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『鎌倉殿の13人』6話『水曜どうでしょう』ばりに連れ回される頼朝(大泉洋)

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』6話。ザブタイトルの「悪い知らせ」は、北条家の嫡男・宗時(片岡愛之助)の死を義時(小栗旬)たちが知ってしまうことと、八重(新垣結衣)に(視聴者は知っていた)辛い事実がついに届いてしまうことと、ふたつの「知らせ」を意味していた。歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが振り返りながら解説します。

源頼朝の強運

 日本の歴史上の人物で、源頼朝ほど強運の持ち主もいないかもしれない。何しろ、まかり間違えば死ぬかもしれなかったところを2度も救われ、最終的に鎌倉幕府を開くことになるのだから。

 1度目は、父・義朝に従って戦った平治の乱(1159年)で敗れ、平清盛に捕えられたものの処刑を免れ、伊豆に流されたときだ。このとき助命されたのには、清盛の義母・池禅尼(いけのぜんに)の口添えがあったと伝えられる。

 そして2度目が石橋山の合戦に敗れたあとである。『鎌倉殿の13人』第6回の冒頭では、頼朝(大泉洋)を捕らえるべく、敵の大庭勢が山中を捜すなか、大庭配下の武士・梶原景時(かじわら・かげとき 中村獅童)が洞窟に潜んでいた頼朝たち一行に気づくも、どういうわけか見て見ぬふりをして立ち去った。

 これは、作者の三谷幸喜が『鎌倉殿』の“原作”と公言する歴史書『吾妻鏡』の治承4年(1180)8月24日のくだりに記された有名な話である。劇中では景時がなぜ頼朝を見逃したのかは明かされなかった。ただ、前回、出陣を前に周到に作戦を立てていた彼のこと、何かしら思惑があったのだろう。頼朝が彼の名を知って「覚えておこう」と言ったことも、今後の展開につながってくるはずだ。

宗時(片岡愛之助)の死と八重(新垣結衣)の知った「悪い知らせ」

 景時のおかげで頼朝が命拾いしたころ、北条義時(小栗旬)は父・時政(坂東彌十郎)とともに甲斐(現在の山梨県)まで赴き、武田信義(八嶋智人)に援軍を求めていた。信義は頼朝と同じ源氏で、やはり平家打倒を目指して挙兵していた。しかし自分こそが源氏の本流と言って譲らず、頼朝がそれを認めるなら助けてやってもいいなどと無理な条件をつけてくる。時政はその場では信義になびくようなそぶりを見せていたが、その後、帰る途中で敵に襲われて心が折れかけ、いっそこのまま家族で静かに暮らそうと言い出す。そんな父を、義時は「兄上も戻っておられるころです。兄上がおられるかぎり、道は必ず開けます」と励ますのだった。

 この時点で北条父子は、義時の兄で、北条家の嫡男である宗時(片岡愛之助)が死んだことをまだ知らない。彼らがその事実を知るのは、第6回の後半、頼朝とともに再起を期して安房(あわ 現在の千葉県の房総半島南端)に渡ってからだ。

 前回描かれたとおり、宗時は頼朝が北条の館に忘れて来た観音像を取りに戻る途中、伊東祐親(浅野和之)の下人に殺されていた。義時は、安房で合流した仁田忠常(にった・ただつね 高岸宏行)に、館に置かれたままだったという観音像を渡され、兄の死を悟ったのだった。さっそく時政にそのことを伝えると、「これからはおまえが北条を引っ張っていくんだ」と宗時の跡を託される。このとき時政が手にしていた観音像を義時に握らせるカットは、まるでバトンを渡すかのようであった。

 今回のサブタイトルの「悪い知らせ」とは、義時・時政に対する宗時の死の知らせのことであった。それとあわせて今回、八重(新垣結衣)もある事実をとうとう知ってしまう。

 八重は、頼朝が遁走するなか、伊豆山権現に預けられた頼朝の妻・政子(小池栄子)と会っていた。自分の夢に頼朝が現れ無事だと言っていたと伝えるためだ。しかし、それは多分に表向きで(本当なら政子になんて会いたくなかっただろう)、本当の目的は、5年前に別れた頼朝との息子・千鶴丸と会うことにあった。

 八重は、父親の伊東祐親が千鶴丸を出家させるためこの寺に連れてきたはずだと、一目会わせてくれるよう権現の長である文陽房覚淵(もんようぼう・かくえん 諏訪太朗)に頼み込む。しかし、覚淵は首をかしげながら、彼女を境内の五輪塔の前に連れて行く。それはほかでもない、千鶴丸の墓だった。覚淵によれば、千鶴丸はここへ来たときすでに溺れ死んで遺体になっていたという。思わぬ「悪い知らせ」に八重は泣き崩れる。

「なら、どうして最初からそこへ連れて行かぬのだ!」

 八重がそんなつらい思いをしているとはつゆ知らず、頼朝は今回も駄々をこねまくっていた。梶原景時が立ち去ったあと、側近の安達盛長(野添義弘)の提案で箱根権現(箱根神社)を頼ろうということになるも、どれぐらい距離があるのかと問えば「北西へ25里」と言われ、露骨に渋い顔を見せる。結局、頼朝と盛長・土肥実平(どい・さねひら 阿南健治)の一行は山のあちこちに大庭軍が潜んでいたため途中で引き返し、元いた洞窟で義時と再び合流する。

 義時はこれより前、石橋山まで大雨でたどり着けず、三浦の郷に戻っていた三浦義村(山本耕史)と岩浦という浜で再会していた。義村がそこにいたのは、頼朝軍の形勢を立て直すべく、海を渡って安房の安西景益(かげます 猪野学)を頼ろうとしていたからだ。義時はそれを聞いてすぐに頼朝を連れてくると言って、石橋山まで引き返す。

 しかし、すでに箱根行きでヘトヘトになっていた頼朝は、義時から岩浦まで今度は「東へ25里」と聞いて途方に暮れる。それでも尻を叩かれ、やっとたどり着いた岩浦には誰もいなかった。この少し前、義村は大庭方に寝返った畠山重忠(中川大志)の急襲を受けて、一緒にいた時政たちとともに急遽、船出していたのだ。

 置いてけぼりを食わされた頼朝は、実平から真鶴(まなづる)の岬なら土肥の舟を出せるとの申し出を受けるが、「少し戻りますが、ここからだと目の鼻の先」と聞いて「なら、どうして最初からそこへ連れて行かぬのだ!」と文句をつけ、その場にへたり込む。

グーグルマップで検証、あえて岩浦の場所を変えた?

 ところで、登場人物のセリフに繰り返し出てきた「25里」とは、1里=約4キロメートルなので、だいたい100キロという計算になる。ただし、頼朝が隠れたと伝えられる土肥椙山巌窟(しとどの窟。現在の神奈川県湯河原町に所在)から芦ノ湖畔にある箱根権現(箱根神社)までは、グーグルマップで調べたところ18.1キロにすぎない。もちろん、頼朝たちの時代には道路が整備されていたわけもなく、しかも急斜面を登って箱根峠を越えるとなれば、感覚的には100キロ歩くのと変わりなかったのかもしれない。

 一方、土肥椙山巌窟から岩浦までの距離だが、三浦半島にいまも地名が残る岩浦(現在の神奈川県三浦市南下浦町に所在)とすれば、相模湾岸に沿って行くならざっと86.4キロある。頼朝は結局、この岩浦から引き返して、真鶴(現在の神奈川県真鶴町)の岬まで向かうはめになったわけだが、「目と鼻の先」どころか、このときも84キロあまりを歩かされたと思われる。

 ちなみに『吾妻鏡』では、頼朝は治承4年8月28日に真鶴から安房へ渡ったのに対し、時政・義時父子はその前日に「土肥郷の岩浦」から船出し、海上でやはり安房に向かっていた三浦の者たちと出会ったとある。ここに出てくる岩浦は、三浦半島ではなく、現在の神奈川県真鶴町の岩という地区にあたる(この岩浦ならば真鶴へはたしかに「目と鼻の先」だったのだが)。おそらく三谷幸喜は、義時と三浦義村を安房へ渡る前に一度再会させるとともに、頼朝の安房に脱出するまでの紆余曲折を強調するため、あえて岩浦の場所を変えたのではないか。

 ついでにいえば、頼朝が箱根権現に向かったが途中であきらめて引き返したという話も、『吾妻鏡』に出てくる、箱根権現の行実(ぎょうじつ)という別当(僧官)の好意で頼朝は箱根に逗留したものの、行実の弟・良暹(りょうせん)が悪僧を集めて頼朝を襲おうとしたため、一晩で山を下りたとの記述が下敷きになっている。

頼朝(大泉洋)をコントロールする義時(小栗旬)

『鎌倉殿』の頼朝は今回、往年の深夜バラエティ『水曜どうでしょう』の旅企画ばりにあちこちへ連れ回され、さんざんだった。よっぽど堪えたのだろう、どうにか真鶴から舟に乗せられ、やっとのことで安房まで逃げおおせると、「戦はもうやらん。どうせまた負ける」と弱音を吐く。だが、これに対し義時は「このままでは石橋山で佐殿(すけどの=頼朝のこと)をお守りして死んでいった者たちが浮かばれませぬ!」と叱責、「佐殿がおられなくても我らは戦を続けます。そして必ず平家の一味を坂東から追い出す」とまるで兄・宗時の魂が乗り移ったかのように言い募った。そう言われては頼朝も立つ瀬がない。負けじと「おまえたちだけで何ができる。この戦を率いるのはこのわしじゃ!」と言い返す。

 こうしてまんまと乗せられた頼朝は(義時もすっかり頼朝をコントロールする術を身につけたようである)、安西の館に結集した武士たちと対面する。三浦義澄(佐藤B作)から、地元の豪族・千葉常胤(つねたね)と上総広常(かずさ・ひろつね)にはすでに加勢を要求する書状を送ったと伝えられ、「絵に描いた餅だな」と一瞬弱気になったものの、義時に咳払いされて気を取り直すと、何とか皆を鼓舞して再起を誓ったのだった。

 しかし、ラストシーンでは、上総広常(佐藤浩市)が受け取った書状をその場で放り捨て、不穏な空気が漂う。いかにも乱暴で気難しそうなこの人物を、果たして頼朝から使いを命じられた義時は説き伏せることができるのだろうか。

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

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