442
今も後悔している亡き祖母の介護
東京で暮らすわたしは、岩手にいた祖母と父の介護をして看取り、今は母を通いで在宅介護しています。祖母や父の介護を経験した中で、もっとこうしておけばよかった、他にいい方法があったのでは? そんな後悔がたくさんあります。
その中でも、特に悔いが残っていることをご紹介しながら、その後悔とどう向き合ってきたかについて、お伝えします。
2012年11月。祖母は救急搬送され、そのまま入院することになりました。診断結果は、子宮頸がん。子宮の3分の2を腫瘍が覆っていて、ステージⅢa。認知症で物事の理解が難しかった祖母に代わって、わたしが余命半年という宣告を受けることになったのです。
子宮頸がんとはいえ、痛みを訴える様子もなく元気だった祖母。ベッドでの生活は退屈だったのか、病院へ行くと必ずナースステーションに居て、看護師さんと談笑していました。病院側も動き回る祖母を警戒して、ベッドの高さを限りなく床に近づけてくれました。
手術や治療がひととおり終わったあと、医師やソーシャルワーカーの勧めで、がんの手当が可能な療養型病床へ、祖母を転院させることになったのです。
わたしは療養型病床で「祖母が動き回るから、前の病院ではベッドの高さを床の近くまで下げていました」と伝えると、病院から「ベッドの高さは、これ以上は低くならない」と言われ、何の疑問も持たずに了承してしまいました。
しかし入院から1か月が経った頃、祖母はベッドから転落して大腿骨を骨折。療養型病床では手術ができず、別の急性期病院へ入院をして、ボルトを入れる手術を受けることになったのです。
手術は無事成功したのですが、重度まで認知症が進行していた祖母は骨折したことも、リハビリがなぜ必要なのかも理解できなかったので、そのままリハビリは終了。元気だった祖母は歩けなくなり、ベッドでの生活が始まりました。
『「動かない」と人は病む』(大川弥生著)という本がありますが、祖母がまさにその状況になり、次第に寝たきりへと移行していったのです。
介護が始まってまだ2か月目だったわたしは、介護の知識に乏しく、しかも母の認知症も同時に見つかったため、自宅での生活は厳しいと判断してしまいました。そして2013年、祖母は病院で最期を迎え、激しく後悔することになるのです。
今の自分なら、がんの痛みを取りながら、自宅で過ごしてもらう選択をしたと思います。
父親の介護で後悔しないために…
祖母を自宅でみられなかった後悔は、父の介護で取り返すことができたと思っています。
父は悪性リンパ腫という血液のがんで突然入院することになり、余命1か月から3か月という診断でした。
やれる治療はすべてやったあと、亡くなった祖母と同じように他の病院への転院を勧められました。しかし、長期の入院生活で衰えていった祖母の姿を思い出し、また母のかかりつけ医が在宅医療の医師だったこともあって、父と相談して家に戻る決断をしたのです。
病院では天井をただ見つめ、食事も喉を通らず、氷をなめるのが精いっぱいだった父。自宅に戻ってからも、しばらくはベッドで寝たきりの生活が続きましたが、生きる意欲が湧いてきたのでしょう。1か月もするとベッドから起き上がり、食事もできるようになって、自ら歩けるまでに回復したのです。
父は余命宣告どおり、診断から2か月で亡くなってしまったのですが、最期に自宅で生活できたこと、元気な父の姿を見られたことで、祖母のときのような後悔はありませんでした。
祖母と父の介護で感じた「やっておけばよかったこと」
しかし、祖母と父の介護で共通してまた別の後悔もありました。
それは「元気なうちに、介護や終末期の話をしていなかった」ことです。
祖母は重度の認知症のため、意思疎通が難しく、介護や終末期の判断は娘である母と孫のわたしがするしかありませんでした。父とはかろうじて話ができる状態でしたが、衰弱して余命宣告された父と終末期の話をするのは、精神的に厳しいものがありました。
祖母と父で経験した後悔を、母では繰り返したくない。そんな強い思いから、祖母の命日に、母の介護の方針や延命治療、葬儀やお墓について、毎年話し合うようになりました。その記録はエンディングノートに残してあり、母の希望どおりに実行する準備はできています。
残念ながら、母の認知症は重度まで進行したため、現在は意思をはっきりくみ取れないところもありますが、今まで毎年聞いてきた内容に沿って、介護や終末期の判断をするつもりでいます。
わたしは祖母で経験した後悔を父の介護で取り返し、父で経験した後悔を母の介護で活かす機会に偶然恵まれたので、この先の人生において後悔を引きずることはあまりないと思っています。
親が元気なときに、介護や終末期の話はしづらいかもしれません。それでも自分と同じような後悔をして欲しくないという思いから、『老いた親の様子に「アレ?」と思ったら』(PHP研究所)という本を書きました。ご興味のあるかたは、読んでみてください。
今日もしれっと、しれっと。