「40年連れ添った夫がひとり旅先で急逝」実例に学ぶ<悔いのない最期の迎え方>を看取りのプロが解説
都内在住の竹田文男さん(56才・仮名)は5年前に腰の骨を折り、寝たきりになった80代の母の希望を死後に知り、自責の念にかられたという。当時、更年期障害と診断されていた妻が体調を崩し、大学受験の息子もいて家の中がピリピリしていたので、やむなく母を施設に入所させた。
竹田さんが面会にいくと母は「ここは快適だから心配しないで」と口にしたが、体調は急激に悪化して誤嚥(ごえん)性肺炎で危篤になった。慌てて病室に駆けつけると、ベッドの脇に旅行バッグがぽつんと置かれていた。
「母が亡くなったのち、看護師から“お母さんは本当は家に帰りたくて荷物をまとめていたけど、息子に迷惑はかけられないからと黙っていたんですよ”と聞き、胸が詰まりました。“最後のわがままのつもりで伝えようかとも思ったけど、息子の困る顔は見たくないから”とも話していたそうで、母がどうせならわがままを言えばよかったと後悔していたらと思うと悔やんでも悔やみきれません」(竹田さん)
本人の意思を尊重しないことも後悔につながる。神奈川県に住む平晶子さん(50才・仮名)の70代の父は肺がんが見つかった際、祖父の代から経営する町工場の仕事を続けるため、失敗のリスクもある手術を望んだ。しかし、一日でも長生きしてもらいたい家族は父を説得し、手術ではなく放射線治療と薬物療法を選択した。
だが父は日に日に衰弱し、最後の2か月は痛み止めも効かず、薬で眠らせる治療の末に息を引き取った。
「父の闘病はあまりに壮絶でした」と平さんが語る。
「骨と皮だけでミイラのようになった父を見て、“手術した方がよかった”と苦しみました。長生きしてほしいなんて、家族のエゴだったかもしれません」
「40年連れ添った夫とこんな終わり方があるのか」
少しでも長く、穏やかに生きてほしい――切なる願いが家族と本人を苦しめるのであれば悔んでも悔みきれない。そうした悲劇を避けるためにはどうすべきか。
森田さんは「日頃から家族で腹を割って話をしていれば、いざというときに死に向き合える」と話す。
「“家族だから言わなくてもわかる” “どうせ言っても無駄だ”というのは嘘です。コミュニケーションを取らないから疎遠になり、悔いを残すことになるのです。そして、よりよい最期を迎えるためにも、普段から生死について話し合って理解し合うことが重要です」(森田さん)
ただし、「話し合い」の猶予がいつまでもあるとは限らない。別れは突然やって来ることもある。
都内在住の富樫圭子さん(60才・仮名)の夫は自身が定年退職した直後、妻をいたわるため、サプライズの温泉旅行を計画した。だが富樫さんは当日知らされたため、着替えの洋服などを準備しておらず「そんな急に言われても…」と不服をもらした。それがきっかけで夫婦げんかになり、夫はひとりで温泉に出かけたという。
その晩、自宅の固定電話が鳴った。胸騒ぎがした富樫さんが慌てて電話をとると、夫が脳梗塞で倒れたと旅館から連絡が入った。急いで駆けつけたが間に合わず、夫は息を引き取った。富樫さんが静かに語る。
「40年近く連れ添ったのに、こんな終わり方があるのかと打ちひしがれました。あのとき一緒に行っておけばこんな思いをしないですんだのにと後悔する日々です。悲しさと悔しさは一生忘れないと思います」
文/池田道大 取材/進藤大郎、清水芽々、平田淳、三好洋輝 写真/PIXTA
※女性セブン2024年2月29・3月7日号
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