85才、一人暮らし。ああ、快適なり 【第31回 七転び八起き】
85才にして、あえて一人暮らしを続ける矢崎氏泰久氏は、かの伝説の雑誌『話の特集』の編集長を創刊から30年にわたり務めた経歴の持ち主だ。
現在も、ジャーナリストとして新聞、雑誌などに執筆、講演などでも活躍する傍ら、炊事、掃除、洗濯も自ら行う多忙の日々を過ごしているのだが、先日、体調に大きな異変が起きたという。
大事に至るようなハプニングを乗り越えた矢崎氏に、事の顛末、近況、暮らしの心構えなどを臨場感たっぷりに綴っていただいた。
悠々自適独居生活の極意ここにあり。必見だ。
* * *
駅のホームで突然気を失った!
我が盟友・故永六輔は、よく転んだ。それも所かまわずに転ぶ。街角、旅先、家の中。
捻挫、骨折をのべつ繰り返した。
パーキンソン病とわかったのは、亡くなる5年ほど前のことだった。あんまりコロコロ転ぶので、ある日、覚悟して精密検査を受けたのである。
人生は確かに七転び八起きではあるが、肉体的に転ぶのは怪我になる。怪我の功名などと笑ってばかりはいられない。
恐ろしいのは、突然、意識を失って転ぶ、いや、転倒する事態だ。永さんはそれをやって週に2度救急車で病院へ運ばれたこともあった。
さる、10月1日の夕方、私は渋谷の井の頭線ホームで気を失って倒れた。
頭、腰、膝などを打撲したのだが、気が付いた時には駅のベッドに寝ていた。
どのくらいの時間が経過していたのか不明だったが、駅員の方が私を覗き込んで「救急車を呼びますか?それとも、どこかへ連絡されますか?」と意識の戻った私を覗き込んで言っていた。
私が覚えていたのは、ホームで電車を並んで待っていたところ、大地震が起きたかのように脚が揺れ始めた。つぎの瞬間脱力して、バッタリ倒れたのである。
そこまでしか覚えていなかった。気付いたらベッドに寝かされていたのだった。
携帯(ケイタイ)をポケットから取り出し、友人の医師に電話をかけた。私にとって、日頃から世話になっている主治医でもある。
すぐに、U先生が出てくれた。
事情を話すと、「タクシーに乗せて貰って、私の病院へ直行して下さい」と言う。
渋谷から病院のある高井戸までは、早ければ30分で行ける。車椅子に乗せて貰い、無事タクシーに乗ることが出来た。とても親切に扱ってもらい、駅員の方々には心から感謝した。事故の対応も素晴らしかった。感謝感謝!
やや渋滞していて、45分程で病院到着した。閉館時間だったが、スタッフ全員で待っていてくださったのだ。
血圧280、白血球は1万を超えており、U先生の診断では「一過性脳虚血発作」ということだった。早速手当を施していただく。
人間は脳発作では後ろへ、心臓発作なら前へ倒れるという。このことは、前から知っていた。もし、心臓だったら、ホームから転落していただろう。直前に電車が入ってきていた。まったく一寸先は闇である。
家で安静にして、様子を見ることになってホッとした。入院などということにいなったら、たちまち日常が崩れる。
ま、不幸中の幸いだったと駅員の方々、そして安全運転してくださったタクシー・ドライバー、むろんU先生に感謝しつつ、自室ベッドに横たわって数日安静に過ごした。
頼れる医者を友人に持ちなさい
煙草とコーヒー豆と食材を買い出しに渋谷へ行ったのだが、街も売り場も夕方とあって大混雑していた。原因はストレス以外に考えられないのだが、その大きな理由のひとつは、その日から値上げされた煙草の値段だったのかも知れない。
戦時中からずっと、今も変わらず武器弾薬を補充するために、国家は煙草を値上げする。イージス・アショアやオスプレイの為にスモーカーばかりが、何故酷い目に合うのか! そう、とても腹立ったことが、アタマに血が上った理由だったに違い。
それはさておき、私が心からお勧めしたいことは、何かの時に電話口に直接出てくれる主治医を持ちなさいとうことである。
いきなり救急車で見知らぬ病院へ運ばれ、手当を受けることは、思ったよりも大きなリスクを伴う。
実際に、のべつ転んでいた頃の永さんは、その被害を受けていた。ことに彼の場合は有名人でもあったので、たちまちメディアに知られ、他の病気についてのプライバシーを流されてしまっている。
つまり、大病院の医師ではなく、いわゆる町医者(小さな開業医)であってもいいから、親しい医師を知っていれば、突然病気になっても適切なアドバイスを受けることができる。
最も怖いのは、自分だけの判断で勝手に行動してしまうことだと思う。
肉体的な異変が起きることを習慣化させてしまうことも良くないし、まして素人の知恵で、病気を拡大することだってある。
病院嫌い医者嫌いも、年齢と共に寛容になることが大切だと、私のような野蛮人にもようやくわかった。
頼れる医師を友人にもつ。つまり、主治医と言える大げさな存在でなくても、気楽に付き合ってくれる医師を探しておくことは、老人や幼子(おさなご)にとっては、必須条件ではないだろうか。
昨今は二人に一人がガンになる。だからと言って、のべつ不安に思っていたのでは、うっかりすると詐欺に引っかからないとも限らない。
ノーベル賞の先生が、オプジーボが有効な人は20%だといっているのに、マスコミは万能薬扱いしている。もって銘するべきではあるまいか。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。