兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第255回 突然、寝たきり状態に!】
ショートステイ先で突然倒れ、救急搬送された兄。幸い、大きな病気は見つからず帰宅することに。しかし、立てなくなった兄を一人で家に連れて帰ることができない妹のツガエマナミコさんは、ショートステイ先の職員にサポートを仰ぎます。なんとか無事に家まで帰ってこれた兄でしたが、その後も歩けない状態が続き、在宅介護の状況は大きな転機を迎えます。そんな中、申し込みをしていた特別養護老人ホームの人が面談にやってきました。
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あれよあれよと介護ベッドと車いすをレンタルすることに
兄がショートステイで痙攣をおこして救急搬送された2日後、特別養護老人ホームの方が兄との面談のために我が家にご来訪されました。入居希望の書面に書いた内容と、状況がだいぶ変わってしまったので、施設の方もなんとも言えないようでございました。
これまでの生活の様子を一通りお話し、ほんの数日前まで自由に歩き、食欲旺盛だったことをアピールいたしました。ただ今は立ち上がることはおろか、寝返りも打てない(打たそうとすると痛がって抵抗する)状態で、横向きのままで食事は全介助であることをお話ししました。そして数日後に主治医の診察予約を取ったことをお話ししたところ、「先生の診察の結果を待たないと何も決められませんね」という結論でお帰りになりました。
ネックになったのは排せつ問題ではなく食事量の心配。「食べられない人は体調の維持ができないので、入居できません」とはっきりおっしゃいました。
この頃は、まだ「これは一時的なもの。明日になったら立ち上がるかも」と淡い期待を持っておりました。でもさらに2日経っても動きません。
床敷きのせんべい布団に寝たままなので食は極細。バナナや玉子焼きを1センチ角ほどに切って口の中に入れれば多少食べてくれますが、元気な頃の20分の1ぐらいでしょうか。ほぼ水しか飲んでいない状態が続き、オムツ交換もわたくし一人で頑張るしかございませんでした。「無理だ」とくじけそうな気持を奮い立たせ、ベテラン介護ヘルパーの魂を憑依させて難を乗り切りました。
「やればできるもんだ」と自分をほめたたえていると、ケアマネさまより「主治医の診察日には介護タクシーが必要だと思うので予約しますがいいでしょうか?」とご連絡がありました。
さらに介護タクシーに乗るまでの道のりには車いすが必要で、車いすに乗せるためには、介護ベッドに寝てもらうことが先決だということになりました。
あれよあれよという間に介護ベッドと車いすが納品され、メーカーの方々が兄の部屋にベッドを設置し、兄をベッドに寝かせてくださいました。
ベッドと車いすのレンタルは1割負担で月2500円ほど。こうなる前からそろそろ介護ベッドにしなくちゃな~と思っていたところだったので、渡りに船でございました。すでに背中に床ずれ的な赤みができ始めていたので、柔らかいベッドになって一安心。背中を立たせることができるので水が飲ませやすく、食べ物も胃の方に落ちてくれるため、少し食べてくれるようになった気がいたしました。
しかし、一難去ってまた一難。主治医の診察日は車いすが大問題になりました。車いすがというより、車いすに乗った兄が大問題だったのでございます。
この日の朝には、兄としては初めて介護ヘルパーさまにオムツ交換や着替えをしていただきました。介護タクシーの方が、嫌がる兄を抱えてベッドから車いすに移乗して、なんとか無事に出発することができました。病院にも余裕をもって到着したのですが、このあと兄が車いすに座っている姿勢を保てないことが判明したのでございます。
待合室に着いた頃には、お尻がどんどん前にズレ、座面に背中が付く感じ。今にも車いすからずり落ちんばかりの体勢になっていました。
元の位置に戻そうとして両脇を持ち上げてもビクともしません。見かねた通りすがりの病院スタッフの方がズボンのウエスト辺りをグッと持って正しい位置に戻してくださったので本当に助かりました。でも、数分でまたズルズルとお尻が前にズレていき、足が地面についてしまう有様に…。するとまたどなたかが助けてくださり、一緒に座り直させてくださって…。この日は何度も何度もそれが繰り返されました。
あるときは通りすがりの介護タクシーの運転手さん、またあるときは「ワタシ、カイゴヤッテル、ダイジョウブ」と言う外国人の方、「誰か呼んできましょうか?」と言って病院の人を連れて来てくださった方など、たくさんの方に助けられました。院内だったこともあるのでしょうが、世の中は意外と優しい人が多いんだな~と感じた1日でございました。
さて、肝心の主治医・財前先生(仮)の診察ですが、それは次回にいたしましょう。相変わらずの財前節だったことだけはここでお伝えしておきます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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