倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.13「15年間一度も夫婦喧嘩したことはなかったのに…」
夫・叶井俊太郎さんの1年半にわたる闘病を支え、共に歩んできた漫画家の倉田真由美さん。2月に旅立った夫を思う気持ちは募るばかりだ。叶井さんに対して、ネガティブな気持ちを抱くことが一度もなかったと振り返る倉田さんが、今の心境を明かす。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。お笑い芸人マッハスピード豪速球のさかまきさん原作の介護がテーマの漫画『お尻ふきます!!』(KADOKAWA)ほか著書多数。
夫の叶井俊太郎さんとのエピソードを描いたコミック『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』 『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』は現在Amazonで無料で公開中。
父亡き後、変化した母の様子
私の父は、一昨年の秋に亡くなりました。
父は、いわゆる「昭和の男」要素の強い人でした。家長意識が強く「常に自分の希望優先」で、家の中では母に頼り切りでした。会社員時代も駅まで毎日車での送迎を母にさせたりしていましたが、定年退職後は更に依存度が高くなりました。基本的に、いつでもどこでも母がいないとだめ。家の中でも母が別の部屋にいると、「婆さんはどこだ」とすぐに母を探す始末。
なので母は、父の存命中はやれないことがたくさんありました。母は、元々近所の同じ主婦仲間の友だちとおしゃべりするのが大好き。でも父がいるとなかなかその時間が作れません。そして父は、店での食事や自宅以外で寝泊まりするのは苦手な人。車で助手席に母を乗せて野山に行くのは好きでしたが、必ず日帰りで夜は自宅で夕食をとりました。ここも外食好き、旅行好きの母とは合わないところでしたが、母は仕方なく父に合わせていました。
隣の県に住む母の母、私の祖母が9年前に病気で倒れた時、母はもっと祖母に会いに行きたかったと思います。母はずっと、毎日のように自分の母親に電話をして長話をするほど、お母さんっ子でしたから。でも、父がいるからほとんど会いに行けませんでした。もっともっと、祖母と触れ合い話をしておきたかっただろうに、それは叶いませんでした。
父が亡くなった時、母は本当に悲しんでいたと思います。でもひとしきり悲しみに暮れた後は、水を得た魚のようにイキイキと日々を過ごすようになりました。長年やってみたかった習い事を始めたり、近所の友だちと旅行に行ったり。母は、父に対して愛情もあったけど、同時に恨みのような思いもあったと思います。
母のような妻は、珍しくないのを知っています。私の女友だちにも、似たような感情を夫に抱いている人は少なくありません。恨みという言葉は強いけど、そう表現するしかないような感情は、きれいごとじゃなく普通に存在するものです。
でも、私にはないんですよね。夫に対して、恨みのようなもの、負の感情が。実際、結婚生活15年ほどの間、一度も夫婦喧嘩をしたことがないんです。夫のおかげでできたことは沢山あるけど、夫のせいで我慢したことなんて何もありません。お互いに深刻な許しがたいこと、我慢ならないほど嫌なことがありませんでした。まったく喧嘩にならない相性でした。大袈裟じゃなく、夫にはいい思い出しかありません。
でも、もういない…
女友だちには「そんなダンナさんでよかったね」と言われます。でも、失ってしまいました。今はもう、いないんです。
だからただひたすら、悲しいだけです。
倉田真由美さん、夫のすい臓がんが発覚するまでの経緯
夫が黄色くなり始めた――。異変に気がついた倉田さんと夫の叶井さんが、まさかの「すい臓がん」と診断されるまでには、さまざまな経緯をたどることになる。最初は黄疸、そして胃炎と診断されて…。現在、本サイトで連載中の「余命宣告後の日常」以前の話がコミック版で無料公開中だ。
『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』
『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』