兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第141回 いつか兄から解放されたい】
両親との同居をきっかけに、集合したツガエ家の兄妹。家族4人で暮らしていましたが、父、そして母が旅立ち、計らずも2人暮らしになりました。そんな中、兄が若年性認知症を発症し、またまた計らずもマナミコさんが兄を全面サポートする日々になったのです。マナミコさんが、複雑な心中を綴ります。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
* * *
このままベラオシの習慣を忘れてほしい…
新しい炊飯器を購入して早4か月、今週やっとのことで初炊きいたしました。
雑穀アマランサスを使い切るまで旧型で……(新炊飯器ではアマランサスNGなので)と思っていたのですが、使い切ってなお「もうちょっと」「もう一回だけ」と言いながらズルズル愛用してしまいました。そして「古い」というだけで引退に追いやった旧炊飯器がもったいなくて捨てられません。買わなきゃよかった…。そんな気持ちもしております。しかも「断然おいしくなっちゃうぞ」と思って炊いたご飯も味がさほど違わない。所詮2万円でおつりがくる安売り炊飯器ではそんなところです。おまけに購入した電気店が知らぬ間に閉店しており、時の流れを感じました。
前回お話しした「お便さまの逆襲」はあの連日以降鳴りを潜めております。たまたま体調が悪いタイミングだっただけとも言えますし、早くもベラオシ(ベランダでオシッコ)封じの補助錠生活に順応してきたのかもしれません。
欲を言えば「このままベラオシの習慣を忘れてほしい」と考えております。引っ越す前も引っ越してきた当時もベラオシの習慣などなかったのですから、しばらくベランダに出られない日が続けば忘れてしまう可能性はなきにしもあらず。それこそ物忘れアルツハイマーの本領を発揮していただきたい!
しかし、いまだにちょいと目を離すと窓の鍵をカチャカチャしています。補助錠はがっつり見えているものの補助錠を外せば窓が開くとは気づいていない様子です。
来週から修繕工事はベランダ内のシート交換工程に入りますので、しばらくの間、兄はおろか、わたくしも昼夜を問わずベランダへの出入りが禁止となります。毎日の換気後に補助錠を付け忘れてしまうことがないよう注意するとともに、兄が窓を力ずくで開けないことを祈るばかりです。
最近のプチハッピーは、兄の初年金の入金を確認したことでございます。わずかな金額ですが、小躍りいたしました。1秒も働かないのにコンスタントに定額がいただけるのはなんとありがたいことか。いや、労働して納めてきた正当なお金ですから、へりくだることはないですけれども、少子化にあって巨大高齢者層を形成している一員としては平身低頭でございます。デイケアの日数を増やすのもアリかもしれません。
でも、いつかわたくし一人の手に負えないような事態になったときには、迷わず施設に入っていただくため、お金はなるべくプールしておかなければなりません。安くても毎月15万円はかかると聞いております。物価が上がればそんなものでは済みません。
わたくしは兄を施設に送り出す日を楽しみにして今を暮らしているのです。70歳になるか80歳になるかはわかりませんけれども、わたくしが元気に遊びまわれるうちに兄から解放されたい。それくらいの夢は見ても罰は当たりませんよね。
亡き母のときは訪問看護や介護ヘルパーさんを利用して自宅で看取りましたが、それは「母」だったからです。兄をこの家で看取る気力も体力もございません。でも、お金でもって誰かに兄の面倒を見てもらうことへの罪悪感は人一倍ございます。自分はいくらお金を積まれても介護がしたくないからです。常識が通じない“不思議おじさん”を面白いと思える心の広さがほしいツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ