兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第131回 兄との二人暮らしは修行です】
若年性認知症を患う兄の病状が進行し、一緒に暮らす妹でライターのツガエマナミコさんは戸惑ったり困ったりすることが増える一方です。兄との円滑な関わり方を考えるとき、結局、自分自身が心の持ちようを変えるしかない、という境地に立っているこの頃のツガエさんが、その心境を綴ります。
それでも、「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
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字を読んでもその内容が理解できなくなった兄
脳に良いといわれているDHA(ドコサヘキサエン酸)を摂取すべく、青魚を食卓にのせたいのですが、庶民の味方だったイワシやサンマがここ数年出世に次ぐ出世をされてすっかり高級魚になられてしまったので、もっぱらサバを食しているツガエでございます。とはいえ、みそ煮と塩焼きの2パターンでございますが……。
そんなわたくしの調理努力もむなしく兄の脳は縮み続けているようで、認知機能は衰えるばかりでございます。
先日、デイ施設の連絡帳に「ベランダでオシッコをやめてくれません。もうすぐマンションの大規模修繕工事が始まるのでやめさせたいのですが」と書いてみました。その日、お迎えに行くと、「こちらでも張り紙などしておトイレに行くときは声をかけてくれるように指導はしているのですが、1人で行ってしまうことがあります」とのこと。施設ではリハビリとして字を読ませたりもしているようですけれど、字は読めたり読めなかったりの波があり、読めたとしてもその内容を理解できていないときが多々あるようでございます。「努力はしているのですが…」と施設でも打つ手なしといった回答をいただきました。
まぁ、字は読めるのに理解できなくなっていることはなんとなく察しがついていました。
それまでは、何を言ってもすぐ忘れてしまう病気だから何度注意しても同じことを繰り返すのだと思ってまいりましたが、根本的に言葉を理解できていないことも上乗せされてきたのだと思うのです。
わたくしが「窓は開けたら閉めておくれよ」と言ったり、「ここでオシッコしちゃダメなのよ」と言っても、たぶん兄の中では意味を処理できておりません。ふた言目には「ごめんね。気を付けます」と兄が言うのは、注意されているという空気を感じ取っているからであって、自分が窓を閉めないことやオシッコしてしまうことに対しての「ごめんね。気を付けます」では決してない。そう思わないと納得できないことばかりなのです。
もしかすると外国語のような聞こえ方をしているのかもしれません。とりあえず謝ってその場を切り抜けようとする世渡りのうまさは大したものでございますが、そんな賢さだけ残っているのだと思うと一層腹が立ってまいります。
兄の中では注意されている内容がピンときていないのでございましょう。ピンときたとしても一瞬で忘れてしまうので反省もなければ、悪びれることもない。わたくしの言葉はすべてが空を切って虹のかなたへ飛んでいく運命なのです。
「どう言えば兄の心に刺さるのか」と考えることはもはや馬の耳に念仏。暖簾に腕を押しすぎて注意をする気力さえ失せてしまいました。
その反動で近頃は、兄が良かれと思い、してくれたことに対しては大げさに喜んでいます。「わ~、洗濯物上手にたためたね」(くしゃくしゃでも)とか「窓閉めてくれたんだ。すごいね」(すこし開いていても)など、無理して明るくほめたたえるのです。心はやけのヤンパチですけれども。
できればそんな風に兄を扱うのは嫌でした。それはもう兄と妹という関係ではなく、要介護者と介護者の関係だからです。そんなに極端にならなくても兄妹らしい対応があるように思いますが、うまくできません。兄上だと思うと「ベランダでオシッコ」などはあまりに常識から外れているので何が何でもやめさせたくなります。でもそういう病気の要介護2の人だと割り切れば、無理強いはせず、そのお掃除も清掃作業として受け止められる。感情をゼロにして事務的こなす方が心は健全でいられるような気がいたします。
一事が万事でございまして、例えばご飯を出せば自然に箸立てから自分のお箸を取って使うのに、箸立ての目の前で「お箸を取って」と言っても嘘のようにお箸を認知できません。目前の箸立てをスルーして、30センチほど横にあるペン立てのハサミを手に取って「これ?」と訊くのです。これが我が兄上だと思うと「お箸って言ってるでしょ~が!」とムカムカしますけれども、「あ~惜しいな。それはハサミって言うんだよ。お箸はこっち」とやけのヤンパチではなく言えるようになればいいのでございますよね。ここがわたくしの意識改革のしどころ。まだまだ修行を積んでまいります。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ