「介護療養型施設で要介護5の夫の笑顔を初めて見た」施設は姥捨て山ではなく楽園【医師・川村隆枝さん】
医師でエッセイストの川村隆枝さん(75才)は、約11年前に夫が脳卒中で倒れて要介護5となり、24時間の介護を担っていた。周囲の協力を得ながらの自宅介護や入退院を繰り返し限界を感じる中で、夫の介護療養型施設に入居を決めた。すると容態が安定して、川村さん自身にも変化が起こったという。今では「もっと早くから施設のお世話になればよかった」と感じている川村さんに、夫を見送るまでの5年間を振り返ってもらった。
教えてくれた人
川村隆枝さん/医師・エッセイスト
1949年島根県出身。麻酔科医として多忙な日々を送る中、産婦人科医だった夫・圭一さんが左半身まひになり、介護を経験。夫の逝去後、2019年に『老健たきざわ』施設長に就任。
倒れた後、初めて夫の笑顔を見たのは施設の中だった
手助けをしてくれる家族がいたとしても、老人ホームでの暮らしを選ぶことが双方にとって幸せな老後につながるケースもある。
「介護におけるいちばんの後悔は、もっと早くから施設のお世話になればよかったということ。夫は嫌がったと思いますが、それでも私が早めに決断していれば、お互いにもっと心地よく、気持ちに余裕を持って過ごせたと思います」
在宅と施設で5年間、夫を介護した経験を振り返るのは医師でエッセイストの川村隆枝さん(75才)。現在は岩手県の介護老人保健施設の施設長を務める専門家でもある彼女はそう「教訓」を語る。11年前、川村さんの夫は脳卒中で倒れて左半身がまひし、要介護5で24時間介護が必要になった。
自宅介護と入退院の日々
「できることは何でもするから自宅に帰りたい」
急性期とリハビリ期間を乗り越えた夫の懇願に応え、川村さんは自宅で介護することを選んだ。
「しかしそれがお互いにとって、苦難の始まりでした。自宅を改装し、私と義妹、ヘルパーさんらと24時間体制で付き添い、できる限りのことはしましたが、夫は自由に体を動かすことができないストレスから精神的に不安定になり、わがままで怒りっぽく不機嫌になってしまいました。
特に困ったのは日中、私が仕事に行っている間にヘルパーさんに“あれが食べたい、これが食べたい”とファストフードを頼んでいたこと。栄養バランスを崩した結果、膀胱炎(ぼうこうえん)や大腸炎、肺炎を起こして入退院の繰り返し。ついには自宅介護が不可能になり、施設に入ることになりました」(川村さん・以下同)
夫が介護療養型施設に入居後に容体がみるみる安定
不本意な形での入居だったものの、医師と看護師、介護士が常駐する介護療養型の施設で生活リズムが整い、容体はみるみる安定した。
「入居当初は10種類服用していた薬は数種類に減り、精神面も回復して、倒れてから初めて笑顔を見せてくれました。
介護を担う家族の多くが施設に預けることに“姥(うば)捨て山と同じじゃないか”と強い罪悪感を抱いています。しかし実際にはプロの介護士や看護師が食事や入浴、排せつや健康管理を行い、館内は清潔に保たれていて“楽園だ”と言うかたもいる。
確かに家族とは離れ離れですが、自宅で一緒にいたとしても体が思うように動かなければ、情けなさや寂しさを感じるものです。
また、施設で行う食事療法やリハビリによって体調が回復して、入居前よりも自由に行動できるようになるケースも多く、そのまま自宅に戻る人もいる。夫も週末には施設の外に出て食事や買い物をしてリフレッシュしていました。
だから、家族には“行ってらっしゃい!”と笑顔で送り出してほしいと思っています」
文/池田道大 取材/小山内麗香、平田淳、伏見友里
※女性セブン2024年8月22日・29日号
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