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『鎌倉殿の13人』31話 比企能員(佐藤二朗)最期の悪あがき「守るものが…守るものが違ったのよ」

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』31話。頼家(金子大地)は重い病に伏したまま、比企と北条の対立は激化。北条義時(小栗旬)の巡らした策略が、ついに比企能員(佐藤二朗)を討ち取る。だが、まさかのタイミングで頼家が意識を取り戻し……。「諦めの悪い男」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

頼朝危篤の時と同じ

 お笑いコンビ・ティモンディの高岸宏行がこのたび、芸人を続けながらも野球・独立リーグのひとつBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに入団し、8月14日には初登板・初先発を果たした。デビュー戦は3点を失って2回で降板したものの、自分がホームランを打たれた相手の打者を「ナイスバッティング」と拍手で讃えるなど、敵・味方の関係なしに野球を楽しむ余裕を見せた。

 奇しくも同じ日に放送された『鎌倉殿の13人』第31回でも、高岸演じる仁田忠常が重要な役を担った。しかし、それは彼の試合での爽やかな態度とはまったく違った。何しろ、忠常が担ったのは、北条時政(坂東彌十郎)の館へおびき出された比企能員(佐藤二朗)を討ち取るという役目だったのだから。

 今回は、これまでの話のなかで出てきたのとよく似た光景や人物が随所に出てきた。まず何といっても、前回のラストで倒れた頼家(金子大地)が冒頭、病床で医者(康すおん)の診断を受けるシーンである。昏睡状態が続くが、医者は汗をかいているので望みはあると言う。とはいえ、これは頼家の父・頼朝が危篤に陥ったときと同じだ。

 頼家を診断した医者は、頼朝挙兵時に真っ先にはせ参じた佐々木秀義の孫だと自己紹介した。言われてみるとたしかに秀義そっくりだ(演じているのが秀義と同じ俳優なのだから当然だが)。それにしても、なぜここでそんな人物が出てくるのか? 単純に、ドラマをずっと見てきた視聴者へのサービスともとれるが、後半の展開を見たところ、この登場には案外深い意味が込められていたようにも思えてきた(筆者の考察は後半で!)。

義時(小栗旬)のプラン

 頼家がいよいよ危ないと察して、能員が、頼家と自分の娘・せつ(山谷花純)の子である一幡(相澤壮太)をすぐにでも新たな鎌倉殿とすべく朝廷に願い出ようと言い出す。それに対し義時(小栗旬)は、まだ頼家は死ぬと決まったわけではないと押しとどめた。

 前回、頼朝の弟・阿野全成(新納慎也)が誅殺され、次の鎌倉殿の候補は一幡のほか、頼家の弟の千幡(のちの実朝/嶺岸煌桜)および頼家のもう一人の男子・善哉(のちの公暁/長尾翼)の3人となっていた。3者にはそれぞれ比企・北条・三浦が乳母父につくだけに、跡継ぎ争いから戦に発展しないよう、義時は腐心する。とりわけ、すでに頼家の乳父として権勢を振るう能員をこれ以上好きにさせるわけにはいかなかった。

 頼家は一向に回復せず、義時たちもさすがに死んだ場合を見越して動き始める。その段取りも頼朝の危篤時と同様だった。葬儀の準備は八田知家(市原隼人)に任され、さらには三善康信(小林隆)の主導により頼家の出家が床の上で行われる。

 この間、京都の寺で修業中だった全成の長男・頼全(小林櫂人)が、父の謀反に加担した疑いから、在京の御家人・源仲章(生田斗真)の指示のもと殺害されるという事件が起こった。義時がこれを比企の差し金と断定すると、北条の惣領である時政はすぐにでも比企を攻めようと息巻く。それでも義時は、鎌倉が火の海になるのだけは避けたいと言って、まずは、一幡を次の鎌倉殿に据えようとする比企に対抗して、北条から千幡を担ぎ出すことにする。

 そう決めたうえで義時は、あるプランを宿老会議に提出する。それは、頼家の死後は一幡と千幡が守護地頭の補任権を東国と西国で分け合うという大胆なものであった。もちろん、こんな案を能員が受け入れるわけがない。義時の示した絵図を破り捨てると、その場を立ち去ってしまう。もっとも、大江広元(栗原英雄)が指摘したとおり、そんなことは義時にも最初から織り込み済み。実際には、能員を攻撃するきっかけをつくるため、わざと彼が拒むような案を用意したのだ。

 頼家が出家したその日、義時は姉の政子(小池栄子)と面会すると、敵を容赦せず、常に先に仕掛けるという頼朝のやり方は正しかったとして、能員を攻める旨を伝える。このとき政子から一幡は助けてやってほしいと懇願されると、仏門に入ってもらうと答えた。が、そのあとで息子の泰時(坂口健太郎)に、戦になったら真っ先に一幡を母親ともども殺せと命じる。それもやはり、頼朝ならそうしていたと考えるがゆえであった。

 義時は、比企の出である妻の比奈(堀田真由)もこことぞとばかりに利用する。彼女自身、すでに割り切っていたのだろう。能員の館を訪ねた折、せつや比企尼(草笛光子)、能員の妻の道(堀内敬子)と親しげに語っていたかと思えば、席を外した隙に、能員の部屋の仕切り越しに聞き耳を立てた。そこでは能員が三浦義村(山本耕史)を自分の味方に引き入れようと説得している最中だった。義村はその前に、善哉を後継の鎌倉殿にすべく偽の頼朝の遺言を何枚も作成していただけに油断ならない。さっそく比奈は耳にしたことを書き留めると、義時に届けるよう泰時に託した。

 ただ、泰時は、父・義時が比奈を利用することに抵抗感をあらわにする。その姿は、頼朝が冷酷な判断を下すたび、強い拒否感を示した若き日の義時と重なり合う。だが、当の義時は、息子の前ではそのことを忘れたかのように振る舞う。泰時から「父上はどうかしておられます」「そこまでして北条の世をつくりたいのですか!?」と問い詰められても、「当たり前だっ」と一喝した。

 その夜、義時は時政と会うと、能員を倒したあとで千幡の後見役として事実上の政権トップとなる覚悟があるのか確認する。当然ながら時政は、家族をつらい目に遭わせないためにも、鎌倉のてっぺんに立って北条の世をつくってみせると誓う。義時も協力を求められ、承諾するが、その前にもう一度能員に話をしてみようと思うと告げた。それを聞いて時政は、おまえではもう埒が明かないと、代わりにその役目を引き受ける。

比企能員(佐藤二朗)の最期

 時政が御所に赴くと、能員は首座に置かれた敷物(言うまでもなく鎌倉殿が座る場所だ)をしみじみと見つめていた。そして、ふと、もし自分が頼朝の挙兵時に加勢していたら石橋山の戦いにも勝てたのではないかと悔やんだかと思うと、あのとき時政はよく踏み切ったものだと感心してみせた。

 いきなりおべっかを言われた時政は、ここぞとばかり、このあたりで手を打たないかと切り出す。だが、結局、話は物別れに終わった。時政は能員の去り際、最後にひとつだけ教えてやると、たとえおまえが加勢したところで頼朝は負けていたと断言する。

 建仁3年(1203)9月2日、ついに決行の日がやって来る。何も知らない能員は、時政から和議の求めを受けると、彼と会うため、のこのこと出かけていく。このとき、鎧もつけず丸腰で行こうとするので、妻の道や息子の時員(成田瑛基)は心配したが、「時政も坂東武者、太刀も持たぬ者を殺せば末代の恥とわかっている」と気にかけない。

 しかし、それこそまさに北条の思うつぼだった。館に着くと、時政が鎧に身を固めて待っており、すぐさま義時のほか兵士たちに取り囲まれてしまう。時政から「おまえさんは坂東生まれじゃねえから、わからねえだろうが、坂東武者ってのはな、勝つためには何でもするんだ。名前に傷がつくぐれえ屁でもねえさ」とすごまれたあげく、頼みの綱であった義村も、先日の説得もむなしく北条方についていた。

 義時の「比企能員、謀反の罪で討ち取る」という言葉を合図に、忠常が斬りかかると、能員は大仰にのたうちまわり、さらに庭へ飛び出す。そしてかろうじて持ち合わせた小刀で立ち会うも、すぐに抑え込まれ、義村に着物をはぎ取られると、その下に鎧をつけていたことがバレてしまった。時政から「その思い切りの悪さがわしらの命運を分けたのじゃ」「北条は挙兵に加わり、比企は二の足を踏んだ」と先の話を蒸し返され、能員は「我が比企一門を、取るに足らん伊豆の小者と一緒にするなぁーっ!!」「守るものが……守るものが違ったのよ」と悪あがきする。最後には精いっぱい高笑いし、「北条は策を選ばぬだけのこと。そのおぞましい悪名は永劫消えまいぞ」と捨て台詞を吐くと、仁田忠常から首をはねられたのだった。

 このあと、和田義盛(横田栄司)と畠山重忠(中川大志)の率いる軍勢が比企の館を襲った。バックに流れる優しげなバイオリンの音色が、かえって悲壮感を引き立てる。比企尼が怒り、道は覚悟を決める。それでも一幡だけは助けようと、母親のせつともども逃そうとする。しかし、すでに館は泰時たちに踏み込まれていた。せつは一幡を侍女に預けると、ひとり短刀で立ち向かう。泰時もさすがに女性とあって手を出しかねたが、そこへ殺し屋のトウ(山本千尋)が現れると、躊躇なく一撃を加える。せつが「一幡……」と言いながら死んでいったのが、見ていてつらかった。

 すべてが終わり、義時は政子に、すぐに千幡に鎌倉殿になってもらうべく準備を進めると報告した。政子からは、一幡は無事なのですねと念を押されるが、「生きているとわかれば担ぎ上げようとする輩が現れないとも限らない。いまは行方知れずということにしてあります」とあいまいな返事をする。さらに「これでよかったのですね」と訊かれた彼が、「よかったかどうかはわかりません。しかし……これしか道はありませんでした」と答えるのがむなしい。

 先述のとおり今回は、以前出てきたような場面や人物があいついで登場した。だが、状況が似ているからこそ、かえって違いも際立つ。義時はこのとき数え年で41歳(ちょうどいまの小栗旬と同じ歳だ)、すでに不惑をすぎ、頼朝の冷酷無情なやり方を踏襲するようになったとはいえ、本心ではまだ迷いを捨てきれない。それゆえに亡き兄・宗時(片岡愛之助)が生前語っていた、坂東武者による政権をつくり、そのてっぺんに北条が立つという夢がいよいよ現実のものになろうとしているにもかかわらず、果たしてこれでよかったのかと悩み続ける。

 そこへ来て、頼家が意識を取り戻す。これこそ頼朝の危篤時との決定的な違いであった。床から起き上がり、せつや一幡に会いたいと言う頼家を前に、義時や時政は呆然とするしかなかった。当の頼家も自分の髪が剃られていることに気づき、異変を感じ取る。頼家が倒れたのも想定外なら、生還したのも想定外。義時は一体どう対処するのだろうか。

資料の食い違い

「比企の乱」とも「小御所合戦」とも呼ばれる今回の事件については、史料によって記録が食い違う。鎌倉幕府の公式の史書『吾妻鏡』によれば、建仁3年(1203)7月20日に頼家が急病となり、8月27日にはいよいよ危篤状態となったため、一幡に関東28カ国の地頭職と日本国総守護職を譲与するとともに、千幡にも関西38カ国の地頭職が譲られることが決まった。だが、能員はこれを不服とし、千幡とその外戚(言うまでもなく北条のこと)以下を滅ぼそうと企んだ。9月2日には、能員は娘を通じて頼家に、北条を何としてでも滅ぼさなければならないと進言、おおむね同意を得た。だが、これを障子越しに政子が聞いており、すぐさま時政に知らせたという。能員が時政の館に招かれ、殺害されたのはこのあとだ。

 これに対し、同時代の京の僧侶・慈円による史書『愚管抄』の記述はまるで逆で、能員が一幡を跡継ぎとすることで実権を握ろうとしていると聞いた時政が、千幡こそが源家を継ぐべきと思い、能員を呼び寄せて仁田忠常らに殺させたものと書かれている。これに従えば、実態は「北条の乱」と呼んだほうが近い。

 このほか一幡の最期についても、『吾妻鏡』では館で焼死したとあるのに対し、『愚管抄』では、館を脱出したのち、義時が追っ手を差し向け、2カ月後に捕まえると郎党に殺させたとある。頼家の出家の時期も、『吾妻鏡』では比企氏の滅亡後に病気から回復してからだが、『愚管抄』では病気療養中の8月末とされている。研究者のあいだでは、『吾妻鏡』が全体的に北条寄りの観点に立っていることを鑑みて、『愚管抄』の記述のほうが事実に沿っていると考える向きが多いようだ。

 ドラマもまた、能員と義村のやりとりを比奈が耳にし、義時に通報したというあたりは、『吾妻鏡』における政子の行動をヒントにしたと思われるものの、おおまかな流れは『愚管抄』の記述を踏襲していた。それでも、能員が頼朝挙兵時にすぐ加勢しなかったのを悔やんだことに時政がつけこみ、比企は坂東武者ではないと自分たちと一線を引いたうえで殺害におよんだのは、ドラマ独自の解釈だろう。

 思えば、今回、佐々木秀義の孫が登場したのも、坂東武者のなかでもいち早く頼朝に加勢した秀義を思い出させることで、能員と暗に対比するという意味合いがあったのではないか。なお、秀義の孫について、オープニングのクレジットでは役名が「医者」とあるだけで、名前は明示されなかった。ただ、調べたところ、秀義の孫には佐々木善住(よしずみ)という医師がたしかにいたらしい(『大日本人名辞書』大日本人名辞書刊行会編・発行などを参照)。

 ちなみに、佐々木氏の本拠は近江で、秀義が元暦元年(1184)に当地に戻った直後に戦死したあとも、一族は西国の各地に守護職を得て繁栄したので、善住の拠点もおそらく西国だったのではないか。じつは源氏将軍の時代、鎌倉には定住する医者がおらず、将軍とその家族が不調のときは、わざわざ京に使いをやって処方や良薬を求めたり、医者を呼んだりしていたという(山本みなみ『史伝 北条政子――鎌倉幕府を導いた尼将軍』NHK出版新書)。とすれば、頼家を診断したのが佐々木秀義の孫という設定もけっして無理はない。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある

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