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連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第27回 娘が怖い?」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。父亡き後に認知症を発症した母との暮らしや、親の介護をする娘の気持ちのあれこれをリアルタイムに写真とともに綴ります。

 認知症の母と娘の二人暮らし。飯田さんは日常のちょっとしたことにイライラしてしまう自らを振り返り、心の持ちようについて考えます。

 * * *

「私も母に怖がられているかもしれない」

 コロナもやや落ち着き、久々の休みに房総まで足を運んでくれたエッセイストの友人と海が見えるレストランでランチをとりながら女子会トークとなった。

 彼女自身は早くにご両親を亡くしされている。その時には、「寂しいながらも、介護の心配がなくなった」と感じたとほろ苦い笑みを浮かべて話していた。

 そして最近、私の母とほぼ同年代の高齢の作家さんと対談をしたのだという。その作家さんはお嬢さんと同居中で「『娘が怖いの』って何度も言ってましたよ」、という話を聞かせてくれた。

 私はドキッとした。

 こうしてランチのために家を出る直前にだって、大声で母に小言を言い放ち、車に乗ってはため息をついてきたのだから。

 私は、「ああ、わかる気がするなあ、私もきっと母から怖がられていると思う」と相槌を打った。

 そんな私の反応に、そのエッセイストは笑みを浮かべながら「やっぱりそうなのね」と言いたげだ。

母に声を荒げてしまう理由

 そもそも、母が憎いわけでもない。さらに心底怒っているわけでもない。なのに、怖い伝え方になってしまうには理由がある。

 母といると思いもよらないことでがっかり落胆したり、気持ちが動揺したりすることも多いのだ。どんなことにそう感じているかというと…。

・ 庭の蜜柑の実が熟すまで木から獲らないで欲しいと何度言っても獲ってしまうこと。
・獲った蜜柑を窓に並べ「太陽に干して甘くなる」と信じて疑わないこと。
・蜜柑を食べてみたら酸っぱくて、剥いたまま放置してあること。
・普段、「化粧はしたほうがいいよ」と何度勧めてもしないのに、ショートステイに行く前に突如ファンデーションを探し始め、「あったのをどこにやったか」と、あたかも私がどこかに捨てたかのように聞かれること。
・ショートステイに行く荷物は全て私が準備すると何度伝えても、思いついたままに季節違いの衣服などを袋に詰め込み準備をすること。
・自分が持っていた指輪などの装飾品を、私に処分された、と濡れ衣を着せること。

 こうやって書き出してみると、聞き流していればいいような、大したことないことばかりかもしれない。

「忘れるから書いておくよ!」と黒の太マジックでA4のコピー用紙に書いてテーブルに置いても、その紙も、母がテレビで見たあれやこれやのメモ書きと化し、やがてその紙は食卓の皿の下に敷かれてしまう堂々巡り。

 母の場合は、その時々でのコミュニケーションが全く問題なくできるので「では、忘れないためにこうしよう」と解決策を一緒に相談している時は至ってまともに会話をしている。が、10分が経ち、1日が経ち、翌日になると全ての設定事項はほぼ白紙になっている。

 それは、まるで志村けんのコントのようにも思えて、私はその受け答えで苦笑するというオチの日々だ。

すぐに忘れてしまう母

 母は手作りの毛糸のコースターを手早くどんどん編んでいくし、技術も進化していて、センスもとっても良い。本人は円形のコースターの小宇宙で遊んでいるかのように創造的な作業に心が躍っている。

「こんな色合い、いいでしょう?」と自作のコースターにうっとりとしている。

 私が外出して帰宅すると、“鬼の居ぬ間の洗濯”という気持ちなのか、食卓の上に作品を山ほど並べ、コースターの花が咲いていることもある。

 確かに綺麗なのだが、その母の自画自賛のうっとり感に、私は時にイラッとしてしまう。

「さあ、ご飯にするから全部自分の部屋に持って行ってね、ここは食事の場所だから汚れちゃうよ!」ときつい口調になったりする。

 ある日、私が帰宅するとテーブルの上にヤクルトが置いてあった。

「あれ?ヤクルトの営業の人が来たの?」と聞くと「誰も来てない」との返事。

「じゃあ、なんでこれあるの?」
「??…誰も来てないのよ」

 ふーん…と、テーブルの上に積んである雑誌を退けるとそこにはヤクルトのパンフレットがあり「毎週金曜日に伺います」とのメモと担当者さんの名前があった。

 さらに、冷蔵庫を開けると見慣れないヨーグルトも。

「え?知らない。何も食べてないし、お腹も空かないから」と母。

 テーブルの上に置いてあったビスケットの箱は空になっている。

「お腹空いてないはずだよね。この箱空っぽじゃない?全部食べちゃったんだね」と、つい問い詰めてしまう。

「食べたかなあ?覚えてない」と母は編み物に手を動かしている。

「認知症の老人が同じことを繰り返す時、返事をする側が2度と同じ言い方をしない訓練すると認知症予防になるわよ」と、介護経験のある友人から助言を受けたこともあるが、日常の中では、私の心に余裕がなくなってしまうのが現実だ。

眉間に刻まれた縦皺

 先日のこと、取材ロケの最中のこと、気持ちいいい昼下がりについ私はウトウトしてしまった。

「あ、ごめん、もしかしてイビキかいていなかった?」と同行の人に聞いたら「イイダさん、なんだか苦しそうな顔して寝ていました」と言われた。

 実は最近、朝起きて鏡の中を見ると、眉間の皺が気になるようになった。それはもしかして、寝ている間の表情なのかもしれない、と腑に落ちてゾッとした。

 高齢者をネタにしたコントで有名な綾小路きみまろさんのくだりが思い出された。「最前列のそこのあなた!怒ってるの?それとも…そういう顔なの??」

 アルアルですよね~、と聞きながら爆笑していた私だった。まさか楽観的な自分に縦皺なんて、縁などない!そう信じていたのだったが、なんと…である。

 加齢によって顔に刻まれる皺。法令線も眉間の縦皺も、美容の敵とされているが、それは暗い印象を与えるからだろう。しかし、どんなに高価な美容液を使ったとて、心の怒りや憂いが顔の表情をつくるので、嘘はつけないということだ。

「安房ラテン化計画」に感化され

 皺ができてしまうのは受け入れるとしても、どうせなら明るい心がつくる皺がいい。そう気づき始めた時、ラテンジャズのミュージシャンでイベントプロデューサーの深津純子さんがこんな企画を立てた。

「安房ラテン化計画・たてやま ラテンフェスティバル2021」というコンサートだ。

 安房は館山や南房総エリアの古い地名。もともと常に温暖な気候な場所であり、陽光がさんさんと降り注ぐ土地柄で、煌めく海に囲まれていることもあり明るい風土の場所だ。

 主催者の深津さんはキューバに精通するフルート奏者だ。

 彼女曰く「キューバは政治的にも国際社会から孤立しているし、経済や物質的な暮らし自体は厳しい。でも、人々の心は常に明るく、助け合いながら生きている。アフリカから奴隷として連れてこられた人々と、ヨーロッパからもたらされた文化が音楽の中で融合し、リズムもメロディーも独特に進化してきた」と。

 男女でリズミカルに踊る、サルサと言うダンスは老いも若きも大人になったら誰もが嗜む楽しみだと言う。

 そんなキューバに倣って、落ち込まないで明るく皆で生きてゆこう!と思った。

 深津さんの呼びかけに賛同した仲間でコンサートの準備も進めていった。私も撮影のお手伝いをしながら久しぶりに生のコンサートを観た。

 地元の高齢な盆踊りのチームも出演。日本的な調べの「白浜音頭」でステージに登場し、途中からラテンのリズムで歌い踊り出すというシーンもあった。日本は地面を耕す農耕から発展したリズム。対してラテンはアップテンポで高揚感がある。プロの音楽で盛り上がるステージも、会場の人々も笑顔の花が一気にひらいた。コロナを配慮して人数制限はあったものの明るい希望を促す、前向きなコンサートだった。

 その余韻を胸に、当分はラテンマインドに習い、母に怒らないで済みそうだ。

ショートステイから戻ってきた母の話

 ショートステイに数日行っていた母が戻ってきた。

 帰宅すると、旅から戻ってきた人がその見聞を話すように、施設の話題となる。

「食事もお風呂も言われるままに1日が経ってあそこにあると楽ちんだわ。でも、ほとんど日中座りっぱなしで、歩こうとすると、席に着くように促されてね」と、まだアクティヴな母は動けない不便を感じている様子だ。

「皆があちこちでウロウロすると職員さんの目が行き届かないでしょう?きっと安全対策だね」と私。

 母は勝浦に戻り、暮らしの中で体力がかなりついてきた。桜並木の葉が落ちると、父がいた頃からの習慣で、枯れ葉を集めて道から家までの急な登り坂を運んでいる。

 船橋にいた中年期には運動らしいことは一切していなかったが「15歳から30歳までテニスしていたから足腰が鍛えられてるの」と母は言う。

 本人もその実感があるので、じっとしていることが逆に不安なのかもしれない。

 旅見聞の話の最中、「施設でね」と言いかけた母が何故か話を進めるのを躊躇したので「どうしたの?」と促すと、

「あのね…、私の隣で食事していた人が、食べた後、お皿を犬みたいにペロペロ舐めてるのよ。子供の頃にひもじかったのかしら、見かけは普通に上品な雰囲気のおばあさんなのにね」

 母は少なからずショックだったようだ。認知症になると、羞恥心の鍵が緩んでしまうのかもしれない。どこの鍵が緩むかはきっと人によるのだろう。

「この頃、なんだか自分がどうなってるのかわからないことがある」

 母が語るその意味が一体どんな感じなのか、私には、実際の感覚を共有できなくてもどかしい。

 が、母との日常の間に間に、ご近所のガーデンを訪ねたり、時に友人が遊びにきてくれたりしながら、日々は過ぎていく。

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。HP:https://yukoiida.com/

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