『鎌倉殿の13人』4話 追い詰められた人々やキャラの活かし具合に三谷作品らしさが満載
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』4話。挙兵を決意した頼朝(大泉洋)に与する北条氏だが、伊東祐親(浅野和之)ら平家側の有力者に動きが伝わってしまう。追い詰められて右往左往する人たちを活写する「矢のゆくえ」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが振り返りながら解説します。
ひときわ三谷作品らしい回
『鎌倉殿の13人』第4回の冒頭、源頼朝(大泉洋)の挙兵の日取りがくじ引きで8月17日と決まったものの、その軍勢に加わろうという者がなかなか集まらない。時の権力者である平清盛を相手に戦うのだから、それなりの見返りが必要だと言う者もあれば、一介の流人である頼朝が勝てるわけがないと端から一緒に戦うのを拒む者もいた。前回、北条義時(小栗旬)があれだけしっかり計算してシミュレーションしたのに、さすがに人の心までは読み切れなかったらしい。
義時や兄の宗時(片岡愛之助)、頼朝側近の安達盛長(野添義弘)が各方面に呼びかけるうち、頼朝が挙兵をくわだてていることは、伊東祐親(浅野和之)や大庭景親(國村隼)ら平家寄りの地元の有力者にも漏れ伝わってしまう。とうとう挙兵当日を迎えても兵力は十分ではなく、まず襲撃すると決めた山木兼隆(木原勝利)が確実に館にいるかどうかもわからない。それでもすでに相手方に悟られている以上、予定を延ばすわけにはいかないという状況に頼朝たちは追い詰められた。
追い詰められて右往左往する人たちを描いて、三谷幸喜の右に出る者はいない。その意味で第4回は、これまでのなかでもひときわ三谷作品らしい回だった。登場人物もそれぞれのキャラクターがここぞとばかりに活かされていた。
まず、義時の父・時政(坂東彌十郎)が京より迎えた新妻・りく(宮沢りえ)。挙兵の日にちを決める占いを取り仕切った彼女は、あとになって時政に、あらかじめくじにはすべて「拾七」と書いておいたと明かす。慎重な頼朝だけに、日によっては挙兵を取りやめると言い出しかねないと踏んで、三島明神(三嶋大社)の祭りの日を選んだその抜け目のなさには、時政でなくてもあっぱれと言いたくなる。
挙兵と聞いて北条の館に駆けつけた佐々木秀義(康すおん)もまた、人を食ったような強烈な個性の持ち主だった。このとき68歳の秀義はすでに歯が一本しかなく、何を話しているのか字幕がないとよくわからない。しかも何名加勢してくれるのかと問えば、あとから来るという息子たち4人のみ。彼らがいつ着くのか訊いても、どうやら「あさ」と言っているらしいが要領を得ず、頼朝たちをやきもきさせる。そのうちに挙兵当日の朝どころか夕方になって義時が、秀義は「あさ」ではなく「さあ」と言っているのではないかと指摘し、皆を落胆させたところへ、ようやく佐々木4兄弟が到着するのだった。
こういうすっとぼけた老人と周囲の噛み合わないやりとりも、三谷が得意とするところである。一昔前なら、いまは亡き藤村俊二あたりが演じていそうな役どころだが、康すおんもなかなかどうして、特殊メイクもあいまって見事にハマっていた。
このほか、意外に今回目立っていたのが、お笑いコンビ・ティモンディの高岸宏行演じる伊豆の武将・仁田(にった)忠常だ。挙兵が決まるや早くもやる気満々の態度を示し、佐々木4兄弟の到着を知らせたのも彼だった。頼朝が挙兵をあきらめかけるたび、高岸のおなじみのフレーズ「やればできる!」がいつ飛び出すかと思ったが、さすがにそれはなかった。
公式の歴史書にある「そなただけが頼りだ」
第4回では頼朝と義時の関係にも新たな展開があった。それは、味方になってほしい武士がことごとく難色を示すので、義時が頼朝から直々に頼んでくれるよう進言したときのこと。頼朝は当初、坂東の武士たちを田舎者扱いし、なぜ源氏の棟梁である自分が彼らに頭を下げねばならないのかと拒んだ。これに義時の顔色がさっと変わり、険しい表情で頼朝に向き合うと、「そのお考え、一日も早くお捨てになられたほうがよろしいかと思います」「いまはその坂東の田舎者の力を合わせねばならぬ時でございます。彼らあっての佐殿(頼朝)、それをお忘れなきよう」と忠告するのだった。
すっかり参謀然とした義時の表情に気圧されたのか、頼朝はころりと態度を変える。北条の館に来ていた土肥実平(阿南健治)の手をいきなり握ると、「いままで黙っておったが、わしが一番頼りにしてるのはじつはおまえなのだ」「おまえなしでどうしてわしが戦に勝てる。どうか一緒に戦ってくれ!」などとまくし立てたあげく、最後は全身力いっぱい抱きしめた。
前々回で義時を取り込んだときもそうだが、頼朝の物言いはあいかわらずオーバーだ。ただし今回のセリフは、鎌倉幕府の公式の歴史書『吾妻鏡』に出てくる、挙兵にあたり頼朝が館に来た武士たちを一人ずつ部屋に招き入れ、「偏(ひとえ)に汝(なんじ)を恃(たの)む(そなただけが頼りだ)」と説得して相手を感激させたという記述に基づく、れっきとしたものである。
劇中の頼朝は実平に続き、やはり館に来ていた岡崎義実(たかお鷹)とも対面する。義時から名前を聞いたときは「岡崎の何?」と訊き返していたにもかかわらず、いざ本人と会えば、「いままで黙っておったが(以下同文)」といけしゃあしゃあと口にしてみせるあたり、頼朝は天性の政治家なのだろう。感心する義時にうそぶいた「ウソも誠心誠意つけばまことになるのじゃ」というセリフからして、いかにも政治家の言葉らしい。
八重(新垣結衣)切ない大活躍
さて、今回、最大の活躍を見せたのが八重(新垣結衣)である。前回に続き川向こうから北条の館を恨めしそうに見ていた八重だが、義時に声をかけて家に招くと、頼朝挙兵の計画をさりげなく聞き出してみせる。その上で、「川の向こうからお祈りいたしております。佐殿にそう伝えて」と義時にことづけるも、その言葉に反して、彼女はすぐさま父・伊東祐親に頼朝のくわだてを密告する。
下手なウソで挙兵をごまかそうとしてすぐ見抜かれてしまう義時に対し、敵方の伊東の娘ながら頼朝の武運を祈ってみせる八重が一枚上手といえる。とはいえ、彼女のウソは、頼朝が自信満々につくウソとは違って切ないものがある。頼朝にまだ未練を残す彼女は、父に密告すると同時に、たとえ彼が挙兵して敗れても命だけは助けてくれるよう頼み込み、一応は聞き入れられた。だが、その後、再び会った義時から、祐親が頼朝の命を助けるとはとても思えないと言われ、動揺する。
義時が八重を訪ねたのは挙兵当日、その夜、山木兼隆が館にいるか聞き出すためだったが、彼女は自分は伊東の娘だと言って突っぱねた。しかし、頼朝の命が危ういと知り、さらに義時が帰ったあとで夫の江間次郎(芹澤興人)から兼隆はケガをしたので今夜は館にいると聞いて、行動に出る。それが矢に白い布を結んで北条の館に飛ばすという、今回のクライマックスだ。
頼朝が白い布から八重が矢を放ったと気づくと、義時はそれが今夜出陣せよとの合図だと確信した。こうして治承4年(1180)8月17日深夜、北条宗時率いる頼朝軍は祭りでにぎわう大通りを堂々と馬列を進め、まず堤信遠の館を包囲する。時政と宗時・義時兄弟がそろって緊張するなか、佐々木4兄弟の次男・佐々木経高(江澤大樹)が矢を放ち、ついに頼朝と平家の戦いの火ぶたが切られた。今回のサブタイトル「矢のゆくえ」とは、八重と経高がそれぞれ放った矢を意味していたことになる。
『吾妻鏡』には、頼朝が兼隆のもとに藤原邦通なるスパイを送り込み、館内と付近一帯の絵図をつくらせ、それをもとに時政と作戦を練ったとの記述がある。それが『鎌倉殿』では、八重が祐親と頼朝のあいだで板挟みになりながら結果的に兼隆の情報を伝える役割を担うことになった。挙兵にあたり、北条の館にとどまった頼朝は、政子(小池栄子)に膝枕されながらうつろな目をしていたが、やはり八重のことを考えていたのだろうか。
ところで、今回、義時のセリフで筆者が気になったものがある。それは、彼が八重の館を再び訪ねた際、彼女から無謀な戦を始めようとしている北条は愚かだと言われ、反論として出た「坂東は平家にくみするやつらの思うがまま。飢饉が来れば多くの民が死にます。だから我らは立つのです」というセリフだ。改めて文字に起こすと、なぜ坂東が平家にくみする者たちの思うがままだと、飢饉が来れば多くの民が死ぬのか、ちょっとわかりづらい。
しかし、前回、時政・義時父子が国衙を訪ねた際、伊豆の権守・堤信遠(吉見一豊)から受けた仕打ちを思い出して、はたと気づいた。あのとき、時政は献上した野菜を信遠に蹴り飛ばされたあげく、茄子を顔に押しつけられていた。ここから義時はおそらく、北条に対する侮辱と感じるとともに、民が丹精込めて育てた食べ物を粗末する信遠のような者たちが坂東を治めていては、飢饉が来ればきっとあっさり民を見放すに違いないと悟ったのではないか。そう考えると、第4回の冒頭で、兼隆だけでなくその後見役である信遠も一緒に討ってしまってはどうかと義時が提案したのも納得がいく。
食べ物を粗末にする者には罰が当たるとは、昔からよく言われるが、信遠はいままさにその罰を受けようとしている。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。