兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第125回 わたくしが楽をするために】
63歳の兄は若年性認知症で無職、一緒に暮らす妹はフリーランスのライター…。兄は穏やかな性格ですが、病状が進行し、不可解な行動も増えてきました。将来のこと、お金のこと、不安はつきません。そんな2人の暮らしを綴る連載エッセイ、今回は、ツガエさんの心持ちに少し変化があったというお話です。
「明るく、時にシュールに」、認知症を考えます。
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先人の流れに身を任せた介護をすればいい
人にはそれぞれ与えられた役割があって、わたくしは、たまたま大富豪の妻ではなく、50代から兄の介護をする貧乏ライターだったーーー。
そう受け入れてしまうと、「なぜわたくしがこんな…」と嘆き苦しむことがぐっと減りました。「筋書通り」なのですから介護もお手本通りに、自分の時間を増やしたかったらデイサービスの日を増やし、時にはショートステイを利用し、自分の手に負えなくなったら施設に入ってもらうという先人の流れに身を任せればいいと思えるようになったからです。
兄がそのとき何を思い、どんな気持ちになるかは兄にしかわからないことでございましょう。お金は兄のために使い切って、足りなくなったらそのときに考えればいい、と。ちょっと悟りの境地でございます。
そう思えたのは、お金を残したところで、子どものいない我ら兄妹のお金は国庫に入るだけだと知ったからです。
違うのです、誰かに残せるほど裕福ではございません。両親が残してくれた大切なお金も間違いなく数年後には枯渇するとわかっていますし、微々たる年金とわたくしの原稿料を考えれば残るわけがないのでございます。でもわたくしには習慣的に“今あるものをなるべく減らしたくない”という心理が働いております。強欲にも「財産の半分はわたくしのものだ!」と思っているからでございます。
例えば、わたくしが死んだときに出る生命保険がございます。兄亡き後なら、お葬式などしなくていいので、従兄弟みんなにお小遣い程度のものを残したいと考えておりました。
そうしたらなんと、従兄弟には原則的に遺産を残せないというではありませんか。
ネットの司法書士情報ですけれども、もしどうしても従兄弟に残したければちゃんとした遺言書を残し、それを確実に執行してくれる人を決めておかなければならないようです。そこには当然のごとくお金がかかります。遺言書を作るなら頭がはっきりしているうちにしなければなりませんし、わたくしが兄より先に逝く可能性もありますし、もとより遺言書を作るほどの額でもない……そんなことを考えていたら急にばかばかしくなり、「もう、宵越しの金は持たねぇ」と江戸っ子のべらんめえ思考になりました。
調べると法定相続人は配偶者、子ども、直系の父母・祖父母、兄弟姉妹とその子ども(甥姪)だけです。そうなると我ら兄妹にはすでに法定相続人がおりません。ということは死ぬときは後片付けの手間賃を残し、保険金も含めて全部使い切っていることが理想的でございましょう。「お金を使い切って良い」という言葉はわたくしのこれまでにはなかった概念でございます。
先が長いので節約しなければいけないことは確かですが、きれいさっぱり使い切ることも視野に入れると急に世界が開けてまいりました。
お金は天国には持っていけません。残せば国の物になってしまうくらいなら、これからは兄のためというよりも、わたくしが楽をするために出し惜しみせず使っていきます。保険など解約してもいいし、最後にはマンションを抵当に限界まで借金してもOKなのだと思い、だいぶ気楽になりました。
そんなこんなで、ついに炊飯器を買いました。遺産だ財産だという話のあとにしては小さいことですが、1年前からずっと悩んでいた案件でございました。
安売りで2万円ぐらいのIH炊飯器でございます。今のものは15~20年前に購入したマイコン炊飯器と呼ばれるタイプ。内窯のコーティングが剥げ、メモリが見えにくい状態になっております。
しかし、新炊飯器の説明書を読んでびっくり。アマランサスを入れて炊くのはご法度とのこと。アマランサスは雑穀の一種で、わたくしはときどき雑穀を混ぜて炊くのですが、あの小さい粒が排気口に詰まる可能性があるからダメだというのです。15年以上前のマイコンにできて、令和の新機種にできないこともあるのか…とがっかり。結局、今ある雑穀を使い切るまでマイコンを使うしかございません。雑穀はあと5~6回分ございます。新炊飯器を並べて置くスペースはないのでしばらくは段ボールに眠らせておくとして、今夜もそろそろ炊飯タイムです。
しかし、新しいものを買うと、なんとなく気分がいいのはなぜなのでしょうか。IH炊飯器で炊いた白米の味を楽しみにしているツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ