兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第123回 “ベランダでオシッコ”をめぐる攻防」
若年性認知症を患う兄の日常をサポートするライターのツガエマナミコさんは、心労の絶えない毎日を送っています。主なる悩みは、兄の排泄トラブル。ベランダでオシッコをしてしまったり、トイレではないところで便を出してしまったり…。そんな中、新型コロナウイルスに感染してしまったマナミコさん。症状は嗅覚障害でしたが、排泄物の臭いがしないことに、むしろ、このままでもいいのではないかと思ったのでした。むろん、嗅覚障害が出ていることがいいわけはなく…。しかし、それほどまでに悩みは深いのです。
それでも「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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「やれることはやった」…と
コロナ感染で失われた嗅覚が戻ってまいりました。お出汁の香りはまだ分かりませんが、手洗い後の手に残る石鹸の匂いが分かるくらいまでには回復しております。
と同時にお便さまの香りも分かるようになりまして、さっそく昨晩それを実感いたしました。深夜3時頃でしたか、トイレの扉を開けると床に明らかにお便さまを拭いたであろう痕跡が広がっておりました。ほぼ2週間ぶりとなる兄の粗相でございます。
お便さまそのものはないものの、黄色く広がったシミをゴシゴシ拭きとっているとやはり匂いがありました。
「ああ、匂うってこういうことだったな」と少しノスタルジックな気分にひたりながら、床掃除を終えトイレ全体を見回すと、なんと次なるミッションを発見いたしました。12ロール入りのトイレットペーパーの物陰に何かが隠れていたのです。恐る恐る見ると、きれいに畳まれた兄のトランクスでした。もちろんお便さま付き。奇跡的に壁は汚れておらず、ホッとしながらお洗濯ミッションに勤しみました。
深夜にこんなに水を流しては迷惑だと思いながらもやらずにいられず、水が茶色くならないくらいまでジャブジャブし、深夜の30分間の悪夢は終わりました。
というわけでそこから熟睡できないまま朝を迎えたわたくしは、今日は完璧な寝不足でございます。
かねてより、ベランダの排水溝でお尿さまをしている兄のことを憎らしく思い、かなりのストレスを抱えておりましたが、一応の納得と諦めを迎えたので、お知らせいたします。
毎日排水溝に水を掛けたり、熱湯消毒などしてまいりましたが、「熱湯は排水管によくない」というご指摘をいただき、「そうなんだ!」と58歳にして学ばせていただきました。ありがとうございます。
「水洗いに勤しむしかないのね」と諦めながらも、納得ができないわたくしは、ある日、ベランダのサンダルや箒・ちりとりを排水溝が隠れるように集めてみました。
「これだけ邪魔ものがあったらどうするだろう」と実験してみたわけでございます。すると、それをきれいに横にずらして御用を足すではありませんか。「ほ、ほう。そうきたか」と思い、2~3日イタチゴッコをくりかえしたあと、次なる手を考えてみました。
排水溝を塞ぐように立て掛けたちりとりに「オシッコはトイレで」と張り紙をしてみたのです。字が読めるか、理解できるかは賭けでしたが、なんとその日はベランダにお尿さまの痕跡がありませんでした。
「よしよし、効果あったぞ。こんな簡単なことでよかったのか」と喜んだのですが、それもつかの間、翌日には排水溝と反対側の端にお尿さまを発見いたしました。排水溝に向かって緩やかな長いストロークがあるので、お尿さまは中間付近で溜まるという思わずため息が出る結果になっておりました。
「なるほど、そうきたか」と、兄も策を練っていることを知り、「これならどうだ?」とこちらも張り紙付きのちりとりを移動させたり、生ゴミを保管する小ぶりのポリコンテナを立ち位置と思われる場所に置いたりしましたが、巧みにずらして狭い場所でやりぬく兄。敵ながらあっぱれです。
結局、兄のベランダでオシッコは、わたくしの一人カラオケのようにやめられないものなのだ、と納得いたしました。
先日、兄がデイサービスに行っている間に「オシッコはトイレで」の張り紙を捨てようと思ったとき、ふと思いつき、最後の試しに「ニコニコ顔」を描いてみようと思いました。一番シンプルなニコニコ顔のイラストを黒マジックで描きながら、文字よりも「見られている感」があって我ながら妙案だと自負し、その効果に期待いたしました。
が、残念ながらそれも無駄でした。これ以上、この行為を止めようとすると掃除し難い場所への放尿を誘発してしまうかもしれず、水で流しやすい場所であるうちに折れるしかないと決断いたしました。「やれることはやった」そんな引退会見のような清々しい気分です。少なくとも今日は、ですが……。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ