【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第44回 母、元気に帰宅」
写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。父亡き後認知症を発症した母と暮らすために、千葉県勝浦市に住まいを移した飯田さん。母娘の2人暮らしが数年続いてきたが、新しく家族に迎えた仔犬とのやりとりで、母が怪我を負ってしまう。そのことが契機となり、しばらく介護施設で生活していた母だったが、退所の日がやってきた。
介護施設から帰宅
母が半年ぶりに施設から自宅に戻ってきた。
当日車で迎えに行き、お世話になった施設のケアマネさんやスタッフの方々に見送られ母は助手席から「また来ます!」と元気に手を振っていた。
「入所。出所」という言葉を介護施設の出入りでは使う。その響きはどこか刑務所を思わせる。しかし、ちょこんと助手席に座っている母の横顔は「シャバの空気は久しぶりだなあ〜」という表情ではなく、ケロッとした感じだった。
家での暮らし再スタートでは、、仔犬だったハルと母の衝突と怪我、それだけは避けなければならない。ハルはほぼ成犬になったとはいえ、まだまだ仔犬のふるまいが多い。母が帰ってくる前には、私はハルと心して親密な時間を過ごすことにしていた。犬も人と同じように感情があり、人を疑うか信じるか日々の交流で相手との関係性を理解し深めていく。
その甲斐あって、母とハルとの関係はまあまあ予想以上にしっくりといった。
以前、よく母に預けていた犬のナナ(2019年に他界)も同じ犬種なので母はハルのことを「ナナちゃん」と、前の犬の名で呼ぶ。「ハル君だよ」と何度言ってもその時はわかってもまた「ナナ」になる。
ハルは母が普通の感覚の人でないことを動物の勘で察知しているのか、母に強い関心を示さない。それが今となってはありがたい。
以前「施設と家を行き来すると認知症が進むケースが多いです。それをご了承いただけますか」とケアマネさんに言われたことがあったが、確かに短期記憶の障害は以前よりも増しているだろう。
でも、私にとっては、母が生半可に覚えているよりも接しやすいと感じている。まだらな記憶の時期の方が、かえって私はイライラしてしまうことが多かった。
母は「あれ?私どこにいたんだっけ?まあどこでもいいのよ。やっぱり若い頃に会社で仕事していたからかねえ、けっこうどこでも大丈夫なのよ」と不安気な様子も見せずに言う。
94才になった母
家に戻ってすぐ、勝浦の街はひな祭りで賑わっていた。昨年は雛階段に連れていき盛んに感動していた母。そして偶然母と同じ誕生日(ひな祭りの翌日の3月4日)の地元のお婆さんT子さんとも出会ったので、今年もT子さんを訪ねてから神社の階段に飾られたおひな様を見に行った。
T子さんはおばあさんといってもまだ80歳。母は94歳になるので一回り以上は年下なのだが、自力での歩行が難しく家から一人では動けないという。
「ああ、お母さん今年も来てくれたんだね、嬉しいよ!」と威勢のいい言葉をかけてくれたが、母には、どうもその記憶はないようで、ただ頷いていた。
「テレビや新聞でも見た事あるけど、やっぱり本物はすごいねえ」とひな壇の飾りを見て感動しきりに声を震わせている母だった。
母は、杖すら使わずに今も歩いてくれるので本当にありがたい。最近は私の方が車に頼っているので足の筋肉の衰えを感じている。頑張らねば!
翌日にはめでたく94歳の誕生日を迎えた。
「あ?え?94歳!まあ、そんなに生きた気がしないねえ…。うちの母は一体いくつまで生きたんだっけ?長生きの血筋だからねえ」と言う母。
「100歳まで軽く生きそうよ」と私。
そして父の仏壇に「あ、まだ挨拶行ってなかったね」と一日何度もお参りしている。
長くお世話になった老健施設(老人保健施設)では毎日規則正しい暮らしだった。
「あそこではね、のんびりできるし、4名でひとつのテーブルでスタッフの人たちもとても感じが良かったよ。」と母。
「また今月の末から行くからね」と私。
ショートステイの準備
家に戻りすぐにショートステイの契約のためにケアマネさんと施設の方の訪問があった。
ケアマネさんは以前担当してくれていた女性の方に再任をお願いした。やはり母の状況をわかってくださっている方がいい。
そのケアマネさんは母が以前ショートステイでお世話になっていた施設に所属している方なのだが、その施設、実は介護スタッフによる加害が全国的に報道され問題になったことがあるのだった。
その知らせを聞いた時は「母は大丈夫だったのだろうか?」と訝しく思ったが、当時の母は「とてもいい感じの施設で私は気に入っている」と常々話していたし、
ケアマネさんとのやりとりも人柄も申し分ない感じであった。
コロナ禍となってから介護施設への家族の立ち入り見学ができなくなり、施設はますます閉鎖的な雰囲気に包まれてしまった。同じ施設にいても介護するご家族の感じ方も様々だ。信頼してお願いしたい気持ちはみな同じ。でも、些細なことに目くじらを立ててばかりでは介護スタッフとて人間なのでストレスが嵩んでしまうだろう。学校で教師にクレームをつけるモンスターペアレンツならぬ、モンスター介護家族ではないか。自問自答する。本当に理想的な介護現場とは一体どんなものだろう、と答えの出ない想像をする。
お風呂場でハプニング
我が家ではハルの存在が緩衝材になってくれていることは確かだ。介護世代ファミリーにちょうど幼い孫の存在があるように、無邪気な犬の存在には救われ、癒されている。
以前は母に留守番を任せて朝から夜まで留守も平気だったが、この頃は短期記憶がなく、メモ書きも剥がしてしまい、剥がしたことも忘れる。しかし現実の“イマココ”での会話での返事では「わかった!」。本気で信じてしまうくらいはっきりとしたその「わかった」は、今、この瞬間ではわかっていても1分後にはわからない状態なのだ。
そのような状況の母が夜暗くまで一人で過ごすというのは無理な話だ。
ある寒い日のこと。就寝前に部屋を暖かくして、母にお風呂に入ってもらう準備をした。入浴から髪を洗うことまでを介助し、後は「温まってから出るからね」という母の言葉を後に、私はリビングへ。しばらくして、そろそろ出た頃かな?とお風呂場へ行くと、なんと母がタイルの上で尻餅をついたまま動けないでいるではないか!
「転んだら起きられなくて」と母。どうやら入浴後に窓を開けフロアマットを立て掛けようとしたらしい。すぐにバスタオルで包んで起こし、洗面所へと連れ出した。
幸い怪我もなく事なきを得たが、入浴ももう1人にしておくことはできないことを悟ったのだった。
“イマココ”を大切に生きること
ある気持ちのいい夕暮れ時、母を車に乗せ隣町の御宿の散歩道へ行った。潮風にあたりながら母は「ああ、こんな近くに気持ちいい場所があるんだね。遠くに行かなくても海外みたいだね。何あれは?人が海にたくさんいるね」とサーフィンに興じる人々を飽きずに眺めていた。
季節の移ろいのように、人も行きつ戻りつしながら齢を重ねていく。“イマココ”を大切にしながら過ごすこと。禅の教えのような境地が少しはわかったような気もした。
写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)
写真家・ハーバリスト。 (公社)日本写真家協会会員1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は千葉県勝浦市で母と犬との暮らし。仕事で国内外を旅し雑誌メディアに掲載。好きなフィールドは南太平洋。最近の趣味はガーデン作り。また、世田谷区と長く友好関係を持つ群馬県川場村の撮影も長く続けている。写真展に「海からの便りII」Nikon The garelly、など多数。
写真集に「海からの便りII」「長崎の教会」『Bula Fiji」など。