岡江久美子親の介護を告白|「元気な頃の母の姿」「プロの手を借りる」が乗り切る秘訣
岡江の知人は当時のことをこう話す。
「岡江さんは『はなまる』で忙しいにもかかわらず、毎日、隣家に住むお母さんに食事を作りにいっていました。夫の大和田獏さん(68才)がお母さんと手をつないで、散歩をすることもありました。
娘の美帆ちゃん(大和田美帆・35才)も介護士の資格まで取って、おばあちゃんの面倒を見ていました。両親が忙しかったので、あの子は“おばあちゃんに育てられた”と言えるくらいのおばあちゃんっ子ですからね。まさに家族ぐるみで介護をしていたんです」
その後、岡江の母は認知症を発症。しばらくして近所にある有料老人ホームに入ったという。
’17年11月に岡江の母親は他界。その1年後、美帆が離婚。慌ただしい日々は続いた。
岡江が語る「介護で大切なこと」とは
岡江はどうやって家族の転機を乗り越えたのか。後悔はないのか。なぜ笑顔でいられるのか―。
「今、振り返ると“もっと旅行に連れて行ってあげればよかった”とか、もっとできたんじゃないかなって思うことはあります。後悔というか…。でも、介護生活を終えてわかったのは、やりきった、満足したって、なかなか言えないんじゃないかって」(岡江・以下同)
―大変な介護だったと聞きました。
「晩年は認知症が進んでいましたしね…乗り越えられたのは、以前の母の元気な姿を覚えているからです。その頃のことを思い出しながら介護にあたっていました」
―介護で大切なことは何でしょうか。
「介護は、やりきった、満足したと言えるのが難しいぶん、頑張りすぎてしまう人がいる。ひとりで抱え込んでしまい、結果的に家族を巻き込んで共倒れになっちゃうケースがあります。私は自分の経験から、プロに頼んで分担するというのは重要だと思っています。 私の母の場合、施設の人たちが本当によくしてくださった。自分の家族のように接してくださって、お葬式では施設のかたがワーッて泣いてくれたんです」
―どんな葬儀だったのでしょうか。
「家族葬でした。生前、母から“葬儀は派手にしないでほしい”と言われていたので、母の希望通りにしました。お経は読まない音楽葬です。母の好きだった曲から私が選んで流しました」
話し終えると岡江は、茶目っ気たっぷりの表情でカメラマンに、 「どうしよう、スッピンで。恥ずかしいなぁ…どうせなら、もっと明るいところで撮ってほしいわ〜!」
と言うと、照れ笑いを浮かべながら背筋を伸ばした。そんな彼女を隣で大和田が笑顔で見守っていた。