健康、財産、最愛の人…“喪失体験”はどう受け入れたらいい? 全盲の精神科医が実体験から語る喪失感を乗り越えるためのヒント
ヒントその2
ヒントその2、「得たもの」に着目。
常々思うことですが、何かを失うということは何かを得ることです。
見えなくなった分、できるようになることがある。私は学生時代、ギターのチューニングができない男として有名でしたが、視力を失ってチューニングマシーンの針が見えなくなると、耳で合わせるしかなくなり、なんと見えていた頃よりもチューニングが正確になりました。
耳が聞こえなくなった分、表情から細やかに感情を読み取れるようになる人がいます。身体を動かしにくくなった人にしか発揮できない思いやりだってあるでしょう。
何かを失うことは、何かを得ること。
逆も然りで、何かを得ることは、何かを失うこと。
ただ得るだけの体験はないし、ただ失うだけの体験もない。
「喪失したけれど、手にした何かもあるはずだ」
その視点こそが、喪失感を弱めるきっかけになるのではないかと思います。とはいえ、もちろんその視点を得るのは簡単なことではありません。
大切な家族、大切な財産、大切な仕事、そして音楽家にとっての耳やマラソン選手にとっての足のように、その人にとって大切な健康。それらを失った場合は、特にそうでしょう。
「失った分、得たものがあります」なんて言われたら、怒りすら覚えるかもしれません。しかし、それでも信じてみてほしい。失うだけの体験は絶対にありません。
時間はかかるかもしれませんが、心はかならず何かを得ます。奪われたらその分何かを意地でも掴み取りましょう。傷ついたら傷から何かを意地でも感じ取りましょう。
失ったものだけに意識を向けると、どうしても辛くなってしまいます。少しずつでも、「失ったもの」から「今、持っているもの」へとフォーカスをずらしていけたら。そして完全に、全部を受け入れられなくても「今の自分もこれはこれでありだな」と少しでも感じられたなら、人は生きていけると思います。
人間は全てを手に入れられない分、全てを失くすこともできないのです。