兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第142回 施設入居のタイミングっていつ?】
ライターのツガエマナミコさんが一緒に暮らす兄は若年性認知症。ほぼ一日中、家のリビングでテレビを観て過ごす兄のために、掃除、炊事、そして身の回りや排泄の世話。マナミコさんの気が休まるときはありません。週1回、兄がデイケアに行っている時間だけがホッとできるひとときなのですが…。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
* * *
もう少し頑張れるのか、もう限界の線を決めるのか…
先日、兄がデイケアに行っている間に1人カラオケに出かけました。うれしい楽しい瞬間でございます。でもそのとき玄関の鍵をかけようとポケットから鍵を取り出した拍子に同じポケットに入れていた金の指輪を落としていたのです。純金ではありませんが父の形見と言っていいお守り代わりの指輪でございます。駅前のカラオケ店に近づいて指輪を付けようとポケットに手を入れたとき”ない”と気づいて青ざめました。「玄関で鍵を出したときだ」と思い、引き返そうかと思いましたが、15分以上歩いてきて、ここから帰ってまた来るとなると歌える時間が短くなると思い、愚かにもいったん指輪には目をつぶり2時間カラオケをしてしまいました。父上、親不孝をお許しください。
ご存じのように、ただいまゴールドの価値は高騰しております。たとえ18金か14金ぐらいのものだとしても金は金なので、拾われてしまっても仕方がないと思いました。折しも修繕工事の真っ最中で外部の人の出入りが多い真っ昼間でございます。「拾った人が多少潤うのならまぁいいか」と言い訳をしつつも、カラオケを終えると祈るような気持ちで足早に家まで帰ってまいりました。
玄関ポーチの中を見回して「やっぱりないか」と諦めた瞬間、鍵穴の真下、玄関扉のすぐそばに小さな丸い輪の物体を発見して、拾い上げたら金の指輪でした。上から見ると意外と光らないもので、そのおかげで無事に手元に帰ってまいりました。一度は見捨てたことを指輪に謝りつつ、天の父に「ありがとう」を言い、兄のお迎えに行きました。
お迎えの午後4時は本当にすぐにやってきてしまいます。「5時までだったらいいのに」と何度思ったかしれません。でも5時までだったらきっと「6時までだったらいいのに」と言うにちがいありません。贅沢を言い出したらキリがないということでございます。
ショートステイにしても同じことが言えるかもしれません。初めは年に1~2回2泊3日してくれるだけで素晴らしく大きな幸せだろうに、やがてはその現状に満足できなくなって「ほんとは月1でショートステイしてほしい」と言い出すでしょう。
その先にはグループホームなどの施設入居があって、前回も書きましたが、兄を見送る日を楽しみにわたくしは今を生きているわけでございます。こっちの気が向いたときに顔を見に行く生活スタイルはまさに”将来の夢””憧れ”です。が、これもまた面倒になって足が遠のくと予想しております。
それにしてもいったい、いつ、どのタイミングで施設入居を実行に移すのがいいのでしょうか。悩ましい課題でございます。
「手に負えなくなったら」という漠然としたラインはあるものの、仮にそれが「寝たきり」や「徘徊」だとすると、わたくしが元気なうちには施設入居のタイミングが来ないかもしれません。今後「もうこれが限界!」というときがくるのでしょうか。
もう少し頑張れそうでも、どこかで「ここが限界だ」と意を決しなければわたくしは兄を施設入居させることもできずにヨボヨボになってしまいます。はたまた「行きたくない」と意思表示されたらどうするのか。「マナミコに任せるよ」と言われたとき「それじゃバイバイ」と言えるのか……。親戚や周囲の人たちに「自分勝手で薄情」と思われたくない保身もございます…………。
ああ、また未来妄想図の中で迷子になってしまいました。遠くから「施設入居の前にショートステイだろ!」というお声が聞こえてまいります。とりあえず一度お試しですよね。兄から「なんで?」とか「どうしても行かなきゃだめ?」と言われたときの回答を用意しておかなければならないな~と思うと気が重くなるツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ