倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.34「最愛の夫、最期の刻」
漫画家の倉田真由美さんの夫、叶井俊太郎さんはすい臓がんが判明し、2年あまり闘病生活を送り、今年の2月16日の深夜に永眠された。4度目となる最期の余命宣告を受けたそのとき、ふたりの間には何があったのだろうか――。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。お笑い芸人マッハスピード豪速球のさかまきさん原作の介護がテーマの漫画『お尻ふきます!!』(KADOKAWA)ほか著書多数。
夫の叶井俊太郎さんとのエピソードを描いたコミック『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』 『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』は現在Amazonで無料で公開中。
余命宣告を超えて生きた夫
夫は計4回、余命宣告をされました。
1回目はすい臓がんが告知された22年の初夏、「悪ければ半年、どんなに長くても一年」。でもこれは当たらず、「どんなに長くても」の一年より更に9か月近く長く生きました。
2回目は23年夏、胃と小腸のバイパス手術をした時に言われた「年内もつかどうか」。でも、これも当たらず年を越せました。
3回目は24年2月初旬、定期検診で「もって今月いっぱい」。これもきっと当たらない、夫はもっと生きると思っていたのに、当たってしまいました。夫は、今年の桜を見ることはできませんでした。
4回目の余命宣告、亡くなる前日のこと
4回目の余命宣告を受けたのは、夫が亡くなる前日の深夜です。
その日、朝から特に普段と変わった様子もなかった夫。日中に「ちょっと散歩したい」と私を杖代わりに手をつないで外に出て、「やっぱり長い距離無理だ」とほんの数メートルだけ歩いて引き返しましたが、私は夫に外出する意欲があることを喜んでいました。
家の中では自分で歩けるし、昼には夫がリクエストしたコンビニのフライドチキン、おやつにイチゴやガリガリくん、夜は病を得てからの定番だったマグロやイカの刺身を食べ、21時過ぎにはシャワーを浴びて髪を洗い髭を剃りました。
ここまでは普段と変わらない1日でした。
様子がおかしくなったのは夜の22時頃。やたら吐き気がするようで何度もティッシュに唾や胃液のようなものを吐きます。でもそれまでも何度かこういうことはあったし、それどころかもっとひどく何度も吐いたこともあったので、私はあまり深刻にはとらえませんでした。
「先生呼んで」
夫が今すぐ訪問医に電話して欲しいと言うので、「え?こんな時間に?」と聞きました。
「うん。呼んで」
「どうしたの?先生、明日の朝来ることになってるけど…」
「いや、今来て欲しい」
身体が弱ってきているので、気持ちも弱気になっているのかな、と最初はそのくらいに思ってしまいました。
「調子悪いの?いつもと違う?」
「うん」
夫が強く訴えるので、深夜だけど担当してくれている訪問医、S先生に電話をかけました。
「あの、夫がとても調子悪いみたいで、今すぐうちに来て欲しいと…」
私が事情を説明すると、S先生は30分以内に行く、と答えてくれました。
「ちょっと待っててね。先生、すぐ来るからね」
「わかった」
夫は相変わらず吐き気と闘っていました。山積みになるティッシュ。でも大して食べていないので、吐いても吐瀉物はあまり出てきません。他に大きな痛みも熱もなかったので、S先生に来てもらってもしてもらうことはないかもしれない、でも夫が安心できるならそれでいい、そう思っていました。
S先生が来る、その時までは。
――このエピソードは後編に続きます(次回は7月6日18時公開予定です)。
倉田真由美さん、夫のすい臓がんが発覚するまでの経緯
夫が黄色くなり始めた――。異変に気がついた倉田さんと夫の叶井さんが、まさかの「すい臓がん」と診断されるまでには、さまざまな経緯をたどることになる。最初は黄疸、そして胃炎と診断されて…。現在、本サイトで連載中の「余命宣告後の日常」以前の話がコミック版で無料公開中だ。
『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』
『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』