兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第229回 まさか!衝撃の連絡】
それはそれはひどい話です。今回は、ツガエマナミコさんに届いた衝撃の報せについて。一緒に暮らす若年性認知症の兄の排泄や食事のサポートに限界を感じ、特別養護老人ホーム(特養)に申し込みをしたマナミコさん。お試しのショートステイを経て、施設から「受け入れの方向です」と連絡があったものの、その後音沙汰がなかったので、問い合わせたところまさかの返事…。先日、救急車に乗るほど体調を崩したマナミコさんに追い打ちをかけるようなことが起こってしまいました。
* * *
まさかの施設入所ならず~
「人生には3つの坂があると申します。登り坂、下り坂、そして、まさか」
結婚式の祝辞では定番の人生訓でございますが、独身のツガエの人生にもその「まさか」がやってまいりました。
3泊4日のお試しショートステイをしたあと、その特別養護老人ホームに入所希望を出してみましたらば、即座に「こちらとしては受け入れの方向で考えています。後日、面談日のご相談をさせてください」とお電話をいただき、天にも昇るような心地でおりました。読者の方にも「よかったですね」と安心していただき、肩の荷を下ろしておりました。
ですが、それきり3週間も音沙汰がなく、しびれを切らしてお電話をしたところ、その日は担当の方がお休みで、翌日折り返しのお電話をいただきました。
「ご連絡が遅くなって申し訳ありません。検討した結果、ツガエさんを受け入れるのはかなり厳しいという判断になりました」
あまりの変わり様に驚いたことは言うまでもございません。「受け入れの方向で考えています」と言ったことを忘れていらっしゃるかのような口ぶりにも愕然といたしました。
その方がおっしゃるには、排尿排便をあちこちでしてしまう点が、ほかの入所者さまの生活もあるので衛生上問題があるとのこと。しかも、まるで当施設だけが冷たい対応をしているわけじゃないですよ、と言わんばかりに「排泄コントロールができないとどこの特養さんでも厳しいと思います」という趣旨のお話しを3~4回繰り返されました。
「お兄さまの場合、指示が入らないのです」とも言われました。「指示が入らない」とは「教えてもわからない」という事らしく、「はぁ?」となってしまいました。
兄は認知症で要介護3です。そのくらいのことはわかっていただけていると思っておりました。しかも、お試しショートステイをした上で「受け入れの方向で考えている」と言われたのですから、「入れるのだ」と確信しても無理はございませんよね?
でも、違ったんです。
「今のままでは、特養はどこも難しいと思うので、一度担当の医師に、薬で排泄コントロールができるかご相談したほうがいいんじゃないかと思います。もしくは認知症対応型のグループホームにご相談してみてはいかがでしょうか?」とも言われました。
電話口は施設の相談員さまであり、ショートステイを申し込みに行った際、わたくしが「兄はあちこちでオシッコしちゃうんです」と心配を申し上げると「大丈夫です。それをどう工夫したらいいかを考えるのがこちらの仕事ですから」と力強くおっしゃったお方です。とても同じ人の言葉とは思えませんでした。両手を広げて笑顔で迎えてくれると思い、喜んで駆け寄ったら急にそっぽを向かれて「アナタは無理に決まっているでしょ」と言われたような気持ちでございます。
相談員さまは介護スタッフではないので、きっと兄の表面の穏やかさだけを見ていたのでございましょう。だから早々に「受け入れの方向」というお電話をしてくださったのだと思います。でもスタッフで会議をしてみると排泄の失敗の回数が多く、大変だったという発言があったようでございます。
それにしても、「後日、面談日のご相談を」と言ったきり、こちらが連絡をしなければ何も伝えてくださらなかった不誠実さに腹が立ちました。
嫌な予感はしていたものの、一縷の望みを持っていただけに首が持ち上がらないくらいガクンと落ち込んでしまいました。
「特養はどこも厳しい」という言葉がにわかには信じられませんでした。特養はどこもそうならば、初めからそれをきちんと打ち出してほしいものでございます。
でも、冷静に考えれば排泄をあちこちでしてしまうのは大迷惑なことで、ほかの入所者さまのことを考えれば拒否されても仕方のないお話でございます。いっそ歩けない状態ならよかったのかもしれない…と考えてしまいました。きっとグループホームでも同じようなことを言われてしまうんだろうと予想しております。
ひとしきり落ち込んだ後、ケアマネさまにお電話をして「ダメでした」とご報告するとケアマネさまも「えっ?」という驚きの反応でございました。
次回はケアマネさまとのお話しをご紹介いたします。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
●兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第228回 人生初の救急車体験】