Netflix『イカゲーム』の彼らは本当に「自ら進んでデスゲームに参加した」のか
世界最大の動画配信サービスNetflixにおける最大のヒット作となった『イカゲーム』。『梨泰院クラス』『愛の不時着』など傑作を輩出する韓国ドラマの力に圧倒されました。生死を賭けた過激なエンターテインメント性が注目されがちなこの話題作を、韓国留学も経験したライター・むらたえりかさんは、今が「救済されにくい」社会だからこそ、これだけ広く支持されたのだと考察します。
仮装を禁止するなどの影響も
世界的に大流行しているNetflixオリジナルシリーズ『イカゲーム』が、Netflixを配信している世界90か国で1位を獲得した。内容は、人びとが賞金のために命を賭けるいわゆる「デスゲーム」もので、その衝撃的な内容から、米・ニューヨークの小学校では、ハロウィンの時期に『イカゲーム』の仮装を禁止するなどの影響もあったという。その一方で、イタリアや韓国ではドラマの内容に沿った体験型イベントが大盛況。日本でも東京・新大久保などで、作中に出てくる「カルメ焼き(ダルゴナ)」が食べられるカフェなどが増えている。残酷な内容ながら多くのひとを惹きつけた理由は何だったのだろう。
さまざまな背景の者たちが参加するデスゲーム
仕事で失敗して借金を背負ったソン・ギフン(イ・ジョンジェ)は、ギャンブルで大勝ちするもその賞金をなくしてしまい、離れて暮らす娘の誕生日プレゼントを買うお金もない。高齢の母親を働かせてしまっていることもあり、みじめな気持ちでいっぱいだった。そんなある日、見知らぬ男からメンコ勝負を挑まれる。男が残した名刺には、ゲームに参加するための電話番号が書かれていた。
ゲームの会場でギフンが出会ったのは、幼馴染でエリートのチョ・サンウ(パク・ヘス)や、物忘れの激しいおじいさんのオ・イルナム(オ・ヨンス)。そして、弟とともに北朝鮮から韓国に逃げてきた脱北者のカン・セビョク(チョン・ホヨン)や、セビョクに恨みのある男、チャン・ドクス(ホ・ソンテ)、パキスタン人の外国人労働者であるアリ・アブドゥル(トリバティ・アヌファム)らだ。
全員で456人の参加者が、最初に挑んだゲームは「だるまさんがころんだ」(韓国では「ムクゲの花が咲きました」と呼ばれている)。こどもの遊びだと軽い気持ちで走り出し、ルール通りに立ち止まれなかった参加者が、突然銃で撃たれ殺されてしまう。1人の命を1億ウォンとし、最後に生き残った1人が456人分、つまり456億ウォン(日本円で約45億円)を勝ち取れるデスゲームが始まったのだ。
「自らゲームに参加している」という自己責任論を考え直す
日本では、もともとデスゲーム作品は人気がある。2000年に公開された『バトル・ロワイアル』は社会現象となった。10代だったわたしも多分に影響を受け、BA-TSUというヴィジュアル系、ロック系のファッションブランドがコラボして販売したバトロワの制服を購入した。
その後も、藤原竜也主演の『カイジ』シリーズや、『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』(2010)、三池崇史監督・福士蒼汰主演の『神さまの言うとおり』(2014)などが映画作品となっている。また、『イカゲーム』と同じNetflixシリーズでは『今際の国のアリス』(2020)なども人気が高い。
日本のデスゲーム作品は、ひとが窮地に追いやられたときにいかにして突破口を見つけるか、という頭脳戦、駆け引きのスリリングさが面白い。誰かと協力したり裏切ったりというやり取りも、そのゲームを突破するための作戦だ。
『イカゲーム』では、「だるまさんがころんだ」や「綱引き」「ビー玉あそび」、お祭りの「型抜き」などのこどものあそびを競い合う。ルールが簡単なので複雑な頭脳戦はない。そのため、韓国や日本など似たゲームの文化がある東アジア圏はもちろん、世界の多くの国のひとたちが、自分のこどもの頃のあそびの記憶を思い出しながら見られたのではないか。
デスゲームという舞台設定が表すのは「窮地」だ。窮地という舞台で、頭脳戦や心理戦を見せることで、より緊張感のあるゲームを見せることができる。『イカゲーム』がその舞台に乗せてくっきりと浮き彫りにしたのは、現実の世界で困っている人びと、弱者たちだった。
借金を抱えて自力で生きていかなければいけない者。会社の金を横領した罪を誰にも告白できないでいる者。動きや頭の回転が遅く、体力もないために疎ましく思われる老人。差別されている脱北者。道を踏み外して戻れなくなってしまった者。「自立した女性」になれなかった女性。家族がいない者……。
彼らは、一見「自己責任」と言われてしまう背景を持っているように見える。だからこそ、『イカゲーム』の紹介などで「自ら進んでゲームに参加している」と書かれてしまうこともある。しかし、わたしはそうは考えていない。彼らは、周囲や社会に救済されていればゲームに参加する必要のなかったひとたちだと思う。
誰か相談できるひとがいれば。社会福祉の手が回っていれば。差別するひとがいなければ。人権活動やフェミニズム運動などが取りこぼさないであげていれば。そう考えると、「自己責任」「自らゲームに参加」というよりも、彼らは「ゲームに参加せざるを得ない事情を抱えたひとたち」、もっと言えば「社会によって、ゲームに参加させられたひとたち」であるとも考えられる。
取りこぼされる弱者をすくいとる韓国ドラマ・映画界
韓国映画界は、こうした困っているひと、弱者を窮地で浮かび上がらせるのが上手い。たとえば、2017年公開のゾンビパニック映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』では、エリート男性(コン・ユ)や腕っぷしの強い男性(マ・ドンソク)、権力者男性のほかに、こども、学生たち、妊婦、老婆、ホームレスなどの、社会的に力のないひとたちが登場する。誰が生き、誰が死ぬべきか。映画を見ながら考え、そして実社会と照らし合わせてみたときに、自分の差別心に気づくこともできる作品だ。
『イカゲーム』が世界で多くのひとに支持されたのは、困っているひと、弱者にあたるひとを取りこぼさなかったからだろう。デスゲームをあくまでもフィクションとして楽しめる層はハラハラドキドキ感を素直に楽しめる。また、コロナ禍で大なり小なり心に不安や困りごとを抱えているひとも多い時期だ。弱者を取りこぼさない、そして、自己責任だと責めないこの作品は、そんなひとたちの心の芯に刺さるものとなった。
本作の監督は、映画『トガニ 幼き瞳の告発』などのファン・ドンヒョクだ。耳が聞こえないために上手く声を出すことのできないこどもたちの、性被害や虐待被害の告発を描いた『トガニ』。『イカゲーム』もまた、自己責任のもとに口を塞がれている人びとの苦しみの叫びを描いた作品だと言える。
みんなから足手まといだと思われているイルナムおじいさんを、主人公のギフンだけはどうしても見捨てることができない。それを、ギフンが「優しいから」と見るか、それともその心の弱さから「誰か(あるいは自分)に責められたくないから」と見るか、はたまたそれらは表裏一体なのだと見るか。こんな風に、登場人物の関係を見て解釈しながら、見ている自分の心や価値観と向き合ってみるのも面白い。
残虐、残酷なシーンも多いので、誰にでもおすすめできる作品ではないと思う。けれど、自分と社会、そしていまどこかで困っているひとについて思いを馳せることができる、秀逸な作品でもある。もし心に余裕があれば、誰かと一緒にだったり、あたたかい飲み物と一緒にだったりして、チャレンジしてみてほしいドラマだ。
『イカゲーム』Netflixにて独占配信中
監督・脚本:ファン・ドンヒョク
出演:イ・ジョンジェ、パク・ヘス、オ・ヨンス、ホ・ソンテ、ウィ・ハジュン、キム・ジュリョン、トリバティ・アヌファム、イ・ユミ
文/むらたえりか
ライター・編集者。ドラマ・映画レビュー、インタビュー記事、エッセイなどを執筆。宮城県出身、1年間の韓国在住経験あり。